2017年3月17日

 こっちの連載もやっていたんですね。終わらせておきましょう。間隔が空きましたが、なぜこんなタイトルの本を書きたいのかということです。

 だって、護憲って、とっても奥が深いところが好きです。単純化できないところです。
 例えば、護憲派は平和が好きで、改憲派は戦争をめざしているという単純化があります。だけど、改憲派だって、その多くは戦争をしたくないと思っているのが現実でしょう。

 外国軍事基地を日本におかないことを憲法に明記すべきだという改憲派もいます。それって、戦争したくないから、改憲したいと思うわけですよね。事実上の護憲派です。

 あるいは、自衛隊のことを憲法に明記すべきだという人だって、戦争したいからそう思っているわけではありません。全然ありません。やっぱり、自衛隊があるのに、それを憲法で否定している現実って、正常ではないんです。5年とかせいぜい10年で段階的に廃止するというなら、少しくらいは矛盾が放置されていいと思いますが、おそらく現在の世代が生きている間には実現しないわけですから、現実を憲法にあわせるんだといっても、なかなか説明がつかないんです。

 いずれにせよ、こういう改憲を主張する人たちを「戦争大好き人間」だとみなして、そう批判していては、いつまで立っても護憲派に耳を傾けてくれることはないでしょう。どうしたら耳を傾けてもらえて、非現実的なことに納得して護憲派になってもらえるかを考えることって、とってもワクワクしませんか。

 それと、一昨日の夜にNHKで北アイルランドの旅の番組があったそうで、私は見なかったんですが、カトリックとプロテスタントとの激しい抗争があったので、それを分ける「壁」があるんだそうです。その壁、「平和の壁」と呼ばれているとか。そう「平和」のためには対話でなく分断が不可欠。そういう平和の考え方だってあるわけです。

 とりわけ、戦争をしなければ平和を勝ち取れなかった国では、戦争と平和が対義語だという感覚は理解してもらえないでしょう。そういえばいま、再び評判になっているジョージ・オーウェルの『一九八四年』を読んでいますが、あの国では、党の3つのスローガンがあって、その最初は「戦争は平和なり」なんですね。これは独裁体制への嘲笑でしょうが、それが人々を納得させるものを含むから、体制が継続したということでもあるでしょう。

 護憲派がちゃんと伸びていくには、戦争と平和をめぐるあらゆる問題に関心をもって、これまでの経験のなかでは出会ったことのない人とあって、出会ったことのない考え方と接して、全く新しい考え方を提示していかなければなりません。何かの書物に書いているわけではないものを生み出していかなくてはなりません。

 人生をそういうものに賭けるって、やっぱり楽しいですよね。(了)
 

2017年3月16日

 昨日、昼間は東京事務所の編集者と相談とか、事務所の管理に関係して大塚商会と相談とか、いろいろ。夜は、自衛隊を活かす会の会議でした。

 自衛隊を活かす会としては、南スーダンからの自衛隊撤退を実現するため、その代替の選択肢を提示する政党・会派の円卓会議を準備していました。自衛隊が抱える矛盾を解決するような選択肢を真剣に検討することが求められると判断したからです。南スーダンから自衛隊が帰ってくることになって、政府が次のPKOを派遣することは、当面は考えられません。護憲派も「これで安心」となってしまう可能性も高い。その結果、矛盾がそのまま放置される可能性もあるということで、あまり争点にならない可能性もありますが、「南スーダン後の日本の国際貢献」と題して、円卓会議は実施しようということになりました。五月の連休明けです。詳細はしばらくお待ちください。

 それを検討している時に、ある平和団体が尖閣行きを計画していることが紹介されました。護憲派の大物を先頭にして近くまで行き、「ここで中国も日本も戦争するな」とアピールするのが目的だそうです。海上保安庁と接触したところ、上陸しないかぎり大丈夫だとか。ただ、石垣島から10時間ほどかかるそうですが、その足を確保するメドがついていないということで、私が沖縄の友だちに電話をしたら、「いくらでも船は確保できるよ」ということでしたので、具体化に協力することになりました。それだけだと、きっとおカネがかかりすぎるだろうから、ツアーを組んだらどうかと提案し、それも具体化します。今晩、旅行社の社長とご相談。

 それで、どうせ沖縄に行くなら、その時期に自衛隊を活かす会の沖縄企画をやろうということになりました。おそらく9月上旬、テーマは海兵隊か地位協定か。これから議論します。

