テロとは何なのか・1

2013年12月4日

 普通の時期はこんなタイトルの記事を書いても、あまり注目されない。だけど、いまだったらと思って、まとまらないかもしれないけれど書いておく。大事なことだと思うから。

 暴力を使わない平和的なデモをテロと定義するのは、あまりにも非常識で、石破さんの誤りは明白である。だけど、じゃあテロとは何かを定義するとなると、そう簡単ではないのも事実である。

 たとえば国連においては、戦後一貫して、テロを包括的に禁止する条約の議論がされていて、これまでテロ関連で13本の条約ができたが、部分的なものにとどまっている。めざされている包括的テロ禁止条約はできていない。なぜかといえば、最大の理由は、テロの定義で合意できないからである。

 どこで合意できないのか。問題は具体的である。パレスチナ人民による実力行使を含む闘争をテロと定義するのかしないのかということだ。

 みなさんはどう考えておられるだろうか。あれはテロだろうか(裁かれるべきものか)? あるいは正当な闘いだろうか(裁くなんてあり得ないか)?

 ある人は、イスラエルによる占領こそが裁かれるべきであって、パレスチナの闘争は正当だと考えるだろう。だけど、じゃあ、古い話になるけれども、テルアビブ空港での乱射事件(72年)などのように、無実の人びとを殺傷しても許されるのかと問われれば、肯定する人は多くないと思う。

 他方、ある人は、暴力行為なら当然それはテロだろうと考えるだろう。だけど、たとえば、テロ関連13条約のひとつである人質行為防止条約(79年)は、民族解放団体がすすめる武力紛争の過程で生じた人質の奪取については、条約の適用外であることを明記している。パレスチナ人民による人質の奪取には、この条約が適用されないということだ。それを許すという規定ではないけれども、わざわざ適用外としている事実は重い。

 国際社会も揺れているのである。定義できないのだ。

 特定秘密保護法は、国際社会も定義できないものを堂々と定義し、それにかかわる情報を探るものを処罰するわけである。定義できないわけだから、政府による恣意的な解釈がまかり通ることは明らかだ。石破発言は、そのことを浮き彫りにしたのである。(続)

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