2017年2月24日
在韓日本大使館前の慰安婦像の問題。これは難しい。
その中で昨日、釜山の総領事館前の像を移設するよう、韓国外相が自治体に要請したことは大事である。ところが、そうやって韓国側が動いても、日本大使の一時帰国問題では何の動きもない。日本側は、合意を尊重しようとする動きを励まさないといけないのに、困ったことである。
いずれにせよ、これは難しい。だから、一昨年末の日韓政府合意においても、韓国政府が「適切に解決されるよう努力する」として、ぼかしたわけだ。移転することを明示できなかったのだ。
この問題での私の立場は、日韓合意の半年ほど前に書いた『慰安婦問題をこれで終わらせる。」で述べている。慰安婦像を包み込むような形でモニュメントをつくり、日韓和解の象徴とするということだ。慰安婦像はモニュメントのなかで安らかな眠りに入るという構想だ。
この本では、日韓がどこで合意すべきかについて、「法的責任」も「人道的責任」も経過からして使えない言葉だから、「歴史的責任」にしたらどうかと提案していた。結果、日韓合意においてはただの「責任」になったんですけど、まあ先駆的だったと自負しています。
さて、大使館前に像があることは、外交関係に関するウィーン条約(第22条2項)で問題だとされる。大使館を受け入れている国は、「公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別の責務」があるとするものだ。この条約規定からして、日本を批判し、糾弾するために設置されている像が大使館前にあるのは、やはり適切でないだろう。
ただし、像が問題なのは、いま書いたように日本を糾弾することと密接に結びついているからだ。もし、一昨年末の合意を遂行することで両国民が納得し、和解すれば事態は変わるのである。
韓国側には、長年にわたって心のよりどころだった像を移転することについて、いろいろな反発もあるだろう。それならば、像そのものは現状の場所に置くが、それを包み込むようにして和解のモニュメントを建てることは、20年以上にわたって日韓関係を厳しいものにしてきたこの問題が解決したことを象徴的にあらわすものとして、受け入れてもらえるのではないだろうか。
モニュメントの除幕式には、安倍さんが出てきて、合意の線にそって「心からのお詫び」をすることだって考えられる。本当にそういう日が来ることを願っている。
さて、来週は、日米安保の問題と、それを認める野党共闘の関係について考察したいと思います。最近、日米安保廃棄を掲げて頑張ってきた「革新懇」の集まりでお話しすることが多いんですが、野党共闘は望むけれども、それが安保容認の上に成り立っていることとの関係で、いろいろな矛盾を抱え込んでいるように思えます。革新懇の中心にいる共産党の「赤旗」も昨日から、「「日米同盟第一」を問う」という鳴り物入りの大シリーズの連載を開始しましたが(なぜか本日は続きがない)、それと日米同盟を容認する野党共闘との関係は、すごく大事な論点になってくると思います。だから私も考えたいのです。
2017年2月23日
前回の記事につけ加えて言えば、法的な決着がついたとしても、補足的、追加的な措置をとることはあり得ることだ。法的な決着がついた時点では問題にならなかったことが、その後判明して大きな問題になることがある。慰安婦問題が1965年の条約締結時には知られていなかったことかといえば微妙であるが、大きな問題でなかったことは事実だろう。だから、そういう場合、のちに何らかの措置を取ることはあり得る。
けれども、そういう場合に取り得る措置は、あくまで補足的なものである。法的な決着はついていないから新たな枠組みをつくるというものではなく、法的な決着に追加するものである。そして、一昨年末の日韓政府合意は、そういう性格のものだったと考える。日本政府が「責任」を認め、反省とお詫びを表明し、全額を日本国民の税金で支払ったのだから。
それなのに問題は解決していない。では、どうするべきか。私の考えはこうである。
日本政府の側は、この問題で心から責任を認め、反省し、お詫びする立場を貫くことである。慰安婦の側は、日本政府が法的な責任を認めるかどうかを争点にせず、心からのお詫びを求め続けるという一点で団結することである。
