日中人民の連帯のあり方

2014年2月3日

 近く、この本を出します。『魯迅の愛した内山書店』。サブタイトルは、「上海雁ヶ音茶館をめぐる国際連帯の物語」です。著者は本庄豊さん。
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 先日、中国現代文学を教える大学教授の方とお会いしたんですが、この本、これまで知られなかった第一次史料も発掘して使っているそうです。文学史的にも貴重な本になっています。

 同時に、私がこの本がいいなと思うのは、この記事のタイトルにあるような角度です。帯に「いま、日中の人々はどういう関係を築くべきか その原点がここにある」とありますが、それは私の率直な思いです。

 日中友好運動のなかでは、「日中友好」とか「連帯」とか、そんな言葉が聞かれます。当然のことです。

 だけど、そういう言葉を使っている人は、その言葉にどんな気持ちを込めているのでしょうか。もちろん、尖閣問題などをめぐって危うい関係がありますから、戦争になってほしくない、平和的に友好的にという思いがあるのは自然でしょう。問題は、どんな連帯、友好が求められるのかということです。

 魯迅の生きた時期というのは、いわゆる「対華21箇条要求」からはじまり、満州事変へと続く時代です。だから、日中連帯という場合、その中心が日本の侵略に対して、日本と中国の人民がどう連帯するかということにあったことは確かです。

 同時に、中国では当時、国民党政権が反共の立場から、抗日闘争の統一を望む人々を弾圧もしていました。魯迅も弾圧される側に身を置いていました。だから、この場合、内山書店を経営していた完造や美喜は、国民党政府と闘う魯迅を支え、連帯していたわけです。

 こうして、日本政府の侵略政策と闘う日本の人々と、国民党政府の暴圧と闘う中国の人々がいて、それが連帯し合っていた。これが当時の事情でした。この本は、そういう連帯の構図をよく描いています。

 そして、それは、いまの日中関係にとっても不可欠な視点です。尖閣をめぐっても必要なことは、領土問題は存在しないとして話し合いもしようとしない安倍政権を批判する日本の人々の闘争と、尖閣問題を力で解決しようとする習近平政権を批判する中国の人々の闘争と、それぞれを発展させ、連帯し合うというのが求められているのだと思います。

 そういう関係のさきにしか、この地域の平和と安定はないと感じます。そういう自覚をこの本を通じて広げたい。

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