2013年9月18日
シリア問題はアメリカの軍事攻撃が遠のいたということで安心する人も多い。しかし安心などもってのほかだ。
だって、当面、軍事攻撃されないということで、安心しているのはアサド政権だろう。このままでは、化学兵器を使わない限り、国内の弾圧が見逃されるという構図になりかねない。
国際的にみても、シリアで化学兵器が使われたが、とくに誰も罪に問われなかったということになれば、化学兵器使用のハードルが下がってしまう。化学兵器の保有が疑われる北朝鮮を前にして、日本国民の心配も増大するだろうと思う。
この問題では、化学兵器禁止条約があるが、その条約に違反したからといって、とくに罪に問われるような規定が存在しないことが欠陥だといわれる。条約に加盟しなければ、そもそも拘束もされないしね。
しかし、別に化学兵器禁止条約でなくてもいい。有効なのは、化学兵器を使用した罪で国際刑事裁判所に訴追することだと考える。
国際刑事裁判所はすでに機能しているが、そこでは四つの罪を裁くことになっている。その一つが「人道に対する犯罪」である。裁判所規程は、この罪を以下のように定めている。
「人道に対する犯罪」とは、文民たる住民に対する攻撃であって広範又は組織的なものの一部として、そのような攻撃であると認識しつつ行う次のいずれかの行為をいう。
(a)殺人(以下、略)
そう、化学兵器の使用というのは、明白な「人道に対する犯罪」である。それを使用すれば広範で組織的な攻撃になることが、使用者にとっても認識できることが明白な行為なのだから。
もちろん、もしアサド大統領が使用に責任があるとしても、起訴することはできるが、現職の大統領を強制的にハーグの裁判所まで連れて行くことは、実際にはできない。しかし、自分たちの大統領が国際的にみても裁判にかけられるほどの犯罪者なのだという認識がシリア国内で広がることは、政権打倒をめざす運動にとっても励みになるだろう。それに、訴追を免除する代わりに、大統領職を辞して亡命するという取引に使うことも可能になる。
いずれにせよ、実際に化学兵器が使われるという重大な犯罪があったわけで、それに対して軍事攻撃ではなく「法による裁きを」という世論と運動が不可欠だ。そういう世論が形成されることは、それなら核兵器の使用も裁判にかけられるべきだという世論の形成にもつながっていくしね。
2013年9月17日
今月のはじめ、福島に行ってきたんです。直接には、来年3月に福島市で開催する企画の相談ですが、その機会にいろいろな方とお会いしてきました。
そもそもどういう企画にするのかという点で、これが難しい。だって、福島で暮らす人びとの気持ちに合致していて、「これなら参加したい」となってもらわなければなりませんから。
行く直前、汚染水問題が表面化していました。今年と昨年は、相馬市で企画を実施したのですが、相馬は漁港があり、関連の製造、流通の仕事をしていた方も多いところでした。まだ漁業の仕事はできないけれど、希望くらいはもちたいという気持ちになっていたときの汚染水問題ですから、関係者の落胆は容易に想像できます。「絶望」という言葉を使う方もいます。汚染水問題は騒がれていますが、われわれの批判というものが、そういう人びとのリアルな気持ちに合致したものになっているでしょうか。
一方、来年は福島市ですから、ここで暮らしている子育て中の家族というテーマを避けて通ることはできません。そこを避けたら、開催する意味がありませんものね。
ところが、実際にお話をしてみて、自分の認識の甘さや弱さを自覚させられました。なんだか、外から応援するとか元気づけるとか、そんな気持ちになっていたかもしれない。福島の人びとには、自分で考えて、自分で決定し、自分で立ち上がる力があるんですよね。そこを忘れてはならないと自戒しました。
そういうことが分かるのも、原発事故以来、うちの会社がたくさんの関連書籍を出してきたことです。そこで福島の人びとともつながっていることです。
たとえば最近も、『あの日からもずっと、福島・渡利で子育てしています』という本を出しました。佐藤秀樹さん、佐藤晃子さんというご夫婦が書かれた本です。
このお二人は、原発事故直後に出した『福島は訴える』という本でも登場されています。まだ事故から半年という局面で、福島で子育てする問題をこれだけ本質的に捉えることのできる人はいないと思って、そのうち単著をと願っていたのですが、それが適いました。
