2013年7月16日

次に期待されたのは民主党政権の成立であった。民主党は、共産党や社民党とともに、慰安婦問題を戦時の性的な強制と位置づけ、謝罪と補償をおこなうための法案を準備していた。

なぜ立法を必要とするかというと、現行の法的な枠組みでは補償が難しいからである。植民地支配下のいろいろな問題については、1965年の日韓基本条約と関連の請求権協定によって規定され、解決済みとされている。だから、慰安婦が日本の裁判所に訴え出ても、敗訴が続いたわけである。

解決済み論はおかしいという議論は存在する。それをどう打開するかについて、いろいろな学説も出ている。だが、それらはまだ司法の世界では主流にはなっておらず、いまの司法の枠組みの中では、慰安婦が裁判で敗北するのは自然なことであった。

しかし、新しい法律ができるなら、障害がなくなる。そういう考え方をふまえ、3党が立法することで合意したわけだ。

だけど、民主党は、政権をとったあと、この問題に取り組まなかった。まあ、党内にいろいろな潮流があるから、もともと党全体としての合意ではなかったのかもしれない。他の分野でもたくさんあったが、本気で実現する気はないのに、野党だから気軽に何でも約束したということだろう。

ただ、その民主党も野に下り、自民党政権、しかも安倍政権の復活である。衆議院で3分の2をにぎり、参議院でも多数を形成しようとしている。橋下問題があって、世論の風向きは違うかもしれないが、政権だけをみると、慰安婦問題では歴史上、かつてない逆風である。

ここで、ふたつの選択肢がある。ひとつは、あくまで法的な謝罪と賠償を求め続けることであり、もうひとつは、現行法の枠内で何らかの措置を考えることである。

前者は、運動の論理としてはありうるだろう。というか、これしかないという選択だ。大義って、運動にとって大事だしね。

ただ、歴史的にみて、自民党政権でも民主党政権でもできなかったことを実現しようとすれば、この要求は共産党と社民党の連合政権をつくるということに等しいものであって、かなり現実味は薄い。いや、将来のことを考えると現実的な選択肢かもしれないが、慰安婦が生存している間に何らかの癒やしが必要だということを考えると、悲観的にならざるを得ない。

後者は、運動団体にとっては受け入れがたいかもしれない。だけど、韓国政府が65年の請求権協定にもとづく解決を求めるように変化しているということは、現行の条約と法律を前提(法的な謝罪と賠償という立場に立たない)にしたものであって、両政府間では何らかの合意形成が可能かもしれないということだ。

日本の運動団体は、韓国政府がOKしたら、受け入れる可能性があるだろうか。ただ、歴史的な経過を考えると、それで韓国政府が合意しても、韓国の運動団体がそれを許さず、韓国政府が窮地に陥る可能性もある。

さて、どうするのか。(続)

 

2013年7月12日

報道によれば、ロサンゼルス市近郊のグレンデール市議会が、旧日本軍の従軍慰安婦を象徴する少女像の設置を決めたそうだ。東海岸ではいくつかあるが、西海岸での設置はこれが初めてだそうである。

この問題では、韓国で像が設置されたとき、日本大使館がそれに抗議したことが思い出される。河野談話の線を政府として維持するなら、決して抗議するような性格のものではなかったのに、そんなことをするから、河野談話だって日本の本心ではないだろうというような観測が、世界で広がっていったわけである。

私は、安倍さんに対して、今回、積極策をとることを提言する。アメリカに行って、除幕式に出て、謝罪のことばをのべるべきだと思う。そう、ドイツのワイツゼッカー大統領がやったことを再現すべきだ。

どうせやらないだろうから、それを捉えて批判するのが目的だろうと思われるかもしれない。そうではない。本気でやってほしいと願っている。

というのは、この慰安婦問題を、どう決着させていくのかということを、本気で考えなければならないと思うからだ。橋下さんの問題があって、世論の関心が高まっていることをとらえ、何らかの決着が必要である。

この問題のむずかしさは、日本では過去の歴史と所業にあまり反省のない人たちが政権を構成しているが、その政権のもとで何らかの決着をつけなければならないところになる。だから、どこかで、言葉は悪いが妥協が必要になってくる。

いや、妥協しないで最後まで闘うのだという方もおられるだろう。それは、日本政府の無反省をきびしく批判していくという点では貴重だろう。反省しないことを材料に、何十年、何百年と批判できるのだから。

しかし、この問題は、慰安婦という存在があって、超高齢化していて、生きておられる間に何らかのかたちで心の癒やしが求められるということのなかに、複雑さが存在する。それがなければ未来永劫闘ってもいいのだ。