 本日、鳩山さんと柳澤さんの2回目の対談。『抑止力のことを学び抜いたら、究極の正解は「最低でも国外」』の本です。3月末に3回目をやって、急いで本にします。

 明日は、杉並で、斎藤紀医師による連続講座『広島の被曝と福島の被曝』の第1回目(画像)。これは隔月で4回ほどやって、来年の3.11までに本にします。急ですが、参加ご希望の方は、私までメールをください。

斉藤連続講座1回目

2017年3月15日

 やはり伝統的左翼には、政権をとったつもりで政策を考える気風って、あまりないのではなかろうか。この連載記事への反応を見ると、そう思わざるを得ない。

 ミサイル防衛システム発動を否定する声が少なくない。私だって、それですべてのミサイルを撃ち落とせるなんて思っていない。北朝鮮が複数のミサイルを同時に打ちあげるのを見れば、ミサイル防衛網を突破するために必死なのだとも思う。

 だけど、この連載で問題にしているのは、実際にあれこれの経緯があって、ミサイルが日本に落ちてくるという想定の事態なのである。その際、政権にあって、たとえばみなさんが防衛大臣の任についていたとして、自衛隊がミサイル防衛システムの発動準備にかかったとき、「発動してはならない」という命令を出すのかということなのだ。たとえ不確実性があったとしてても、みなさんが防衛大臣なら、そういう命令を出すべきではないかということなのだ。目の前にあって、役に立つものは使うというのが、当たり前だと思うのだが、違うだろうか。出さないというなら、その根拠はどこにあるのだろうか。

 もちろん、目の前にあっても、使ってはならないものはあると思う。その最大のものがアメリカの核兵器だろう。

 現状は、米本土に届く北朝鮮のミサイルはないから、いざというときのアメリカは、軍事的合理性だけを基準として、気軽に軍事作戦を考える可能性がある。ミサイル基地と思われる箇所に核兵器を落としまくっても、アメリカが核の報復を受ける可能性はないのだから、そういう選択肢をとるのはあり得ることだ。

 しかし、北朝鮮にとっては、その間隙を縫って、日本に化学兵器を搭載したミサイルを落とすことは可能である。日本は、アメリカ本土と異なり、実際の戦場になるわけだから、真剣にこの問題に挑まなければならないのだ。もちろん、日本にミサイルが落とされるかどうか以前に、アメリカによる核兵器の使用を許すのかというそもそもの問題もある。

 この連載の想定は、北朝鮮が核を使用していない段階だから、アメリカによる核先制使用は許さないということでもある。しかし同時に、たとえ北朝鮮による核攻撃で戦端が開かれたとしても、アメリカによる核使用には私は反対である。

 96年の国際司法裁判所の勧告的意見では、核兵器の使用は一般的に違法とされ、国家の存亡が犯される自衛の極端な状況においてだけは、裁判所は判断をできないとした。自衛の極端な状況でも合法とは言い切れないということである。北朝鮮程度のといっては軽視しているように見えるかもしれないが、そんな国が核を使用しても、韓国や日本を滅ぼすようなことはできない。逆に、こちら側が通常兵器で対応しても、北朝鮮は存亡の危機に陥る。だから通常兵器で十分なのだ。

 ということは、少なくとも対北朝鮮対応を考えた場合、アメリカの核の傘は不要だということだ。核抑止力に頼らない防衛政策は可能だということだ。

 いま東京に向かう新幹線のなか。1週間の東京、福島出張である。それにしても森友学園が買った豊中の土地、1億数千万円で買えるなら、弊社に買わしてくれないかなあ。使い道があるんですけど。どなたか、その手段を知りませんか?(続)

2017年3月14日

 昨日の続き。ミサイルが日本に落ちてきたとして、どう対応するかだ。

 昨日はミサイル防衛システムで対処する話をしたが、それは現在、日本はそれ以外の選択肢を持っていないからだ。やる気になれば、別の選択肢を保有することも可能である。

 自民党のなかで議論されているのが、ミサイル発射基地を空爆することである。ただ、これをやろうとすると、いくつかの問題がクリアーされなければならない。

 まず、ミサイルがどこに配備されているかという情報収集能力がまず前提として必要となる。アメリカだって全部は分かっていないと言われているから、至難の業だ。

 さらに、それが分かったとしても、爆撃機の航続距離が問題になる。空中給油能力を向上させなければならない。そして、そういう能力を持つということになると、発射され続けるミサイル基地を叩くということなら専守防衛の枠内だという論理は成り立ちうるが、専守防衛の枠外でも運用することが可能となり、両者の区別は限りなくグレーになる。憲法上の問題が出て来るわけだ。

