2014年7月15日
以下のようなプロジェクトを仲間で考え、わずか1日で呼びかけ人の賛同を得て、一昨日からスタートしました。運動と本の新しい合流形態として、今後のことも考え、全力でやりたいと思います。ご協力をお願いします。
2014年7月13日
呼びかけ人
池田香代子(ドイツ文学翻訳家)
池辺晋一郎(作曲家)
伊勢﨑賢治(元国連平和維持軍武装解除部長、トランペッター)
羽柴 修(兵庫県9条の心ネットワーク事務局長、弁護士)
柳澤 協二(元内閣官房副長官補、「自衛隊を活かす会」代表)
私たちの友人、泥憲和さんが本を出すことになりました。泥さんのこと、ご存じですよね。元自衛官で、最近、集団的自衛権に反対する街頭演説をネットにアップしたら、またたくまに拡散され、何万人もの賛同が寄せられました。
泥さんはこれまでも、憲法九条がどんな意味をもっているかとか、ヘイトスピーチがどんなに卑劣かなどについて、すごく考え抜き、調べ抜いた末の独自の語り口で、ネット言論を展開してきました。同時に、リアルな世界でも、九条の会やカウンターの行動でよく知られた存在です。
そういう泥さんを生みだしたのは、自衛官、土方仕事、弁護士事務所勤務での経験を通じて、弱いもの、差別されている人、自分で声を上げられない方々と気持ちを通い合わせてきた彼の人生の歩みそのものです。
今度の本では、そういう泥さんの主張と生き方を一体のものとして、多くの読者のみなさんにお届けしたいと思います。題して、「ケンカの仕方教えます──反戦・反差別の闘い方」(9月末発売予定、予価1800円+税、かもがわ出版)。
そんな泥さんの本ですから、きっと共感を誘うでしょうけれど、残念ながらまだ無名。確実に出版にこぎつけるため、みなさんのご支援をお願いすることになりました。本にあなたの名前を印刷し、本ができたらサイン入りでお届けした上に 、出版記念講演会には無料でご招待します。そういう条件で、5000円のカンパをお願いできませんか。
この日本を何とかしないとダメだ、そのために自分には何ができるだろう──いま、多くの方がその気持ちを共有していると思います。そのお気持ちを、ぜひ、この出版へのご協力としてあらわしてください。よろしくお願いします。
なお、カンパは、以下の郵便振替口座へお願いします。その際、本に印刷するあなたのお名前とお届けするご住所を正確に記入してください。
【郵便振替口座】加入者名:市民社会フォーラム 口座番号:00980-3-164520
※通信欄に「泥さんの本協力金」と記載ください
一次締め切りは8月10日
お問い合わせは、市民社会フォーラム(civilesocietyforum@gmail.com)
または、かもがわ出版(TEL075-432-2934 FAX075-417-2114)まで。
2014年7月14日
滋賀県知事選挙の結果は意味がありますね。どの党派がということにこだわらずに見ればということですが。
ひとつは、いうまでもなく、集団的自衛権の閣議決定が、この結果に影響しているということです。石破さんなども認めていることですからね。これから秋、福島と沖縄の県知事選があり、来年の統一地方選挙にむかっていくわけで、われわれが追撃の手を緩めなければ、政権をおびやかす結果になるかもしれません。
もうひとつは、段階的な脱原発ということなら、多数を占められるということです。原発の即時廃止は総選挙でも多数にはならなかったわけですが、ここで工夫をすれば、現実政治を変える力になることが見えてきました。
結局、安倍さんを退陣させると息巻いてみても、退陣後の政権構想、政策構想をどう描くかということを抜きにしては、現実の力にはなりません。ここで何回も書いてきたとおりです。
その政権構想、政策構想が、地方選挙といえども定数1の奪い合いで多数の支持を獲得し、自民党に勝利するようになるなら、二年後に予想される国政のダブル選挙で安倍さんが勝つ保障がなくなります。そして、そうなれば、自民党のなかにも、安倍さんの政策路線とは異なる道への模索がはじまるのだと思います。
ということで、次の焦点は、福島(10月)と沖縄(11月)ですね。このふたつは、かなり特殊なケースで、自民から共産まで含めて、安倍路線と対決する候補者づくりの話しが進んでいます。それに対して安倍さんが焦っていて、その前に拉致被害者といっしょに北朝鮮から帰国する図を描きたいとがんばっておられるわけです。
でも、拉致被害者が帰国するならそれはとってもうれしいことですが、だからといって安倍さんの後押しにはならないでしょう。拉致問題が解決に向かうことは、北朝鮮との国交正常化への第一歩ですから、集団的自衛権を推進する論拠が薄くなるということでもあるのですから。