90年代半ばにアジア女性基金ができて、いろいろな批判があることは承知しているが、総理大臣の名前で人道的な謝罪の気持ちをあらわす手紙が慰安婦に渡されたことで(それなりの謝罪金も渡された)、韓国以外の国では、かなりの慰安婦が癒やされた。実際に涙を流して謝罪を受け入れた方々が存在している。

もちろん、あれだけの非人道的な仕打ちを受けたわけだから、その程度のことで全面的に解決するなどということはありえない。だがそれでも、それらの国では、慰安婦問題が重大な政治的争点になるということはなくなった。もちろん、すでに受け入れた人びとも、さらに進歩した解決策が出てくるなら、それを歓迎するだろう。

アジア女性基金というのは、社会党の村山さんを首相とする内閣ができるという、歴史的にみて特異な時期のできごとだった。それまでの自民党政権では、絶対にできなかったことだろう。それよりもすすんだ政権が、はたしていつできるのか。

一方、韓国でもこの手紙とお金を受け取る人はいたが、韓国社会は、他国と違って、そういう解決を許さなかった。いわゆる法的な謝罪と賠償でなければならないということが、韓国の世論では支配的だったわけである。その残った問題は、どうやって解決したらいいのか。(続)

2013年7月11日

今年初め、スポーツと暴力にかかわることが大問題になりました。大阪の桜宮高校のことが最初でしたが、その後、女子柔道界のことも話題になってきます。

4月には弊社が後援して、この問題でシンポジウムも開催。ちょうど、私が大学生の頃に体育・保健の先生だった方が、暴力をなくす取り組みで中心的な地位におられたので、その先生と連絡をとって開催にこぎ着けたものです。

これらの取り組みが、この夏から秋にかけ、ようやく結実しそうです。ふたつの本を出す予定です。

ひとつは8月、『先生、殴らないで!』という本になります。教育学者の三輪定宣先生、スポーツ社会学者の川口智久先生が編者の本ですが、本の冒頭に来るのはプロ野球解説者である桑田真澄さんへのロング・インタビューです。これは、タイトルからも明確なように、学校スポーツにおける暴力・体罰という問題を考える本です。

もうひとつは9月、『スポーツから暴力を根絶するために』(仮)です。この冒頭を飾るのは、女子柔道の山口香さんです。全日本選手権10連覇、世界選手権金メダル、「女姿三四郎」の異名をとった方ですね。こちらは、トップアスリートを育てるということのなかで、暴力・体罰をどう考えるかということが大きな主題になるでしょう。

桑田さんは、桜宮高校の事件が起こった直後、朝日新聞で暴力を否定するインタビューに登場し、評判になりました。その後も、教育の現場で、いろんな取り組みをしておられます。

だけど、桑田さんの主張が本になるのは、これがはじめてです。いろいろな出版社からオファーがあったようですが、かもがわ出版を選んでくださいました。まじめな研究者の方々が書く本だということを評価していただいたようです。センセーショナルにこの問題を取り扱ったり、「売らんかな」の姿勢が露骨なものは、桑田さん、肌に合わないのだと思います。

全体の構成は以下の通りです。他にコラムも充実しています。
スポーツマンとして許せない暴力……桑田真澄
部活での暴力はいつから始まったか……坂上康博
暴力の思想を超える水泳指導……平野和弘
私の体罰否定論……土肥信雄
人間にとってのスポーツの意味とは……川口智久
学校と体罰・暴力の関係史……三輪定宣

桑田さんのインタビューの一部をご紹介しておきます。これだけ読んでも、残りの部分がどうなっているのか、気になりませんか?

「時代は流れ、道具も進化し、野球自体も進化してきました。野球界の何が進化していないかというと、指導方法だけです。指導者だけが進化していないのです。……選手はこっちに投げるか、あっちに投げるかを一瞬で判断しなければなりません。自分で考えて行動できる選手を育てなければいけないのに、普段から監督の指示したことだけをやらせて、それ以外のことをしたら殴るというのでは、育つわけがない」

山口さんは、最近、『日本柔道の論点』と題する本を出されました(イースト新書)。柔道界全般の問題点を解明した、とても貴重な提言の本です。

弊社の本で山口さんは、指導者の暴力という問題を特化して論じてくれます。イギリスに留学するなどして、指導者としての研鑽をずっと積んだこられた方ですから、とっても説得力があります。

しかも、ご自分の個人的体験も、指導者として血肉にしているところも素晴らしいです。母親になって、子どもを育ててみて、自分の子どもさえ自転車に乗せるのにこんなに時間がかかるのかって自覚して、人を育てることの意味を考えた話なども、とっても貴重だと感じました。

