「残業代ゼロ」法案提出で思い出した

2015年2月16日

 「残業代ゼロ」の考え方の土台になっているのは、いわゆる裁量労働制です。もう22年前、これをホワイトカラー全般に適用することが議論されていたとき、「労働運動」という雑誌に以下の雑文を書きました(1993年7月号)。安倍さん、財界の22年来の悲願を実現しようとしているわけですね。

「何をもたらす裁量労働制の導入 」

 今国会で審議された労働基準法改正案は、多くの重大な問題をふくんでいたが、その一つが裁量労働みなし時間制の拡大の問題であった。「みなし時間制」というのは、労使協定で一日の労働時間を何時間と決めれば、実際の労働時間がどうあれ、協定で決められたものを労働時間とみなす制度である。
 現行法ではこれは二つの分野で認められている。一つは事業場外労働、つまり外勤の営業職をはじめ仕事の一部または全部を外でおこなうため、労働時間の算定が困難な労働である。もう一つが裁量労働であり、法律を引用すれば「業務の性質上その遂行の方法を大幅に当該業務に従事する労働者の裁量にゆだねる必要があるため当該業務の遂行の手段及び時間配分の決定等に関し具体的な指示をすることが困難な」労働ということになる。

一、ホワイトカラーヘの拡大の危険

 裁量労働制の内容上の問題に入るまえに、これが人ごとではないことに注意を促しておきたい。これまでは、裁量労働制は「研究開発の業務その他の業務」でのみ認められていた。研究開発に類似する業務に限るというのが政府の解釈であった。これをうけた労働省の通達は、裁量労働制を適用してよい業種として、1,新商品又は新技術の研究開発等の業務、2,情報処理システムの分析又は設計の業務、3,記事の取材又は編集の業務、4,デザイナーの業務、5,プロデューサー又はディレクターの業務、の5つを例示していた。
 今回の労基法改正によって、「研究開発の業務その他の業務」という限定が削除された。これは労働省の労働基準法研究会が、昨年9月に労働大臣に提出した報告のなかで、「ホワイトカラーについては、裁量労働制による対応が考えられる」と提起したことを受けたものである。今後、裁量労働制が認められる業種は、公益、使用者、労働者の三者で構成される中央労働基準審議会の諮問をへたうえで、労働省の命令で定められることになる。このなかで、対象業種が無制限にひろがる危険性は、つねにつきまとっている。
 第一に、三者構成の審議会の諮問といっても、中小企業の労働者の週44時間制への今年4月からの移行という以前の決定を、自民党の横やりによって公益、使用者のみの出席でくつがえした最近の例にみられるように、労働者の利益を守る保障とはならない。
 第二に、立法過程で明示されたホワイトカラーへの適用という考えは、今後の命令を定めるなかでも、一つの基準とされる。労働省はホワイトカラーの正確な定義はないという。しかし、労働省所管の特殊法人である日本労働研究機構は、ホワイトカラーとは「(総務庁の)日本標準職業分類でいう『専門的・技術的職業従事者』『管理的職業従事者』『事務従事者』『販売従事者』の4つの職種」と言い切っている(『仕事の裁量性に関する調査研究』)。この4つの職種は、今年9月に公表予定の90年国勢調査によれば、3081万9900人、就業人口総数の49・9%にもなることが予想されている(標本の20%抽出による推計)。労働者の半数にかかわる開題となりかねないのである。
 第三に、宮沢内閣の「生活大国5ヵ年計画」は、「裁量労働制の普及につとめる」ことを目標にしている。この方針のもとで、研究開発に類似する業務に限定したこれまでの労基法のもとでも、オリンパス光学工業は「(研究職より)事務部門の方が裁量の幅が大きい」(「毎日」4月11日)として、研究開発とはほどとおい事務部門にまで裁量労働制を適用している。この問題を追及した日本共産党の金子満広衆議院議員にたいし、政府は事務部門への適用が法律違反であるとは認めなかった。業務の限定をはずした新しい法律のもとでどうなるかは、推して知るべしであろう。
 こうして裁量労働制がひろがる危険があるだけに、この制度の本質を見抜き、無制限な拡大を許さないたたかいをつよめる必要がある。

