2016年5月27日
昨日、これが決議された。自民党は賛成しなかったが、全会一致の決議にするため、退席するという対応をとった。この意義は大きい。
今回の事件が起きて以降、いろいろな議論がされている。その中には、米軍基地があるのが根源なのだから、すべての米軍基地を撤去せよというものもある。事件の容疑者が米空軍嘉手納基地に勤めていたわけで、この間、海兵隊に焦点があたってきたのを、より拡大するという意図があるのだろう。
これは正論ではある。そういう主張をする勢力があるのは当然だ。ただし、米軍基地の全面撤去というのは、事実上、日米安保をなくせということだ。これも正論であって、そういう立場の勢力が持論を展開するのも当然である。しかし、そういう議論が野党側の主流になってしまっては、参議院選挙に否定的な影響をもたらすことになると思う。
この問題をめぐっては、世論の分裂がある。基地被害をなくすには米軍基地の撤去を望むが、日本の平和のためには日米安保がなくなっては困るというのが、おおかたの考え方である。
現在の翁長県政は、そういう世論にもとづいて成立している。安保条約をどうするかを選択肢として提示していては、沖縄といえども選挙で勝利することはできないのが現実だ。1月の宜野湾市長選挙は、普天間基地を抱える場所の選挙だから仕方なかった側面があるのだが、基地撤去を掲げる勢力と振興を重視する勢力の対決という、従来型の革新対保守の構図になってしまい、世論の多数を獲得するという点で弱点が生まれたのが敗因だと感じる。
沖縄にしてそうなのだから、全国で野党がそれなりに前進しようと思うと、より慎重なアプローチが求められる。野党で一致しているのは新安保法制の廃止ということだけであって、たとえ何らかの政権ができるとしても、日米安保が現状のまま残るわけである。共産党だって、国民連合政府では、侵略されたら安保条約第5条が発動されると主張している。そういう時に、米軍の横暴や安保の危険を主張するのは当然だとしても、全米軍基地の撤去みたいになってしまうと、野党の協力は無意味化してしまう。
一方、沖縄県議会が選択した全海兵隊の撤退というのは、そこをうまくクリアーするものだ。県議会が全海兵隊の撤退で一致するのは初めてのことであって、従来の対応をくり返していてはダメだという、現在の高まる沖縄の怒りに合致している。海兵隊はどこにいてもその役割を果たせるため、沖縄におらずともアメリカの戦略が成り立たなくなるわけではないので、日米安保の信頼性を重視する人たちを敵にまわすこともない(努力は必要だが)。しかも、地上部隊と航空部隊が離れていては困るという戦術上の要求があるので、普天間だけを移設するより合理的という側面もある。
問題は民進党がこれを受け入れるだけの度量があるかどうかだ。鳩山政権の失敗がトラウマになっていて、いまだ県内移設の立場だが、沖縄県議会の全会一致の決議の重みを真剣に捉え、政策転換することを期待したい。というか、政策転換への絶好の機会を与えてもらったと、感謝して転換してほしい。それができると、野党による安倍政権への対抗軸ができることになり、国政選挙で大きな意味をもつことになるのではないだろうか。
2016年5月26日
沖縄で事件が起きると、いつも地位協定の話になる。今回、日本の司法が及ばない公務中の犯罪ではなく、かつ日本側が容疑者の身柄を確保しているので、地位協定が捜査の妨げになることはないが、それでも地位協定の改定が焦点となるのは、この問題に悔しい思いを抱いてきた県民の気持ちが爆発するからなのだろう。
私自身は、地位協定の文面を見直すのは大事だと思うが、それよりも見直しを提起することすらできない日本政府の姿勢の問題が決定的だと、常々感じている。協定の文面の問題ではない部分が大きいというか、現在の日米関係そのものをなんとかしないと、文面がどうあれ屈辱的な事態になるというか、そういう感じだ。
たとえば、2004年に沖縄国際大学で米軍ヘリが墜落する重大事故が発生した。その際、事故直後からアメリカ軍が現場を封鎖し、日本の警察は機体が搬出されるまで現場に入れないという事態が続いた。
これって、公務中の事故だから、裁判になるとしても裁判権はアメリカにある。しかし、日米地位協定をどう解釈しても、アメリカ側の管理権が及ぶのは米軍基地のなかだけであって、日本の大学の敷地を米軍が封鎖するなんて、あり得ないことだったのだ。それなのに、日本政府はこれを容認した。地位協定をたてにして闘うことをしなかった。
なぜ米軍は日本でこんなに横暴に振る舞えるのかと、よく聞かれる。しかし、同じような米軍事故があっても、かつてはそういうことはなかった。
たとえば、1968年6月、米軍機(ファントム)が九州大学に墜落する事件があった。その時は、米軍が大学に入って封鎖するなんてことはしなかった。というか、そんなことは問題にもならなかった。