スポーツ行事の多い夏、そしてスポーツの秋、是非、これらの本を手に取ってみてください。

 

2013年7月10日

改憲って、どういうものであっても、現状を変えるというメッセージである。9条を変えるというなら、国防の現状を憂える人に響くだろうし、統治機構を変えるというなら、政治が何もしてくれないと怒っている人を揺さぶるだろう。

全体として、改憲の世論を支えているのも、日本の現状を何とかしてほしいという強い願いである。安倍さんの高支持率を支えているのも、アベノミクスで何とか自分の窮状を打開できるのではないかという期待だろうし、反安倍さんの世論が求めているのも、同じく窮状の打開策なのである。

自民党が改憲によってこれらの層をつなぎ止めようとしているわけだ。そして、具体的な政策も、改憲の中身も、そのめざす方向はグローバリズムに日本を適合させようということである。

となると、護憲の側も、これに対する明確な回答が必要だと感じる。グローバリズム反対で、憲法を守れというのでは、なんだか現状をよしとしているように受け止められてしまうことになりかねない。

だけど、そこが難しいのだと思う。グローバリズムに対して、改革方向として何を対置するのか。

ひとつは、憲法前文の精神だと感じる。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するとか、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」とか、そういう精神である。

これって、平和と暮らしのためには、諸国民のインターナショナリズムが必要だと言っているようだ。グローバリズムVSインターナショナリズム。グローバリズムが跋扈し、各国の国民(アメリカの国民もだ)の人権と暮らしを脅かすようになっているもので、それに対抗するには人民の国際連帯が必要だということを、その具体的な内容とともに打ちだすことが不可欠のような気がする。

具体的な内容ということでは、グローバリズムそのものに反対ということではなく、グローバリズムの生みだす成果というものにも着目する必要があるかも。その成果をどうやったら人民にまでもたらせるのかという提案と構想である。

いずれにせよ、ここでも人権を確固として擁護するという立場から、グローバリズムへの対抗構想を打ちだすのであるから、やはり現行憲法を遵守するという立場が明確にされるべきだろう。前文も各条項も、現行憲法ってやはり時代の先を見通しているんだね。(完)

2013年7月9日

昨日紹介した毎日新聞の記事のなかで、以下のような記述がある。6年ほど前、『我、自衛隊を愛す 故に、憲法九条を守る』という本を出したときのことに関した記述である。

「松竹さんは「自民党で防衛庁長官も務めた加藤紘一さんが推薦の帯を書いてくれました。もっとも一部の書店では帯は外されましたがね」と苦笑する。」

これってどういう意味なのかと、いくつか問い合わせがあった。これまで活字にしてこなかったけれど、時代が変わって、いまなら笑い話になると思うから、書いておこうかな。

この本の広報にあたっては、加藤さん(元幹事長でもある)に推薦を依頼したり、自衛隊の準機関紙「朝雲」一面に広告を載せたりと、それまでと異なることをした。それは、護憲運動が成功するためには、自衛隊員のなかにも護憲派を広げないとダメだし、政党の枠を超えて協力関係をつくらないとダメだという考えにもとづくものであった。幸い、自衛隊員からも大きな反響と注文があったりして、この試みは成功したと思う。

で、ふつう、本の帯って、書店が外すことはないのだが、この本は違ったのだ。本の取次で有名なのはトーハンとか日販だけど、いわゆる民主書店とか共産党を相手に本を流通させている「新日本図書」という取次がある。ここが、帯を外さない限り流通させないと言ってきたのである。それで泣く泣く外したというのが経過である。

ところが最近は、「赤旗」に自民党の古賀元幹事長が憲法96条改正に反対して登場したり、それが選挙での共産党の「売り」になったりするのである。変われば変わるものだ。かつての経過を知るものにとっては、隔世の感がある。

ところで、この問題を考えれば、共闘する相手は、自民党関係者だけであってはならない。だから、この本の次に、伊勢﨑賢治さんの『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』をつくった5年前のことだけど、全政党の国会議員から推薦をもらおうと思って、実際に、自民、民主、公明、共産、社民の方からもらえたのだ。「全政党から推薦」っていう帯も用意した。

だけど、本にする直前、共産の方から、やっぱりダメということになったと電話があった。それで、帯の内容も、「改憲政党の国会議員からも推薦」って変えたんだよね。そのため、社民の福島さんを帯に出すことができなくなり、平謝りだった。

いやあ、いまから見ると笑い話なんだけど、当時は深刻だった。かっこをつけると時代を先取りしたということだが、ちょっと先走りしすぎた試みだったのかなあ。

でも、時代も、護憲運動も、6年前とはずいぶん変わった。これからも、時代より数年早い出版を心がけたいと思っている。