本を出したあと、「やっと自分たちの気持ちのことを書いた本が出た」と評判になっています。そうなんですよ。外からじゃなくて、自分たちで訴え、自分たちで変えていかなければなりません。今回も、このお二人から、そういうことをいろいろと教えていただきました。
ということで、福島の企画も、そういう観点で準備していきます。協力してくださる方はたくさんいますので。それに、この企画、まだ公になっていないのだけど、ネット上のつながりで、「自分も出演したい(音楽が半分以上を占めるんです)」との声が広がっていますし。
それにしても、福島でいろんな方とお話しして感じたのは、将来の総理大臣はみんな福島から出るのではないかということでした。だって、事故を経験したことによって、考えることの広さと深さが尋常ではないんです。これまで医療の専門家だった方も、放射線の影響はこうですよという話だけを患者にしても仕方なくなっていて、この地域をどう復興させるのかという展望も患者に語る必要が出ていて、すごい勉強をしています。要するに、総理大臣になったつもりで考えておられるようなものです。そういう人びととお会いすると、こちらが勉強になるので、これからも月一回、福島に行く予定です。
2013年9月13日
今週はこのテーマばっかりだったですね。まあ許してください。来週の17日(火)、安倍さん肝いりの「安保法制懇」(集団的自衛権の行使を提言する有識者懇談会)が再開され、短時日のうちに提言を出す予定になっているので。
そして、その17日が『集団的自衛権の深層』の発売日。「安保法制懇が再開 集団的自衛権行使を答申へ」というニュースが流れ、本屋に行ってみたら、私の本が並んでいるという算段なんですけど、どうなるでしょうか。それで『憲法九条の軍事戦略』までふたたび注目されるという、なんとかの皮算用。生まれて初めてですが、私の本のワゴンセールをやるという本屋も大阪にあるそうで、見に行かなくっちゃ。
さて、冷戦終了後の集団的自衛権発動事例を検討してみて、いちばん感じるのは、やはり冷戦時代との違いです。連載初期に書いたように、冷戦期の集団的自衛権というのは、米英仏ソという超軍事大国が海外で軍事行動を展開するための根拠だったわけです。どの国も行使するのが集団的自衛権だなんて安倍さんは言うけれど、実態は違っていました。しかも、その軍事行動は、ほとんどすべて「自衛」とは関係のない侵略行動のようなものでした。
冷戦が終了して、様変わりしました。特定の国が勝手に軍事行動するのに集団的自衛権を使う時代が終わり、国連がオーソライズするようになった。でも、湾岸戦争に見られるように、集団的自衛権を国連がオーソライズするということは、「侵略があった」ということを安保理が一致して認定したということです。
そして、安保理が一致するということは、もう各国が勝手に発動する集団的自衛権は不要だということです。「侵略があった」という認識で一致するわけだから、行動も一致してやれるのです。湾岸戦争はそういう戦争でした。
そして実際、湾岸戦争後、いろいろ失敗も多かったけど、その方向で努力が進んできたのです。ところが、そういう流れを断ち切って、いっしょにやろうとしていたのに、報復感情で突っ走ったのが9.11をめぐる対テロ・アフガン戦争だったのです。
こうして、冷戦時代も冷戦後も、集団的自衛権の実態というのは、どう見ても否定的にならざるを得ないものです。ところが、そういう現実にふたをして、世界が集団的自衛権を求める方向に変化していて、日本もそれに対応しなければならないと虚構の論理で突き進んでいるのが、安倍さんとその取り巻きというわけです。
学者のなかにも集団的自衛権を認める人はいます。しかし、そういう学者であっても、集団的自衛権が濫用されやすい権利である程度のことは、最低でも言っています。ところが、安保法制懇の報告書にはそういうことが一言も出てこないし、そういうものしか読まない安倍さんは、疑ってもいないんでしょうね。
ということで、あとは、発売される本をどうぞご覧ください。よろしくお願いします。
2013年9月12日
湾岸戦争が国連に授権された戦争、対テロ・アフガン戦争が個別的・集団的自衛権にもとづく戦争と、性格に違いが生まれたことは、前回書いたように、その終わり方に大きな違いをもたらした。前者は、イラクをクウェートから撤退した時点で終了し、後者は、政権打倒まで戦われた。