九州大学は、米軍が機体の撤去作業をすることを拒否。機体は5カ月も大学に留め置かれ、10月になってようやく日本の機動隊4000名が入って、反対する学生を排除しつつ、米軍基地までもっていくことになったのだ。
つまり、日本の領土なのだから、そして米軍基地のなかでもないのだから、そういうやり方が普通だったのである。米軍が機体の封鎖や搬送に関わることなど、誰も考えなかったのだ。
ところが、アメリカの言うことには反発しない日本政府、それを見越して横暴に振る舞う在日米軍という構図が長く続くことによって、次第に、日米地位協定さえも踏みにじられるような日米関係が出来上がってきた。それが慣習といえるほどになってきた。
要するに、何十年も経っているのだから、少しは自主的になるでしょうというのが普通の感覚だが、それが通用しないのが日米関係。何十年も従属している状態が普通になっているので、どんどん従属関係が深まっているというのが、日米関係なのだ。
どこからどうやったらそれを断ち切れるのか。かなりの力業が不可欠なのだと思う。
2016年5月25日
ちょっと忙しくて、記事が書けません。次の日曜日、大阪の柏原市9条の会で、このタイトルで講演するので、本日はそのレジメでご勘弁ください。
はじめに
一、戦争と平和の構図が変わる
1、南スーダンはどうなっていくのか
2、南シナ海はどうなっていくか
3、対テロ戦はどうなっていくか
4、自衛隊はどうなっていくのか
二、国の形の構図が変わってくる
1、国の形は簡単に変わりうる
2、戦後日本の構図──建前の憲法と本音の安保
3、本音の根源──売国と戦犯が結合して
4、現局面──意味のある建前を本音が圧倒
三、闘う側も変わろうとしている
1、イラク戦争で変化した憲法対決の構図
2、オール沖縄型保革共闘が生まれた意味
3、安全保障観の異なる共闘という初体験
4、護憲派の議論と成長が問われている
おわりに
2016年5月24日
参議院選挙に向け、野党の共闘態勢が進んでいる。32ある1人区では共闘のメドが立ったということで(取りこぼしもありそうだが)、意味のあることだと感じる。
ただ、残りの選挙区をどうするのかこそ、今後にとって決定的だと思う。残りは13都道府県で、選挙区の数としては全体の3分の1であるとはいえ、議席数は41議席と多い。それより何より、人口数からいうと、全国の3分の2くらいになるのではないか。
ということは、日本の人口の多数は、野党が共闘する様はニュースで知ってはいるものの、共闘した候補に投票するという実体験をすることができない。目の前で共闘する様を体験することもできない。野党間で話し合いが行われることすらないというのが現実だろう。
1人区では、統一候補を立てているわけだから、選挙区選挙で共闘するというだけでなく、比例選挙のやり方もそれにふさわしいもにになるに違いない。他の野党を叩いて自分を浮き立たせるなんてことをしたら、総スカンということになる。
では、複数区はどうなるのか。もちろん、全国的に共闘しているわけだから、同じ方針をとることになるのだろう。だけど、1人区は、実際に野党間の話し合いが存在していて、現在の結果になっている。複数区の場合、ずっと話し合いがされていない。
そういう状況下で、1票を争う熾烈な戦いになる。共闘しているもの同士の理性的な対応がされるにしても、政策の違いは大きいのだし、それを隠すわけにもいかない。人口の多い県というのは、野党系の労働組合等も強く、かつての確執も半端ではない。
要するに、初めての試みなのだ。そこで成功していくためには、複数区でも、意識的な野党の話し合いの場を追求することが不可欠だと思う。
実際に選挙区の状況を見ると、「自民党候補を倒して、野党候補を複数当選させよう」という方針は、一般論としては通用する。しかし、実際に選挙が近づいてきて、世論調査が出てきたりすると、「野党共倒れ」になりそうなところもありそうだ。そういう場合、それまで何の話し合いもなく、顔も見たことのないような人同士で何らかの合意を生み出すなんて、ちょっとあり得ないことだろう。
あるいは、先日、弊社で主催した白井聡さんと泥憲和さんの講演・対談で白井さんが提起していたが、京都で野党の2議席をということをめざすには、野中さんに出てきてもらって、自民党候補ではダメといってもらうくらいのインパクトが必要だ。それを野中さんにお願いしようとすれば、野党が首を揃えて野中さんのところに行くことなども、真剣に考えないといけないと思う。
複数区だから、とりあえず相手と話し合わなくても大丈夫だなどと、安心していいような状況ではない。どうなんでしょうかね。
2016年5月23日
ようやく少し余裕ができて、上のタイトルで次の本を書き始めました。以下、「はじめに」と各章の構成です。
