『慰安婦問題の終わらせ方』(仮)

2015年2月13日

 今回の東京出張で付随的な仕事は、このタイトル(まだ仮です)での本の出版の打合せ。これは私が執筆するもので、小学館から4月末か5月はじめに刊行されます。

 サブタイトルについては、「妥協を通じて理想に至れ!」を提案しているんです。どうでしょうか。

 ご承知のように、私はこの問題では素人です。素人の私が書かなければならないと思ったのは、いくつも理由があります。

 慰安婦問題は、20年以上前に浮上しましたが、それ以来、いろいろな局面はあったものの、基本的には対立構図が変わっていません。一方には、日本の国家犯罪なのだから法的な補償と謝罪が必要だとする立場があり、他方には、契約に基づくビジネスだったのだからそもそも問題は存在しないという立場がある。日本政府が、その対立のなかで河野談話を出し、アジア女性基金をつくったりしたけれど、それでは両方が満足しないという構図です。

 この構図を変えないと、問題は解決しないまま、そのうち慰安婦の方は死に絶えてしまう。誰か何とか打開の道筋を提起しなければならないなと思っていたのです。

 3年半ほど前、ある本と出会いました。韓国の朴裕河さんという方が書いた『和解のために』という本です。

 とっても衝撃を受けました。それまで韓国においては、慰安婦問題は日帝の犯罪なのだから、それを日本に認めさせ、法的な謝罪と賠償を求めるという以外の声は、まったく聞こえてきませんでした。そういう時に、日本との和解(和解というからには、責任追及というだけのものでなく、韓国側にも譲歩すべきところがあるということです)を提唱するなんて、すごく勇気があるなと思ったのです。実際、はげしいバッシングに遭われました。

 そのとき、韓国側にこういう人が現れたのだから、日本にも誰かが現れないとダメだなと思いました。だけど、自分で書くなんてことは想像もできなかったので、誰も書かないことを嘆くだけだったのです。

 だけど、その後、どんどん日本が住みにくくなりました。書店に行けば嫌韓・反韓本ばかりが並び、居酒屋では韓国批判が酒の肴になるという、私自身の生活環境まで浸食してくるような事態が進行します。

 それなら、自分自身が何かしなければならないというのが、基本的な動機でした。素人の自分が何か書いたからといって、問題は何も解決はしないだろうけれど、議論のたたき台くらいは提供したいなと思ったのです。

 それに、慰安婦問題に精通している人は、この20年来、お互いを批判し合ってきたので、もう相手の言うことを冷静に聞くという環境ではありません。それなら、その相互批判の外にいた自分にも、何らかの役割が果たせるかなとも思いました。

 仕事をしないで、個人的なことに時間を使っていると批判されるかもしれません。だけど、これで相当勉強したので、弊社の新シリーズ「さよなら安倍政権」では、村山・河野談話をめぐる安倍批判の本は、私が書けると思います。つながっているんですよ。

 本が出ましたら、いろいろ書いていきます。とにかくいまは、最後の追い込みです。

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