2013年9月3日
仏教大学で行われたものがテキストになっていて、読む機会があった。講義の日付は2006年1月14日だ。2年間、神仏習合について講義してきて、その最終の講義である。
そのタイトルがステキ。「マルキシズム」なのだ。
神仏習合だから、外来の文化が日本にどう入ってきて、どう変容し、取り入れられていったのかが、2年間の講義の流れだったのだろう。そして、明治以降に入ってきたものとして、プロテスタンティズムとマルクス主義があるが、そのうち影響の大きかったマルクス主義を取り上げるということであった。
もちろん、加藤さんが講義した2006年の時点では、すでにマルクス主義ははやっていない。だが、加藤さんは、流行っていないことが原則として好きだとして、しかも危険性を伴わない思想というものはないのだと前置きでのべて、以下、マルクス主義を論じているのである。
以下でのべられた中身が面白い。マルクスの理論の核心はどこにあるのか、日本でなぜマルクス主義があれほど受容されたのか、その受容のされ方のなかに影響を失う要素がなかったのか、等々。とっても今日的である。
だが、その中身は、ここでは書かない。だって、本にしたいので。これ以外に、いくつかの大学の最終講義、その他の最終講義をまとめたい。
今年の12月は、加藤さんの没後5周年だ。私がこの会社に入ったのは加藤さんの晩年で、ほとんどお話しする機会がなかった。本をつくらせてもらう機会もなかった。だからこの本、どうしても自分でつくりたいと考えている。楽しみにしていてください。
2013年9月2日
この問題は、軍事攻撃が正当化されるかどうか、という角度で議論されることが多い。化学兵器が使用されたからといって、他国が武力を行使することを認める国際法は存在していないとか、人道上の重大な危機に際しては例外が認められるのだとか、国連安保理が決議した場合は許されることになるとか、いやいやどんな場合も武力行使は認めないとか、そんな議論である。
現在、欧米で反対世論が強いのも、そういう角度で見て、国民が反対しているからだと思われる。とりわけイラク戦争で間違った選択をしたことが欧米では常識になっているので、そういう意識が強まるのは当然だろう。
同時に、この問題は、化学兵器の使用をどうやったら止めさせられるのか、という角度での議論が不可欠である。アメリカがあくまで軍事攻撃にこだわるのは、実際に化学兵器が使われたという現実があるからだ(誰が使ったかは明確ではないが)。もし、化学兵器が連続的に使われ、死傷者が増大していくようなことになると、武力行使を容認する世論が強まることがある。その場合のことも考えておく必要があると思うのだ。
政権の側が化学兵器を使うという問題であるなら、それを止めさせるには、いくつかの方法がある。(反政府勢力が使う、とりわけタリバンやアルカイダとつながる勢力が使うというケースは、今回の記事の主題ではない。)
ひとつは、軍事攻撃で化学兵器を破壊し、無力化させること。アメリカの攻撃は限定的なものになると言われており、化学兵器製造工場や関連部隊を攻撃するという予測報道もある。しかし、これらの施設や部隊が爆撃されれば、化学兵器が空中に拡散し、甚大な被害をもたらす可能性がある。化学兵器の使用を口実に攻撃して、化学兵器による死者を生みだしたら、冗談では済まない事態である。
ということで、アメリカの限定攻撃というのは、化学兵器関連というのではなく、いくつかの別の重要軍事施設に向けられるという観測がある。この場合、化学兵器が再び使われれば、アサド政権を支える軍部が打撃を受けるよという牽制効果をねらったものだと言えるだろう。
けれども、限定的な攻撃が政権を弱らせるということは、実際にはあり得ない。たとえば86年、リビアが関与した西ドイツのディスコ爆破事件があり(アメリカの海兵隊員が多数死亡した)、アメリカはリビアの軍事施設に限って攻撃を加えた。しかし、カダフィ政権は、アメリカの攻撃にさらされたことを盾にして反米の英雄となり、生きながらえた。国際的にも、国連総会がアメリカの空爆を批判する決議を採択し、独裁政権を支える国際網のようなものにつながってしまったのだ。
この点で、いまのシリアをみると、反体制勢力のあいだに亀裂がある。新聞報道の限りだが、アメリカの軍事攻撃を支持する勢力もあるが、反対する勢力もある。そんなときに攻撃を加えたら、反体制勢力の亀裂を拡大することにしかならない。
結局、政権による化学兵器の使用とか、国民に対する弾圧をやめさせるには、それを包囲する国民の団結をどうつくるのかということが大事だ。それをつくるのに、国際社会は何をすべきかということだ。
実際に化学兵器により何が起こったのかという惨状がシリア国内にも国際社会にも明らかにされること。それが誰の手によるものであったのかが解明されること。それが政府の手によるものだということが明確になるのなら、国連の代表権を剥奪するとか、経済制裁を強化するとか、ひとつずつ段階を踏んでいくことが大事である。
