いつもと異なる年末の政治風景

2013年12月26日

 これまで年末というのは、政治の世界では、お金の話が飛び交う時期だった。予算編成の時期だから、どこにお金をつけるかということが政治家の関心事であり、それが政治家の選挙基盤を支えていたわけだ。

 だけど、今年は、とんとそんな話は聞かない。この12月、問題になったのは、秘密保護法であり、国家安全保障戦略や防衛大綱であり、そして今日の靖国参拝、明日の普天間基地の辺野古移設容認ということになるわけである。これが憲法改定につながっていくのだろう。

 これは、お金より軍事に政権の関心が移っているというだけではない。軍事にかかわる話をすることが、政治家の選挙基盤を支えると思われているということである。そうすることが世論の支持を得る状況にあると言ってもいい。

 政治の構造が変わってしまったわけである。だから、われわれも、軍事の話をして支持が広がるように、主張と活動を見直すことが求められているように思う。

 その際に大事なのは、政治の構造が変わってしまったことへの自覚である。それがないと、この世論の現状に太刀打ちできない。

 先日、岡山に行ったとき、大事な話を聞いた。伊藤真さんが講演されたそうなのだが、そのなかで、九条をめぐって、「昔は専守防衛か非武装中立化が対決点だったが、今は専守防衛か集団的自衛権かが対決点だ」というようなことをおっしゃったという。伊藤さんって非武装中立論者だと思っていたので、すごくびっくりした。でも、さすが、この問題をライフワークにしている方であって、変化への自覚があると感じた。

 そうなのである。昔は、専守防衛は反動の側に位置していたが、今それは進歩の側にあるのである。そこへの自覚がないまま、進歩的なのは非武装中立だけだと思っていると、世論から置いてけぼりをくうことになる。

 同じことは自衛隊そのものについても言えるだろう。昔は、自衛隊を認めるのは反動の側だったかもしれない。しかし現在、反動の側に属するのは、その自衛隊を「国防軍」にしようとする勢力でなのである。集団的自衛権を行使する軍隊にしようとする勢力なのである。自衛隊の専守防衛というあり方を探究するのは、大きくいって進歩の側に属するという位置づけが必要になっている。「自衛隊を活かす」ことが進歩の側にとって求められるということでもあろう。

 靖国とか普天間とか、個々の課題への対応も大事である。しかし、政治の構造全体を問題にして、政治のあり方を問い直すことが不可欠である。

 ということで、来年の私の課題は、着々と進行中。何人もの方が協力を申し出てくれて、いろいろ作業が進行中なんですが、ホームページをボランティアでつくってくれる方、いませんか? タンブラーなんか使ってかっこいいのができればいいですけど、そこまでは求めませんので。

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