そうした違いは、戦争後の国際社会の構造にも、大きな違いをもたらした。アメリカ(西側)とイスラム社会の関係である。
湾岸戦争においては、国連安保理の3カ月にわたる議論を通じて、イスラム諸国をふくむ合意が形成されていった。もちろん、アメリカがあの地域に展開することを心から歓迎するのは難しかっただろうが、いろいろな国の仲介努力にもかかわらずフセイン政権が頑としてクウェートから撤退する意思を見せないという現実のなかで、次第に「軍事行動やむなし」の雰囲気がイスラム諸国にも生まれていく。
最後の局面でフランスが和平交渉で解決するための提案をおこない、それが十分に考慮されたなったという点では、平和交渉努力が最後まで貫かれたかという問題は残したが、多くのイスラム諸国も同意する戦争となった。もし、国連決議を超えて、イラクを占領するような戦争になってしまったら、その同意も揺らいだだろうが、そうはならなかったので、アメリカとイスラム諸国の関係に溝が生じることはなかったのである。
ところが、対テロ・アフガン戦争においては、多くのイスラム諸国が「法による裁き」を主張し、そのために経済制裁に取り組もうと努力をはじめたときに、その努力を踏みにじるかたちで戦争が開始された。その結果、アメリカとイスラム諸国の深い亀裂が生まれることになる。
そういう亀裂を背景にして、タリバンが復活し、周辺諸国でも勢力をつよめ、アルカイダなどと結んで地域はどんどん不安定化している。アフガニスタンでは、どう転んでも、最後はタリバンの政権への復帰しか道はないだろう(単独政権ではないかもしれないが)。結局、この戦争は、打倒したタリバン政権の復活で終わるのであって、いったい何のための戦争だったのかという深い悔恨を残す結果になるだろう。
こうやって集団的自衛権というものの問題点が目の前で進行しているのに、安倍さんや自民党は、それについて何の考察もしないまま、ただただ集団的自衛権を行使できる国になるのだと、気分を高揚させているのである。集団的自衛権のことを議論している安保法制懇の何年か前の長い報告にも、過去の集団的自衛権の行使がどういうものだったのかについて、1行の言及もない。(続)
2013年9月11日
前回書いたように、9.11をきっかけとしたアメリカとNATOの戦争に対して、湾岸戦争は国連決議をふまえた戦争となった。
これを国連の戦争とまで言えるかについては、当時からいろいろな論争があった。国連憲章が想定している国連の戦争とは、あくまで国連軍が結成され、常任理事国各国から選ばれた参謀で構成される「軍事参謀委員会」が戦略的指導をおこなうようなものだった。ところが湾岸戦争では国連軍は組織されず、各国が国連決議を受けて自主的に軍隊を派遣し、いわゆる「多国籍軍」が組織されたわけだ。軍事参謀委員会による戦略的指導などはされず、事実上アメリカが指揮することとなった。
国連憲章の想定とはあまりにかけ離れていたということで、その後、ソマリアに国連が軍事介入を決めたときは、国連の特別代表を決め、全体の統括をおこなうような仕組みをつくった。その統轄下に入るのがいやで、アメリカは独自の部隊を派遣し、惨憺たる結末を迎えることになるのだが。
しかし、国連憲章の定めとは異なっていたとはいえ、この戦争が個別的・集団的自衛権の発動でなかったことは確かである。アメリカは、ソ連崩壊後の世界で覇権を握ることをもくろんでいたが、そのためにはこの戦争において、国連の総意をふまえて米軍等が戦うことをめざした。だから、当初の安保理決議の個別的・集団的自衛権の確認にとどまることなく、武力の行使を安保理決議で認められるよう全力をあげたわけである。
この経過と結末は、ふたつの点で重要だと思う。ひとつは、安保理決議にもとづく戦争になった結果、多国籍軍の行動も決議にしばられたことである。
安保理決議が一貫して求めていたのは、イラクのクウェートからの撤退であった。その目的を実現するため、武力行使を各国に授権したのである。それを超えて米軍がイラクに攻め入ることなどは、決議の枠内のことではなかった。
そして実際、多国籍軍は、イラクをクウェートの領域から追いだした時点で、戦争を終了させたのである。アメリカは、この時点から、フセイン政権の打倒をめざしてはいたが、世界的な支持を得ようとすれば、決議の枠内で行動するしかなかったという側面がある。自衛権にもとづく戦争は歯止めがなくなりやすいが、この場合は、歯止めがあるということだ(もちろん、守らない国は出てくるだろうが)。(続)