ということで、私は、予定通り、その政策構想のうち、集団的自衛権に変わる防衛戦略づくりに邁進します。「自衛隊を活かす会」の次回シンポジウムは、来週の土曜日です。
脱原発の方は、段階的な道筋ということで、ほぼ決着しつつあると思います。国政選挙に通じる政策としてどなたかに具体化してほしい。
2014年7月11日
6月20日に発表されたとき、ザッと目を通しただけだったのを、本日、真剣に見た。なんといっても、新聞の小さな活字で2ページにもなるものだから、すぐに読み通すのは、仕事しながらだとつらいからね。
まあこれは、タイトルを見れば分かるように、河野談話とかアジア女性基金とかについて、韓国政府がいったんはOKといったものが覆っていく経過を検証したものだから、その意図と無縁に読むものではない。韓国政府には道理がないよなということが、読んでいくと実感できるようにできているからね。
ただ、そういう意図と離れて読むと、なかなか面白い読み物ではある。ご一読をお薦めしたい。
まず面白いのは、外交交渉というもののやり方というか、醍醐味というか、それがリアルに伝わってくることだ。「ああ、こういうやりとりをしているのだなあ」って、ふつうに暮らしていると分からないものね。
とりわけ、慰安所の設置、慰安婦の募集に関して「強制」があったかなかったか、その文言をどうするかについてのやりとりである。双方の立場をどう貫くか、どこまでなら妥協できるのかについて、想像できる範囲のことだったけど、詳しく書かれている。軍による強制なのだから「指示」という言葉は使えという韓国側と、強制したわけではないから「要望」だという日本側と、最後に「要請」で落ち着くという経過とか。
でも、そうやってできた妥協の産物であっても、全体として出来上がった河野談話は、高く評価されるものになったわけである。妥協をバカにしてはいけない。
それと、もうひとつ面白かったのは、河野談話の基本的な骨格は、慰安婦に対する聞き取り以前に出来上がっていたということだ。慰安婦に対する聞き取りは、談話の内容をつくるためというより、真相究明に対する日本政府の真摯な姿勢を示し、慰安婦の気持ちによりそい、それを理解するために行われたという事実である。
これって、事実上、河野談話を否定する右派への批判ともなっている。だって、右派は、この慰安婦の証言がデタラメだらけで、その証言のうえに河野談話ができたのだから、絶対に信用できないと主張してきているからである。
そう、河野談話の水準は、それ以前の政府による調査によって明らかだったのだ。それって、防衛省をはじめ関係省庁における文書の調査、アメリカの国立公文書館での文献調査、軍関係者および慰安所経営者等への聞き取りの結果なのである。
そういう調査で河野談話ができたのだから、とってもデタラメとは言えないだろう。この経緯を発表したことについて、右派の言論をおさえるという意図が安倍さんにあったとは思えないが、たとえ別の意図があったとしても、ちゃんと事実関係を検証すると、こういう結果も生まれてくるということなのだね。
やはり、歴史の検証って、事実関係をリアルに調べることは大事だ。政治的な要請によって過去の事実を隠したり、歪めたりすると、判断に大きな誤りが生まれるだろうね。
2014年7月10日
いやあ、きょうの毎日新聞にはびっくりしたなあ。政府与党内の法案化作業のことである。集団的自衛権を発動して自衛隊が海外に派兵されるとき、その根拠を自衛隊法第76条にある「防衛出動」におくとのことなのだ(少し条文を緩和してだけど)。その理由について、以下、毎日の報道の引用。
「7月1日の閣議決定は、集団的自衛権を「わが国を防衛するための自衛の措置」としており、新たに認める自衛隊活動は「他国防衛」ではないことを条文上明確にする狙いがある」
ぐちゃぐちゃだね。他国への攻撃でも日本の存立が脅かされるような事態があるからとして、集団的自衛権の解釈改憲が強行された。だけど、そんな事態があるとすれば、それは集団的自衛権ではなくて個別的自衛権だろうと批判され、閣議決定は両者がごちゃまぜになっている。
閣議決定の段階なら、意味が分からなくなっても、いろいろな要素をいれるだけいれて、「個別的自衛権っぽくで公明も満足」「集団的自衛権という言葉があるから自民も満足」ということでよかったのだ。だけど、法律にそれを落とし込むとなると、いろいろ矛盾が出てくるよね。
自衛隊法って、「日本への武力攻撃が発生」したときに自衛隊が防衛出動するわけだが(76条)、その範囲は、じつは少し広い。正確に引用すると、「我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態」なのだ。
一方、閣議決定は、集団的自衛権の発動要件を、こう規定する。「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」である。
