2015年9月24日

 誰もが実感しているように、今回の闘争は、この数十年で経験したことのないものだった。量的にも質的にもそうだった。

 そこから何を導くのかが大事である。闘争というのは、結果も大事だが、相手のある闘争、しかも国会で圧倒的多数を占める相手との闘争だけに、結果は思い通りにならないことが多い。結果から何を導くかによって、結果通りで終わることもあるし、結果を覆すだけのものを生みだすこともあるのだと思う。

 安保闘争もそうだったのではないだろうか。私は、自分で体験したわけでもなく(父が参加するデモを母に手を引かれて見に行っただけ)、その後のことも実体験としては知らないが、そう感じる。

 安保闘争も、結果は、安保条約の成立であった。無力感に襲われた人も多かったことだろう。

 だけど、そこから導きだされたことが正しかったため、その後の政治に大きな影響を与えることになる。何が導きだされたかというと、安保闘争型の共闘が大事だということであり、さらにその共闘で政治を変えようということだった。

 安保闘争型の共闘というのは、労働運動では総評が中心を担い、政党では社会党、共産党が協力しあい、そこにいろいろな団体が参加するという共闘である。革新共闘とも呼ばれた。

 この共闘が各地で前進し、いろいろな運動の課題でも、同様の協力関係が実現した。ある場合は、革新自治体をつくるための選挙共闘にも発展し、東京、大阪、京都をはじめ、全国の半数の人が革新自治体に住むまでになった。

 国政レベルでは、安保条約廃棄、議会制民主主義の尊重、国民本位の経済の実現などの革新的な目標で共闘し合うことがめざされた。しかしこの共闘は、ごくごく一部を除き、実現することはなかった。また、1979年以降は、このような革新共闘は、リアルな課題にならないで30数年が過ぎ去る。

 しかし、老人医療費の無料化とか、公害を抑えるための法整備とか、いまの日本で世界に少しでも誇れることがあるとすると、その少なくない部分は、革新共闘が掲げ、革新自治体が実施しし、国政に迫ることによって実現したものだった(だいぶ崩されてはいるけれど)。

 今回の戦争法反対闘争から何を導くかに成功すれば、60年安保闘争が70年代前半までの革新の高揚期を招いたように、新しい運動と政治の局面を切りひらくことができるかもしれない。けれども、今回の闘争は、量質とも安保闘争以来のものであるとはいえ、その闘争の質は、安保闘争とはまったく異なるものであり、かつて経験したことのないものだ。だから、過去の経験に頼って教訓を導きだすという手法をとるなら、新しいものは生みだされないかもしれない。(続)

2015年9月18日

 昨日、昼過ぎに東京に着いて、まず国会へ。夜が本務だとしても、現場の感覚を知っておかないとね。

 議員会館の方に出たのだけれど、目に入ってきたのは、「頑張れ 安倍総理」の横断幕だった。「ガンバレ、あべそうり〜♭」って、歌まで歌っている。そうだよね、相手だった必死。

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 参議院の方に進むと、パラパラと人の集まりが見えた。これは革マル。私、彼らに嫌われて、何度も機関紙で叩かれているので、見つからないように退散。

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 で、集会が開かれる国会正門前に行くため、国会図書館の前を回るんだけど、ベトナムの国旗が掲げられている。かつてベトナム戦争反対、ベトナム人民との連帯を重視した平和運動がいちばんの高揚を見せる日に、戦争法案を支持するベトナムの国旗をたなびかせるなんて、安倍さんの高等戦略なのかなあ。

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 いったん職場に戻り、仕事をして、6時半からの集会。すでに人が一杯で、端っこにいたのだけれど、人が増えて車道が解放され、端っこにいた順に前に進んだので、いちばん先まできてしまった。警察官が集中している場所で、汚い言葉を投げつける人もたくさんいて、聞くに堪えないところもあったけど、それを諫める人もいたりして、この集会の多様な性格が表れていたと思う。