そうやって道理のあることを求めているのに、化学兵器に固執するようなことがあれば、政権にこのまま居座らせてはならないという国民の意思が強まってくる。シリアの反政府勢力の団結が強化される。時間がかかっても、政権の交代につながるこういうやり方が、痛みが少なく、確実なものだと考える。
2013年8月30日
シリアへの軍事介入を支持しないというイギリス議会の決定と、それを尊重するとしたイギリス政府の言明が、大きな反響を呼んでいる。だけど、これって、イギリスにとっては予定通りの行動だったように思える。
なぜかといえば、イギリスは、10年前のイラク戦争開戦にあたって重大な過ちを犯したからだ。そして、それを過ちであるという検証がなされているからだ。
イギリスは、戦争が終わった直後から、いくつかの機関がこの問題の検証を続けている。たとえば、下院外交委員会の報告書が03年7月に出され、政府が開戦に踏み切るために作成した2つの文書(大量破壊兵器の脅威を説明した「9月文書」、イラクがそれを隠蔽しているとする「2月文書」)が信頼に欠けるものであったとした。元最高裁判事を委員長とする調査委員会は、04年7月、「9月文書」でイラクが45分以内に大量破壊兵器を使用できる体制にあるとしていたことについて、根拠が確かでなく盛り込むべきでなかったとした。
この「45分問題」は、イギリスの人びとにとって、イラク戦争を検証する大事な点だった。なぜならブレア首相が何回も「45分問題」を口にし、参戦を合理化したからである。調査によって、その中心的な論点がくずれたわけだ。
そういう経過をへて、2009年7月、イラク戦争を検証するための独立調査委員会が設置された。ブレア元首相をはじめ多くの関係者が調査の対象になっている。
ここでは、「45分問題」が間違っていたことは前提になっており、関係者は意図的な情報操作ではなかったことを釈明したのみである。また、法務長官はイラク戦争は違法だと考えていたが、アメリカとの協議を通じて態度を変更したことなどもあきらかにされた。
ブレア首相は自分の判断が間違っていなかったと強調し、アメリカとの関係は契約ではなく同盟であって、同盟国の軍事行動は無条件に支持すべきものだとの見解をあきらかにした。一方、法務長官が国際法違反だと言い続ければ開戦できなかったとものべた。
現在なお調査が続いているが、以上の経過をみても分かるように、イギリスの人びとにとって、大量破壊兵器の脅威がねつ造されるというのは、体験済みのことなのである。アメリカとの関係にはひきずられやすいが、ちゃんとした歯止めがあれば参戦しないで済むことも、独立調査委員会の活動をつうじて理解することとなった。
だから、議会で参戦しないと決定することで、キャメロン首相を助けようというのが、国民と議員多数の考えだったのだろう。推測ですけど。
なお、周知のように、オランダも独立調査委員会が2010年1月中旬、「イラク戦争は国際法違反だった」と結論づける報告書を公表した。米英の攻撃を支持したオランダ政府の判断も誤っていた、と指摘している。
こういう経験をしていない日本。政府はいつものように、アメリカを支持することだけは決まっていて、あとはいつ発表するかとか、どんな行動をするかとか、そんなことばかり考えているのだろうな。
2013年8月29日
潘基文国連事務総長の発言が問題になっていた。しかし、特定の国に対するものではなかったということで、日本政府は鉾をおさめることになったようだ。
この問題に関連して、国連事務総長は中立であるべきなのに、それに反した発言だという趣旨の批判があった。それで調べてみたのだけれど、国連憲章で事務総長の任務を規定した条文の中で、「中立」という文言はない。以下ですべてである。
第98条〔事務総長の任務〕
事務総長は、総会、安全保障理事会、経済社会理事会及び信託統治理事会のすべての会議において事務総長の資格で行動し、且つ、これらの機関から委託される他の任務を遂行する。事務総長は、この機構の事業について総会に年次報告を行う。
第99条〔平和維持に関する任務〕
事務総長は、国際の平和及び安全の維持を脅威すると認める事項について、安全保障理事会の注意を促すことができる。
一方、続く第100条〔職員の国際性〕では、「事務総長及び職員は、その任務の遂行に当って、いかなる政府からも又はこの機関外のいかなる他の当局からも指示を求め、又は受けてはならない」とある。それに続いて、「事務総長及び職員は、この機構に対してのみ責任を負う国際的職員としての地位を損ずる虞のあるいかなる行動も慎まなければならない」ともされている。
これは、特定の政府から指示を受けてはいけないということであって、特定の政府を批判するなということではない。実際、後段の文章にあるように、事務総長は「国連に対してのみ責任を負う」のである。つまり、国連のかかげる価値こそが、事務総長の行動と発言を律する唯一の基準だということだ。
