福島の人々に励まされる

2014年3月11日

 昨日は福島2日目でした。明日、いよいよ、3年目の3.11ですね。

 今回のツアーの目的のひとつは、福島第一原発を自分の目で見ることでした。そして、ようやくそれが叶いました。写真をご覧ください。看板の「注意」と書いてある上あたりに塔が見えますが、それが原発の建物です。

 ここは原発から3キロか4キロという地点です。昨年3月時点ではここまで来ることができなかったのです(4月から可能になりました)。ここの線量は低いのですが、柵を越えると急に高くなるそうです。

 なぜ原発を見たいんだ、原発を見たからどうなんだと問われると、返す言葉はありません。日本にこれだけの災害をもたらしたものを、どうしてもこの目で見たい、という以外にはありません。

 実際、すでに見たわけですが、だから私の思想に何かをもたらしたわけではなく、次は、敷地内に入って見てみたいという気持ちがわき起こっただけです。これはいつ実現するのか分かりませんけれど。

 さて、昨日は、ここをはじめとして、20キロ圏内にあるいろんな場所を案内してもらいました。放置されたままの場所も多く、3年前の様子がそのまま残されているという感じのところも少なくありません。変わっているのは、仮置き場が建設され、ガレキが分別され始めているという程度でしょうか。

 30年ローンを組んで引き渡されたばかりの家というのも紹介されました。ところが、ここには帰れない(昼間は可能だが泊まることは禁止されている)一方で、避難先の方が線量が高いというんです。どうすればいいのか、本人も判断がつかない。究極の矛盾で、福島が抱える問題の深刻さを知らされることになりました。

 いつもお世話になっている農民連の三浦さんが同行し、夜の交流会にも参加してくださいました。そのお話が印象に残りました。

 三浦さんは、20キロ圏の南相馬市小高区で農業をやっておられたわけですが、そこでの農業に見切りをつけ、相馬市の北にある新地というところで農業を再開しておられます。同時に、元の農地にはソーラパネルを設置しているそうです。仲間の農民ともいっしょにそれを推進している。

 なぜソーラパネルかというと、もちろん、原発でむちゃくちゃにされた場所に自然エネルギーを根付かせるという、理念的な問題もあります。農地は日当たりのいいところじゃないとダメなので、エネルギー効率としても最適だということもありますね。でもそれだけではないんです。

 何十年と長期間にわたって農業ができない土地です。だから、農民にとっては、このままでは手放すしかない。だけど、ソーラパネルを設置して、そこから利益が得られるなら、手放さないですみます。

 そういう状態のままであれば、何十年か先、農業ができる状態になったとき、自分の土地なのだから再開できるかもしれません。もちろん、その時は自分は住んでいて、子どもや孫は農業に関心を示さないかもしれないけれど、可能性を信じて生きていけるわけです。

 それって、人間の人生にとって大事なことだと思います。福島に来る度に、こちらが支援しているというより、福島から励まされることが多いです。ありがとうございます。

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