二、ノルマ達成へ競争と分断を生む制度

 裁量労働制というと、労働時間にだけかかわる制度ととらえられがちだが、けっしてそうではない。裁量労働制の拡大を提案した労働基準法研究会の保原喜志夫氏も、「単なる時短の次元を超え、労働保護制度の根幹に触れる性質のもの」「広く仕事の仕方、企業運営の基本的な仕組みにさえ関わるもの」(「労働基準法改正の動向と論点」『労働法学研究会報』第1900号所収)とのべている。どの点が根幹にかかわるのであろうか。

<ノルマの達成を最大の基準とする制度へ>
 労務行政研究所は、2年まえに裁量労働制を導入した6つの企業の調査をおこない、その結果を公表した(『労政時報』第3037号)。それによると、各企業に共遁す裁量労働制導入の重要なねらいの一つが、「『仕事量(労働時間)=賃金』から『仕事の質(成果)=賃金』への意識改革を図る」ことであるとされている。
 つまり働いたのが何時間かでなく、ノルマにもとづき、どれだけの成果をあげたかを基準にして賃金を払う方向への転換として、位置づけているのである。裁量労働制のもとでは、労働者の実労働時問は意味を失うわけであるから、そういう側面がおのずからつよまるのは避けられない。裁量労働制と年俸制の導入がワンセットですすむ企業が多いのも、そのためである。
 このことは、いま日本のホワイトカラーにおそいかかっている大「合理化」攻撃 と、不可分にむすびついている。日経連は、昨年5月に発表した「労働力・雇用問題研究プロジェクト最終報告」において、「ホワイトカラーの生産性向上は、今後いっそう、企業の重要なテーマとなってこよう」とのべていた。
 日経連常務理事の成瀬健生氏は、「会杜全体として業績を維持しながらホワイトカラーの人数を減らすことができれば、これは明らかにホワイトカラーの生産性向上と判断できる」として、「ホワイトカラーについては常に人員削減の努力をすべきだ」 と主張している(「ホワイトカラーの生産性向上が鍵」『労働法学研究会報』第1900 号所収)。
 裁量労働制は、こうしたホワイトカラーの「合理化」にとって、きわめて都合のよい制度である。なぜなら、ノルマの達成が賃金支払いの基準になれぱ、ノルマの達成できない労働者は、達成するまで何時間でも残業するか(これも生産性向上につながる)、能力のないものとして切り捨てられるかの選択を、迫られるからである。
 労使協定でみなされた時間内に仕事が終われる労働者にとっても、この制度は過酷な結果をもたらしかねない。労働時間について上司から直接の命令をうけない場合も、今月にあるノルマが達成できれば、来月はそれを超えるノルマが課されるからである。労働基準法研究会の渡辺章氏も、「成果目標にだけ課されて、尻を叩かれるようになると、際限のない労働になる。次期の成果は今期の成果にプラス・アルファされた目標になる。予想された成果を上げるために、日に夜を継いで達成に努める」(「40時間労働法制への検討課題」『ジュリスト』第1009号所収)ことになると認め ている。
 こうして労働者は分断され、ノルマの達成をめざす競争が激化する。マルクスは、成果にもとづき支払われる出来高賃金について「一方では、労働者たちの個性、したがって自由感、自立性、および自制を発展させる傾向」があるとして、裁量性につながるような規定をおこないつつ、「他方では、彼ら相互の競争を発展させることになる」とのべたことがある(『資本論』第1巻九五〇頁・新日本新書版)。裁量労働制も、本質的には同様の問題をかかえるものである。

