大阪市長選挙の対抗馬問題

2014年2月5日

 この問題は複雑だね。結論も大事だが、それにみちびくまでの経過が大事な問題だというか。

 一般的にいって、日本のように民主主義が保証されている社会では、選挙ボイコットというのは戦術として不可だと思う。選挙の自由がないとか干渉の危険があるとか、そんな社会では、選挙に参加しないことで、選挙の正統性を問い、政府を追い詰めることは十分にありうることではあるけれど。

 もちろん、どんな問題にも例外はある。独裁国家などでのボイコット戦術だって、結局は、その戦術を際立たせることで、国際的、国内的な世論に訴え、その支持を得ようとするものだから、世論が反応しないなら、逆効果になるのだ。それと同様、ボイコット戦術が橋下市長を追い詰めるような世論形成に資するなら、あり得る選択肢だと感じる。松井府知事が、共産党が候補を立てることを歓迎する発言をしているのも、そういう不安を感じているからだろう。

 ただしかし、ボイコットを決めた自民などの思惑が、単純にそうではなさそうだということも考えなければならない。報道されているように、大阪で対抗馬をたてれば、中央で安倍政権と橋下維新との蜜月な関係がくずれ、今後の集団的自衛権問題での協力に否定的な影響があるという思惑もありそうだ。

 しかも、前回の選挙では超党派で平松さんを応援したわけであり、その後の維新の凋落ぶりをみれば、同じ構図で闘えるなら勝てる見込みがある。橋下さんを倒せる可能性があるのに候補は立てないというのでは、前回の選挙で橋下さんの当選を阻止しようとした気持ちはどこまで本気だったのかが問われることになる。

 しかし、しかし、じゃあ、超党派では無理だけど、スジを通して共産党が独自の候補を立てるという決断をしたとして、それが最良の選択かというのは、また別の問題になる。橋下さんを追い詰めたいという市民の世論が、ボイコットを支持するのか、それとも(橋下さんが当選したとしても)スジを通す方を支持するのかが、大きくかかわってくるからだ。

 それに、今回、独自の候補ということになると、次の選挙での共闘の可能性は少なくなる。候補を立てないという自民党などには、そういう思惑も渦巻いているだろう。

 そういういろいろな要素があって、考えるべきことが多いから、やはり政治というのはアートである。結論はどうあれ、そんなことをどう判断したのか、その経過が悩みなどもふくめて伝わることが、市民の支持を得る上で不可欠だと感じる。

 まず全野党の統一候補の可能性を探るというのは、現時点で考えられるベストの選択である。その結果がダメだったとして、じゃあ独自候補という判断になるのかは、以上あげたいろんな要素をどう考えるかにかかってくるので、別の問題になるけれども。

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