だから、つねにではないにせよ、国連事務総長はふみこんだ発言をすることがある。アメリカがイラクに戦争をしかけようとしたとき、当時のアナン事務総長が憂慮する発言を行った。国連が真っ二つに割れていたときに、事実上、その片方の側であるアメリカを批判するものだったわけである。中立どころか一方への肩入れである。
こういうことは、国連にとっては、当然のことだと思われているようだ。たとえば、国連広報センターにある「基本情報」をみると、事務総長について以下のように説明されている。
「事務総長が加盟国の関心事項を慎重に考慮に入れなければ、その任務は失敗に終わる。しかし同時に事務総長は国連の価値と道徳的権威を掲げ、時には同じ加盟国に挑戦し、彼らの意見に反対するという危険を冒しながらも平和のために発言し、行動しなければ職務を怠ることになる」
そう、たしかに「加盟国の関心事項」には慎重でなければならない。だけど、国連の価値のためには加盟国に挑戦することだってあるのだ。
しかも、事務総長が発言したことは、その国連の価値にかかわることである。だって、国連憲章第53条では、日本がかつて「侵略政策」をとったと明記されているのである。それなのに、それを否定するような発言がされているのだから、国連事務総長が何らかの発言をするのはあり得ることだ。
問題は、そうやって国連憲章の明文を引くなりして、それに限定して発言すれば日本政府も反論しにくかったのに、もっと一般化したかたちで発言してしまったことかな。これで幕を引くのではなく、もっと議論が展開されることが望まれるかもしれない。
2013年8月28日
昨日、名古屋で講演したことで、いろいろ考えたことがあるが、それは後日。来月28日、日本ユーラシア協会が、東郷和彦元外務省欧亜局長などを迎え、北方領土問題でシンポジウムを開く。それに「識者」(笑)として文書発言を出してほしいと依頼されたので、このタイトルで寄稿した。以下の通り。
北方領土(千島)問題に対する私の考え方は、拙著『これならわかる日本の領土紛争』(大月書店、2011年)に書いた通りです。以下のように整理することができるでしょう。
──平和的外交的手段によって日本領土となっていた千島を戦争によって奪ったスターリンの行為は許されるものではない。その違法性は現在もなお強く批判されるべき性格のものである。
──ソ連による占領後、実効支配が60余年に及んでいる現実は重みがある。また、弱点を抱えていたとはいえ、日露間で外交交渉が行われており、その到達を無視して今後の外交を展開することも現実的ではない。
──以上の点をふまえ、いわゆる「二島(歯舞・色丹)+アルファ」で解決すべきではないか。その際、かつて択捉・国後に在住していた日本人、現在住んでいるロシア人の人権を尊重する方式が考慮されるべきである。
それ以降、私の考え方に変化はありません。停滞する交渉を打開するには、上記のうち最初の違法性問題を、ロシアの人びとの拒否感をつよめる形ではなく、逆にその心を揺さぶるように提起するやり方が必要だとは思うものの、それを見いだすだけの勉強をしてこなかったというのが正直なところです。
ところが最近、刺激的な本に出会いました。浅田次郎の『終わらざる夏』(集英社文庫、上中下巻)です。これは、占守島攻防戦を主題にした小説です。しかし、たかが小説というなかれ、千島問題を深く考えさせるものとなっています。
まず、占守島というものを身近にさせてくれます。南千島は日本人が住んでいたので、それだけで身近に感じるのですが、北千島についていうと、私たちの(少なくとも私の)認識は、ソ連によって違法に奪われたという社会科学的認識にとどまっているのです。浅田はそれに対して、千島樺太交換条約の後、占守島に定住しようとがんばった日本人の姿とか、島に咲き誇る色とりどりの花などを描き、美しい島が奪われたことを実感させてくれます。そういう感性的な捉え方も、違法性を主張しつづける強固さを培ううえで、大事なことだと思います。
さらに浅田は、占守島攻防戦をリアルな経過を含めて描くことによって、この戦争の違法性を浮き彫りにするのです。満州におけるソ連軍との戦争のように、ただ日ソ中立条約を破って攻め入った(それが終戦後も続いた)というのではなく、日本がポツダム宣言を受諾した後に、しかも占守島の日本軍も武装解除を準備していたときに、ソ連軍が押し寄せてきたわけです。
しかも、この本の大事なことは、その戦争を、ソ連の兵士の目からも見ていることです。スターリンによって肉親を殺害されたコサック出身の兵士が登場するのです。その兵士は、スターリンを憎みつつも、大祖国戦争の場合は栄誉を胸に戦争に身を投じたのだけれど、ようやくドイツとの戦争が終わり、妻の待つふるさとへ帰れると思ったら、理由も分からないまま、降伏した日本との戦争に投入され、死んでいくのです。その不条理というものがリアルに描かれていて迫ってきます。
おそらく、スターリンの違法を批判する場合も、ロシアの人びとが共感する視点というものが大事なのではないでしょうか。そのようなことを感じさせてくれた小説でした。領土問題に取り組む意欲を再びかき立ててくれたことに感謝します。(了)