慰安婦問題あれこれ・7

2014年9月29日

 まず、以下の文章を読んでいただけるだろうか。もう17年も前のものだけど、誰が書いたか当ててほしい。慰安婦のことを「同性」と言っているから、女性だということはすぐわかるのだが。

 「戦地で、多数の兵たちを相手に性をひさがざるを得なかった女性たちの心は、如何ばかりであったろうか。どのような事情で行ったにしても、たとえ、自覚して行ったとしてもそれは耐え難い体験だったはずだ。まして自らの意思ではなく、騙されたり強要されたりして慰安婦にされた女性たちにとっては、絶望的、屈辱的な日々だったと思う。
 同性として彼女らの心を思う時、語るべき言葉もないというのが私の実感だ。私たちの社会は、彼女らの受けた身心の傷にようやく手を差し伸べようとしているが、この問題に関心のある人は全て、それぞれの立場で出来得ることを、今、していくべきだと強く思う。戦後はすでに半世紀以上がすぎた。被害者たちは老いつつある。この人たちの生あるうちに、出来得ることから手を尽くすことが大事なことだと思う。」

 朝日新聞の誤報を発端として、いま、慰安婦問題が大きな焦点となっている。誤報をした朝日に責任があるわけだから、批判されるのは当然である。誤報しても批判されないとすると、その方がおかしい。

 それなのに、朝日新聞を批判する論壇に対して、批判すること自体がおかしいかのようにいう人がいる。あるいは、「朝日批判派は慰安婦否定派だ」みたいな捉え方をする人もいる。

 その「慰安婦否定派」とみられる代表格のひとりが、たとえば櫻井よしこさんだろう。97年頃、櫻井さんの講演会が、慰安婦問題での発言を理由に中止に追い込まれたことがあった。その櫻井さん、朝日新聞の論壇で、このように書いたことを批判され、慰安婦問題でがんばっていた市民運動から批判が集中し、講演中止になったのだ。

 「戦争当時、本人の意思とは裏腹に慰安婦にさせられた女性がいたことは事実である。(中略)しかしそれが日本軍や政府の強制連行によるものだったと具体的に示す資料は、現時点では寡聞にして私は知らない。政府や軍が基本的政策として、女性たちを強制連行で集めたことを示す資料は今の時点ではみつかっていないと考える」

 これって、最近の政府による検証結果を見た上で再読すると、河野談話の線そのものだ。「強制連行」を明記せよという韓国側と、「組織的な強制連行はなかった」とする日本側の交渉のなかで、「(募集等は)総じて本人たちの意思に反して行われた」とするとともに(政府・軍が組織的にやったとは書かないが、櫻井さんが言うように「本人の意思」には反していたということは認める)、連行への政府・軍による加担は個別事例としてあったという表現にとどめ、「強制」という言葉は「連行」とは別の文脈で使うということである。

 実は、冒頭の引用も櫻井さんの当時の「文藝春秋」からの引用である。個人的な好き嫌いはあるだろうし、彼女の「狭義の強制連行はなかった」というキャンペーンがかえって国際社会からの批判を増幅させているという現実があるのだけれど、こういう発言をする人を「慰安婦否定派」みたいにくくってしまうのは、問題の解決にとってけっしてよいことではないと考える。

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