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 そういうことも含め、壇上で話す人の言葉なんかをナマで聞けて、考えることが多かった。シールズに対して「熱狂」という言葉で表現する人もいるけれど、いちばん熱狂する場面でその言葉を聞くと、熱狂というより冷静という言葉が似合っていて、これは現場に来なければ分からないことだと感じた。

 またこの日、委員会で採択されたという局面だから、当然のことだから、次にどう進むかという観点での発言が多かった。全体としてアベ打倒、参議院での自公落選というスローガンが主流だったし、多くの人がそう思うのは自然だろうけど、これはなかなか難しい問題だよね。来週以降、この問題は、このブログで本格的に論じたいと思う。

 とにかく、本日も夕方から国会。では、来週。

2015年9月17日

 それしかないでしょ。人波に揉まれながら、この闘いから何をくみ取るのか、どうすれば前に進めることができるのかを、じっくりと考えてきます。見かけることがあったら、声をかけてくださいね。

 それにしても、よくよく考えなければならない問題はいくつもありますが、最大のもののひとつは、中国にどう対応するかという問題で、十分に説得力のある提起ができていないことかもしれません。ベトナム共産党の書記長が来日し、安倍首相との会談がありましたが、名指しはしないものの、南シナ海で中国の行動に憂慮していることは一致するわけですよね。日本はベトナムに巡視船を提供することを約束し、ベトナムは日本の新安保法制(明示はしないけど)への支持を表明するという関係です。

 一方、日本の戦争法案反対勢力のなかでは、中国の行動を批判すべきでないという人もいれば、批判はするがそれに対処する側は警戒監視程度であっても軍事力は使ってはならないいう人もいれば、警戒監視程度は当然だという人もいます。いろいろな考えがあっていいんですが、ベトナム共産党が戦争法案を支持するのを翻意させることができないようでは、盛り上がった反対世論をさらに前に進めることも簡単ではないでしょう。

 「自衛隊を活かす会」は、この南シナ海の警戒監視とか、南スーダンPKOに派遣されている自衛隊の任務変更とか、今後予想される具体的なケースを取り上げ、検討していく予定です。それに加え、戦場に派遣される自衛隊員の法的地位をめぐる問題も、本格的に研究し、問題提起するつもりです。

 出版分野でも、いろいろ準備しています。国会終了後、最初に世に問う本は、『「開戦前夜」のファシズムに抗して』。山口二郎、想田和弘、森達也、白井聡さんをはじめ豪華執筆陣で、帯文は鳥越俊太郎さん。乞うご期待ですね。

 やるべきことが山積みで、やりがいがあるというか、年をとればとるほど忙しくなるというか。いい時代なのかな?

2015年9月16日

 東京裁判は、やはり勝者の裁きだったと思います。それ以前も、侵略して植民地を獲得した欧米列強があり、それ以降も、アメリカやソ連などが侵略をくり返しましたが、結局、裁かれたのは日本だけ(とドイツ)ですから、そこは言い逃れできません。

 でも、もし日本が裁かれなかったら、いったいいまの世界はどうなったでしょうか。改めて言うまでもなく、1998年に国際刑事裁判所がつくられ、2010年には侵略の罪が最終的に定義されて、裁かれる体制が整いました。これが実効的なものになるには、30カ国の批准が必要ですし、たとえそうなっても批准しない国には適用されないなどの問題が残るにしても、体制がつくられたことは事実です。

 戦後65年もかけて、なぜそんなものがつくられたかというと、東京裁判が勝者の裁きだったことが自覚されていたからです。侵略の罪が犯されたとして、それを裁くのに常設の裁判所ができていないと、東京裁判の間違いをくり返すことになると自覚されていたから、いろいろな困難を乗り越えて努力が積み重ねられたのです。

 逆に、あの時、日本を裁かないとなっていたらどうでしょうか。5000万人の犠牲を生みだした第二次世界大戦のようなことがあっても、その戦争を引き起こした国の指導者は罪に問われないなら、極端な話ですが、何百万人かが死ぬ程度の戦争が起きても、その責任を追及する道理はどこにもないということになったでしょう。国際刑事裁判所をつくる機運も生まれなかったのは確実です。