対立構図でいうと、こんな感じにすることだ。「心からお詫びができない日本政府」VS「法的責任は決着していないと考える人々」+「法的責任は決着しているが何らかの措置は必要だと考える人々」。
だって、慰安婦の方々が求めているのは、「心からのお詫び」でしょ。そうじゃなかったんでしょうか。それと法的な決着が混同されてきたことに、問題がいつまでも解決しない原因があったと思います。
安倍さんに「心からのお詫び」をしてもらうことって、本当に大変なことですよ。この連載でも書いてきたように、侵略と植民地支配を推進してきた末裔なんですから。国家の指導者として法的な決着をすることはできても、心を入れ替えるなんて、簡単なことではないんです。
実際、戦前の日本がヒドいことをしたという心を安倍さんが持つことは、やはり困難なことでしょう。だけど、少なくとも、跪いたブラントさんのように、心を感じさせることはできると思います。
具体的に言えば、一昨年末の合意で表明したことを、あの日一回限りのこととせず、どんな場合にも貫くことでしょう。折にふれて、あの中身を語るべきです。安倍さんは「あの合意で不可逆的と書いている」ことばかり口にしますが、「責任」「反省」「お詫び」こそ何回も語っていくべきでしょう。すでに表明済みのことですから、できるはずです。
そして、慰安婦の側は、法的決着を求めるのに固執しないことです。決着済みと考える人との連帯を図るべきです。そうすれば、日本でも韓国でも、幅広い人々の連帯が実現するはずです。
問題は、慰安婦像ですよね。それは明日の最終回で。(続)
2017年2月22日
本日は忙しいです。気持ちが落ち着かない事情もあるし。ということで、連載はお休みして、このタイトルの記事を。
評したのは、岸田秀さんとの柳澤健さんの『日本史を精神分析する』という本です。すでに「福島民友」(18日付。福島のみなさん、気がつきましたか?)その他に載りました。
いやあ、新聞の書評って、書いたの初めてですよ。わずか800字以内ですから、たいへんでした。
なぜ私がこの本の書評を依頼されたのかって、理解不能ですよね。最近、『「日本会議」史観の乗り越え方』を書いたからかなと思ったら、違っていました。
この本、掲載された書評にも書いていますが、帯文の冒頭に、「なぜ日本は対米従属の軛を脱することができないのか」という問題意識があるんですよ。それで、『対米従属の謎』を書いたばかりの私に、ということになったそうです。私の本の書評が載るんだったら、なおうれしかったんですけど、いい勉強になりました。
この内容をブログに書くことは許されていないんです。だけど、紙面をアップするのは構わないということで、読みやすそうな「山梨日日」(19日付)を載せておきますね。
2017年2月21日
心からの謝罪がされているかについては、昨日書いたように、ドイツと日本では異なると思う。では、法的な責任を果たしたかどうかについては、どうだろうか。
ドイツと日本では、法的責任の果たし方の方式という点では、大きな違いがある。よく指摘されているように、ドイツは、被害を受けた個々人に対して補償を行った。一方の日本は、国家同士で条約を結び(東南アジア諸国とは賠償条約であり、韓国とはいわゆる請求権協定である)、国家に対しておカネを支払った。
現在の到達から見れば、多くの人は、被害者個人に支払う方式が優れていると思うだろう。しかし、歴史的に見ればドイツの方式は異例のものであり、日本式が普通なのだ。
戦争をしたあと、戦った国同士は、平和条約などを結び、賠償その他を決着させてきた。奪うのは領土であったり、おカネであったり、いろいろだ。例えば1871年の普仏戦争(プロイセンとフランスの戦争)のあと、ドイツはフランスとフランクフルト講和条約を結び、50億フランを支払わせることにした。
日本はこの方式だ。サンフランシスコ講和条約で賠償問題の扱いを決め、その後、東南アジアのいくつかの国と条約を結んで決着させ、賠償を支払ったのである。韓国との間では請求権協定を結んで支払い、最終的に解決したと確認したのである。
これが歴史的には普通のやり方なのに、なぜドイツは個人補償をしたのか。それは、ドイツが東西に分裂し条約を結ぶ主体の国家がなかったこと、補償すべき人の多くはドイツに住んでいたユダヤ人であって、国内法にもとづく支払いになったことが大きい。