はじめに
本書を手にとった方は、このタイトルをどのように受けとめるでしょうか。サブタイトルにある「対米従属」という言葉は、日米関係を否定的に見る立場をあらわしているので、左翼による日米両国政府批判だろうというのが、おおかたの受け止めかもしれません。
それは否定しません。しかし、筆者としては、メインタイトルにある「謎」という言葉に注目してもらいたいのです。本書は、「アメリカによる日本の支配」と表現できるほどの影響力、あるいは逆に「日本によるアメリカへの盲目的追随」といえるほどの情けなさ、その双方を批判的に捉える見地で書かれてはいます。とはいえ、本書の目的は、それを批判すること自体にはありません。そうではなく、なぜ対米従属といわれるような日米関係の実態が生まれたのか、まさにその「謎」──硬い言葉でいえば原因と背景──を掘り下げることが目的なのです。
この日本では、日米関係の現状を、全体として肯定的に捉える人が多いでしょう。世界のなかで特別に強大な力をもつのがアメリカですから、その影響をまったく受けることなしに日本が何でも決められるなどということは、現実にあり得ないことです。ですから、日米関係の多少の不平等性は容認するというのが、多くの人の実際の感覚だろうと思われます。
しかし、それにしても、日米関係の不平等性は尋常ではありません。詳しくは第一章で述べますが、よく知られているのは、日本が戦後一度も、アメリカが行う戦争に反対したことがないという現実です。
だいぶ前のことになりますが、橋本龍太郎首相(当時)が国会で、「第二次世界大戦後、我が国が国連に加盟いたしまして以来、我が国が、米国による武力行使に対し、国際法上違法な武力行使であるとして反対の意を表明したことはございません」(九七年一〇月七日)と答弁し、話題になりました。これは九〇年代までの話です。さすがに冷戦時代のことですから、アメリカの同盟国にとって、アメリカの戦争を支持しないという選択が難しかったことは理解できないではありません(不可能ではありませんでした)。
しかし、冷戦終了後、大きな変化が訪れました。NATO諸国は、二〇〇一年の9・11同時多発テロ事件後、つい最近まで、対テロ戦争が戦われているアフガニスタンに部隊を送ってアメリカを応援していましたが、これは少なくとも建前上は国連安保理決議を受けた対応でした。二〇〇三年のイラク戦争にあたって、国連安保理が一致した対応をとることができず、フランスやドイツ、カナダなどがアメリカに反旗を翻したことは記憶に新しいでしょう。
ところが日本は、同じ同盟国でありながら、これらの戦争に際して、反旗を翻すなどということは、これっぽっちも考えなかったようです。それどころか、アメリカの戦争に支持を表明するという従来型の対応にとどまらず、結局、国連安保理の決議にもとづくかどうかは考慮もされないまま、アメリカの要請に応じて陸海空の三自衛隊とも戦地に派遣するという選択をしました。こんな同盟国は日本だけです。
いや、イギリスは日本と同じだろうという人もいるでしょう。イギリスは、イラク戦争ではアメリカと肩を並べて武力を行使しましたから、日本よりももっと同盟国らしいじゃないかというわけです。けれども、そのイギリスだって、たとえばアメリカがグレナダに軍事介入をしたとき(一九八三年)、サッチャー首相がレーガン大統領をきびしく批判したのです。冷戦時代にだって、こんな対応がとれたのです。二年ほど前(二〇一四年一一月)になって明らかになったことですが、その批判を受けて、レーガン大統領がサッチャー首相に対し、事前にグレナダ軍事侵攻を相談しなかったことを「深く反省している」と述べていたことのことです。
これらの事実が示すことは、戦後、アメリカの戦争を常に支持してきたのは、世界のなかでこの日本だけだということです。日本はきわめて特異な国なのです。
こういう事実を紹介すると、いまの日本の風潮のなかでは、「日本はすごい国だ。ぜんぜんぶれないんだ」と、かえって「誇り」を感じる人が多いのかもしれません。まあでも、とりあえずそこを批判するのは、この本の目的ではないといっておきます。本書がめざしたいのは、そういう日本の「ぶれない」特異性は、なぜどうして生まれたのか、そこに興味と関心をもってもらうところなのです。
筆者が期待するのは、その「謎」が分かってくると、本当にこのままでいいのかと感じてもらえるのではないかということです。また、そこが分かるということは原因が分かるということですから、日米関係の現状から抜け出す道も見えてくるのではないかということです。では、さっそく、本論に入っていくことにします。
第一章 従属の現実
第二章 従属の原点
第三章 従属の形成
第四章 従属の展開
第五章 従属の真相
補 論 日本共産党の安全保障政策の変遷