 つまり、重大な欠陥を抱えつつも、東京裁判があったから、私たちは侵略は許されないものだという認識を共有できている。そして、侵略を裁く裁判所をつくるという合意までできたということなのです。

 こういう経過があるから、日本は、東京裁判を受け入れた国として、本来ならば、侵略する国があればそれを国際刑事裁判所に告発し、断罪させるだけの道理をもつ国なのです。東京裁判はおかしかったと言い続ける国だったら、他の国の侵略を裁くこともできません。裁判の結果を潔く受け入れていることをもっと強調することが、日本が世界から侵略をなくすイニシアチブを発揮する国になる上で、どうしても必要なことです。

 そうなんです。だから、東京裁判への「勝者の裁き」という批判に対して、同調してもいいんだと思います。その同調する世論を、どうやって味方にしていくかという観点が大事なのではないでしょうか。というか、「勝者の裁き」というのは事実ですから、そこに反発してしまうと、本来は味方になる人を相手側に追いやってしまうのです。

 そして、考え方の異なる相手であっても、どこかで気持ちが通じ合うところがあれば、対話は成り立つのだと思います。いつも言うことですけれどね。

2015年9月15日

 アマゾンの在庫がなくなり、「通常2~4週間で発送」の表示になっていますが、弊社とアマゾンは、週に3回納品するという契約になっています。したがって、アマゾンが通常の仕事をしている限り、発送がそんなに先に伸びることはありませんので、ちゅうちょせずにご注文を。

 さて、安倍さんたちは、日本の侵略と植民地支配が誤りだったと認める歴史観を「自虐史観」と名づけ、日本の栄光を讃える「栄光史観」とでも言うべき歴史観を広めてきました。これはもともと広がりやすい性質のものです。

 なぜかといえば、「日本はひどい国だった」という見方と、「日本はいい国だった」という見方が対立すれば、ふつうは「いい国だった」と思いたいという心情が人にはあるからです。しかも、「いい国だった」というのは間違いではなく、植民地にされなかったということも、経済大国になったということも、誇るべきことです。だから、「自虐史観」と「栄光史観」が争えば、「栄光史観」が勝つに決まっているのです。

 たとえば東京裁判の問題。一方の「栄光史観」の側は、これを勝者の裁きと批判し、欧米の侵略は裁かれなかったのに、日本だけが裁かれたのはおかしいと断罪します。他方、「自虐史観」の側は、昭和天皇が訴追の対象にもならなかったことや、A級戦犯容疑者だった岸信介が裁かれなかったことなどを取り上げ、日本はもっと裁かれるべきだったと指摘するわけです。

 対立構図がこのようになってしまうと、天皇を裁けという人はほとんど存在しないわけですから、自虐史観の分が悪くなるのは当たり前。しかも、「栄光史観」が指摘することのなかにも大事な問題があって、人の心を捉えます。

 たとえば、日本の朝鮮半島支配の第一歩として記憶される江華島条約ですが、これを砲艦外交だとしてアメリカが抗議してきたのに対し、日本は「ペリーが日本にやったのと同じことで平和目的ですよ」と反論したそうです。その後の日本の侵略は、同様の感覚でやられたのでしょう。しかし、欧米は裁かれなかった。

 栄光史観が心を捉えるのは、そこに何らかの真実があるからです。栄光に対して自虐を対峙しても、栄光史観にそまった人の心は変わりません。

 東京裁判についても、だから私は、それが「勝者の裁き」であることは、率直に認めなければならないと考えます。そこをちゅうちょしていると、栄光史観の跳梁を許すことになる。

 東京裁判が勝者の裁きであるという前提の上で、そのことのもつ積極的な意味がどこにあるのかを論じるのでないと、栄光史観に影響を受けている圧倒的な人を説得することはできません。「栄光」VS「自虐」という、負けがはっきりしている対立構造を崩すこともできません。(続)