しかし、歴史上初めてのことであれ、実施してみると大きな意味があった。被害を受けた個人がそれを貴重なこととして受けとめたのである。
実は、普仏戦争までの時代と異なり、第一次大戦はいわゆる総力戦として戦われた。男子は兵士となり、女子も工場などへ動員された。その結果として結ばれたベルサイユ条約は、ドイツに賠償を課す目的について、ドイツの侵略によって諸国民が被った被害の責任がドイツにあるからとしている。
実際にはドイツが支払った賠償が個人に分配されることはなかった。それまでの慣習の通り、国が受け取ったのである。しかし、国民の被害を補償することが賠償の目的だとされたことの意味は大きかったと思う。
第二次大戦後のドイツの個人補償は、結果として、国民の被害を補償するということを建前に止めず、現実のものとすることになったのである。だから、被害者をはじめとして、評価が高いわけである。
けれども、結果から見れば、日本の水準は低くなるのだが、日本が法的な責任を果たしていないのかというと、そんなことはない。ちゃんと国際法の水準は満たしたのである。条約で決着したと明示しているわけだから、決着したのである。
だから、日本は法的責任を果たしていないと主張し、そこを対決の軸にもってきても、それが常識的なものになることはない。では、どうするべきか。(続)
2017年2月20日
先日、ビデオニュースドットコムに出演し、宮台真司さん、神保哲生さんと「何があっても日本はアメリカについていくしかないのか」をテーマに議論してきました。ここで見ることができます。
現在、慰安婦問題をめぐる対立構図は、「法的責任を明確にした賠償」VS「法的責任を曖昧にした全額税支出」にあるように思える。そして、この構図が変わらないかぎり、問題は永続化するしかない。では、どうするのか。
それを考える上で、ドイツとの比較を簡単に(おおざっぱに)試みたい。ドイツでもそれが問われ、それが解決したということなのだろうか。
ドイツのことを考えてみると、よく日本との比較で「ドイツは優れている」とされるのは、2つの点がある。1つは、ドイツは個人に対して補償をしたけれども、日本はしていないということ。2つは、ドイツの謝罪は心がこもっているということだ。
まず後者について言うと、それは確かだと感じる。ドイツの場合、有名なワイツゼッカーの演説しかり、ワルシャワのユダヤ人ゲットー跡で跪いたブラントしかり、相手の心に響くような象徴的な言葉と行動があった。それはそういう個人のものだけではなく、被害者に対して謝罪し続けるということは、政府の指導者に共通するものとして、現在まで受け継がれていると思う。
一方、日本の場合、河野洋平氏などは例外的な存在だと言えるだろう。さすがに政府の指導者で慰安婦のことを「娼婦」などと表現する人は見かけないが、心からの反省と謝罪をしていると感じさせる人も、また存在しない。一昨年末の日韓政府合意のなかで、「安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する」とされているのに、じゃあその言葉を慰安婦の方々の手紙にしてほしいと言われると、それは拒否された。もう言ったんだからいいだろう、1回言えば終わりなのだ、という真意が見えてしまう。
こういう違いが生まれるのには理由がある。戦後の政治家の系譜が違うのである。
ドイツの場合、戦後の指導者になったのは、戦前、ナチスに逆らって政治家を追われ、隠遁したり、亡命したりした人が主流だった。ナチスが犯した罪を批判する立場をとることに、何のちゅうちょも不要だったのだ。
一方の日本では、戦前、朝鮮半島を植民地とし、侵略を主導した人たちが、アメリカに忠誠を誓うことによって政府の指導者となった。アメリカが日本を反共の砦として活用することを決めて以降は、そのしばりもなくなって、戦争犯罪者が復権してきた。だから、慰安婦問題をはじめ自分がやったことなので、反省するなど思いもしなかったのだ。その系譜の人たちが、安倍さんをはじめ、いまも政権を担っている。
だから私は、心からの謝罪ができるかどうかが、この問題ではいちばん大事だと思っている。そこに対立構図があると考える。ところが日韓合意反対派は、そこではなく「法的責任を認める」ことだけを焦点にしているようだ。で、次に、その法的責任問題である。(続)