 そこをクリアーしたとしても、今度は基地を叩く自衛隊の能力向上の問題が出て来る。対空砲火の餌食にならないよう、レーダーに映りにくい低空を飛行して接近することが求められるが、そのためには普段に訓練をしておかねばならない。現在、米軍機の低空飛行訓練がやられていて、各地で問題を引き起こしているが、今度は自衛隊がやることになるわけだ。

 もう一つの選択肢は、地上に特殊部隊を派遣して、ミサイル基地を爆破することだろう。そういう任務を与え、爆破後の退避も含めて訓練を施していけば、不可能ではないのだろう。ただ、非常に過酷な任務になるので、政治がそれを自衛隊に本当に求めるのかという問題だ。

 それらの問題を考えると、ミサイル防衛というのは、非常に日本的なものなのかもしれない。日本にとどまりながら(公海は使うが)、相手国の領土、領海、領空を爆撃するわけでもなく(発射直後に爆撃することも研究はされているみたいだが)、多額のお金を払えば配備できるということだから。アメリカ主導のシステムで、日本防衛の部分だけ切り取って運用されるものではないにしても、昨日書いたことだが、実際に日本にミサイルが落ちてくるときに、その運用に反対することにはならないと思われる。

 まあ、実際は、在日米軍基地が標的になるわけで、ミサイルが発射されれば基地も特定できるので、米軍機は爆破に向かうだろう。だけど、野党共闘政権としては、どういう選択肢をとるのか真剣に検討しておかねばならない。いくら日米安保を前提にした政権ではあるにしても、ただただアメリカにお願いすることもあり得ないし、ミサイルに対して何も防衛上の手を打たないこともあり得ないと思う。(続)

2017年3月13日

 北朝鮮のミサイルが日本の近くに落ちたということだけでは「新段階」を意味しないことは明らかだが、国民の不安感を煽るものであることは確かだ。だから、こういう時に、日本の防衛政策を議論することが大事だと思うのだけれど、護憲派界隈では「軍事的対応をしていては悪循環。外交でやるべきだ」となっていく。外交努力を強めるのは当然のことであるが、安倍さんだって最近も核・ミサイル・拉致の包括的な解決を北朝鮮に働きかけると外交にも言及しているのであって、この問題では外交か軍事かの対立が問われているのではない。安倍さんは外交と軍事の両方を考えているのに、護憲派は外交しか口にしない構図になっているのである。この2つをどう組み合わせるかが大事なのだ。緊迫した時には「こういう時こそ外交」と主張し、平時にも防衛努力には無関心ということだと、護憲派に対する国民の不安は払拭されないということだ。なので、不評であっても、この連載は続けていきたい(そんなに長くはならないけど)。

 朝鮮半島をめぐる紛争が、北朝鮮の側から起こされるのであれ、アメリカの側から起こされるのであれ、日本が無縁でいられることはないだろう。日本が在日米軍基地の使用に反対し、アメリカが在韓米軍基地から攻撃するにしても、北朝鮮にとっては在日米軍基地を在韓米軍基地と区別することは考えられず、ミサイルが日本に向けて飛んでくることは想定される事態だ。日本はどう対応すべきか。

 アメリカの先制攻撃で開始されたのだから日本は対応すべきでないと考える人がいるかもしれない。標的になるのは日本領とはいえ米軍基地なのだしと。しかし、根本の責任がアメリカにあるにしても、この想定では日本はアメリカの攻撃に反対しているわけだし、何といっても日本領に落ちてくるわけだから(米軍基地の周りの民有地に落ちるかもしれないし)、日本国として対応すべき問題となる。

 具体的には、飛んでくるミサイルに対しては、既存のミサイル防衛システムで対処することになろう。護憲派の多くはミサイル防衛システムの配備に反対してきたわけだが、実際に飛んでくるミサイルがあるのに、そのシステムを使うなとは言えないはずだ。いや、もちろん、ミサイルが飛んできても座して死を待つのが護憲派だと言う人がいてもいいのだが(いるだろうし)、それは個人の信念として通用しても、国家が国民に対して死を覚悟せよとは言えないのだから、政権をめざす政党の政策としては通用しない。なお、そういう政策を確立した場合、引き続きミサイル防衛システムに反対するかどうかは、悩ましい問題になると思われる。(続)