そうなのだ。現行法の個別的自衛権は、「明白な危険が切迫している」場合に発動される。一方、集団的自衛権は、「明白な危険がある場合」に発動される。
「切迫」というのは、誰もが理解するように、迫っているということであって、まだ危険がない場合も含む。しかし、集団的自衛権というのは、「危険がある場合」に限られるのだ。
ということで、世論の批判のなかで、個別的自衛権の発動要件よりもきびしいと思えるような要件を集団的自衛権に課してしまった。だから、自衛隊法の防衛出動のなかに取り込むしかないという判断なのだろう。
そして、これも閣議決定にあるけれど、それを「国際法上は、集団的自衛権」だといって、アメリカに胸を張る。日本国民には「我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置」と弁解する。
いやはや、ご苦労なことである。防衛省筋からは、本当に法案化ができるのかという懸念の声も聞こえてくる。もちろん、そこを強行してくるのだろうけど、できあがった法案は、矛盾だらけのぼろぼろのものになる可能性がある。闘い甲斐があるよね。
2014年7月9日
いま当時の状況を調べている。たとえば、河野談話(93年8月4日)の翌日、いくつかの新聞が社説を掲載している。この社説、どこだか分かりますか。
「広い意味とはいえ、「強制性」があった以上、その意に反して慰安婦とされた女性たちの苦痛と恥辱は計りしれまい。彼女たちの名誉回復のためにも、事実を公表したのは当然のことだ。
河野官房長官が「心からのお詫び」と反省の意を表明したのも当然だ」
……
ともあれ「強制性」を認め、謝罪したからには、謝罪を形であらわす何らかの措置が必要だ。
補償問題は……一連の戦後処理で法的には決着済みだ。……
だが、法律論だけですまされる問題でないことも明らかだ。新政権は関係国政府、関係者と協議し、わが国、国民の気持ちが伝わるような措置をとってほしい」
これは読売である。読売だけではない。日経社説も同じようなものだ。
「その(河野談話)中で軍による慰安婦の強制連行があった事実についても、遅ればせながら初めて認めた。元従軍慰安婦の痛ましい傷跡をいまさら消し去ることはできないが、五日にも発足する新政権は今回の調査結果を踏まえて、問題の最終的な解決に向け速やかな対応とできるだけの誠意をみせるべきだ」
産経は、社説ではとりあげなかった。代わってというか、「正論」欄執筆者の一人であった上坂冬子が、談話のようなものを寄せている。
「全体的に詰めが甘いとか、これでは強制連行の事実を認めたことにならないとか、補償をどうするつもりか、肝心な問題にこたえていないなどという反論は当然おきるだろうが、私としては政府の談話としてはこれが限度であろうと判断している。おそらくこの談話は国家間レベルでの区切りを意味するものとなるのではないか」
「限度」として容認したということである。翌月の「正論」(9月2日)には、同じ上坂が、もっと積極的な寄稿をしている。
「近年、稀にみる名文といってよい。相手方のささくれ立った気をしずめ、同時にこちらとして外せないポイントだけはさりげなく押さえて、見事な和解にこぎつけている」
そうなのだ。当時の国民世論は、こうした右派も含め、慰安婦問題をなんとかしないといけないと考えていた。読売が明示的に書いているように、条約で法的には決着済みだが、法律論ではおさまらないと考え、なんとか政治的に決着させたいと考えていたのである。
ところが、左翼の側というか、市民運動の側は、河野談話をはげしく否定した。いちいち名前をあげないが、当時の新聞をみると、「早くケリをつけたい政府の意図がみえみえ。……だれも納得しないのではないか」などきびしい声が寄せられ、犯罪として責任者の処罰を要求する団体もあった。某政党紙も、「被害者……などから事実をつきつけられ、(談話で)その一部を認めざるをえなくなっても、天皇政府・軍部による国家犯罪を執ように隠ぺいする政府の態度は基本的に変わっていない」と、河野談話をはげしく批判した。
しかし、紹介した各種の論調を現在の目でみれば明白なように、みんなが河野談話の線で決着させようと努力していたら、あの時点でなんとかなったはずである。左派が、河野談話を否定し、問題を質的に異なるレベルにもっていこうとしたが故に、右派や中間派はついてこれなくなって、河野談話を否定するまでになってしまった。
いま、左派は河野談話を珠玉のものとして擁護している。態度が変わったのはいいことなので問題にするつもりはないが、では、当時は河野談話で決着させようとしていた右派、中間派をどうやって納得させられるのか。重い課題が突きつけられている。