<実証されている長時間労働と過労死の強要>
 裁量労働制のこのような問題が、労働者に過労死をふくむ過酷な状態をもたらすことは、すでに実証されている。
 国立公衆衛生院の上畑鉄之丞氏は、過労死したもののうち労働や身体状況が分かっている203人の調査をおこなった(『総合臨床』第40巻第6号)。このうちホワイトカラーは107人であるが、その内訳はきわめて衝撃的である。一番多いのは、事業場外の「みなし時間制」が適用され、ノルマの達成が基準となっている営業販売職(39人) であった。裁量労働の「みなし時間制」が適用される記者・編集者(15人)も多く、合計で5割をこえる。技術職(28人)のいくつかも、裁量労働制とかかわると推測される。
 このような結果が生まれるのは、「みなし時間制」では長時間労働が恒常化する傾向があるからである。営業職にかんする東京都立労働研究所の調査(『営業職の労働時間管理』)によると、通常の場合と同様に残業すれば残業手当が出る労働者の場合、月平均残業時問は33・5時間となっている。これにたいし「みなし時間制」をとっている場合、つまり残業時間におうじて手当を払うのでなく、残業時間の長短にかかわらず一律に「営業手当」などで処理する場合、月平均の残業時間は51・1時間 から68・5時間の範囲となっている。上畑氏の先の調査によると、過労死したホワイトカラーの7割以上は、月50時間以上の残業をふくむ長時間労働を強いられており、「みなし時間制」をとる営業職の残業時間の数字と一致することは象徴的である。
 「みなし時間制」の場合に長時間労働が固定化するのは、すでにのべたように、ある月にノルマを達成すれぱ、その次はもっと大きなノルマが課され、そのことがくりかえされるからであると推測される。このノルマの増大は、いまの日本のホワイトカ ラーをとりまく重大問題の一つとなっている。都立労働研究所は80年代、技術革新のもとでの労働・職場の変化にかんして4つの調査をおこなったが、その分析を試みたある医学者は、「主としてオフィス労働者に関して得た結論」として、つぎのようにのべる(「職業性ストレスと『過労死』の社会学的パースペクティブ」山崎喜比古『社会学と医療』所収)。  
 「最も広範にみられた第一の変化は、仕事量が増えた、あるいは人手不足傾向が強まった、仕事の範囲が広がった、責任が重くなったというものである」「変化の第二は、企画判断など頭を使う仕事や創意工夫の余地は拡大したというものである」「すなわち、仕事の自由裁量度は大きくなったかも知れないが、職務上の要請・圧力は少なくともそれ以上に強まった。つまり、職務上の要請・圧力は仕事の自由裁量度が大きくなったことのポジティプな影響を相殺して余りあるほどに強まった」
  こうして労働者に裁量性をあたえ「やりがい」を植えつけつつ、ノルマを増大させていったのが、80年代の企業のやり方であった。この論者は、分析の結論として、過労死をもたらす現在の労働者のストレスを、「ノルマストレス」と名づけている。 裁量労働制は、このやり方を合法化するものであり、無制限に適用されるなら、ホワイトカラーをさらに過酷な状態に追い込むことになるであろう。

<労働基準法の適用除外となる危険はらむ>
 裁量労働制の重大な問題の一つとして、労働基準法の適用を除外する労働者の範囲をふやそうとする動きとのかかわりが指摘できる。5月10日、労働基準法研究会は、つぎの労基法改正にむけた報告を労働大臣に提出した。これはきわめて多面的な内容をふくむものだが、そのなかに「労働契約等法制の適用及び当事者」の項がある。ここでは、現行労基法のもとでの労働者慨念が、使用者の指揮監督下で労働するものと解釈されていることを紹介しつつ、「指揮命令や拘束性といった労働者であることを特徴づけるような要素の少ない者が増加している」「裁量労働により就労する場合には時聞的拘束度が小さい」とのべられている。つまり、裁量労働制の適用される労働者は、労基法による保護があたえられる労働者とは、完全には一致しないというのが、労働基準法研究会の考えなのである。
 この報告は、「労働者性の判断については、当面、昭和60年の労働基準法研究会報告『労働基準法の労働者の判断基準について』により運用することが適当」としている。ここでふれられている昭和60年(1985年)の報告では、つぎのようにのべられていた。  
 「『労働者性』の有無は『使用される=指揮監督下の労働』という労務提供の形態 ……によって判断される」、「業務の内容及び遂行方法について『使用者』の具体的な指揮命令を受けていることは、指揮監督関係の基本的かつ重要な要素である」、「勤務場所及び勤務時間が指定され、管理されていることは、……指揮監督関係の基本的な要素である」
 これは、勤務時間が管理されていなければ、指揮監督関係の基本的な要素がなくなり、したがって労働者性の基本的要素もなくなるという論理である。裁量労働も、労基法で「当該業務の遂行の手段及ぴ時問配分の決定等に関し具体的な指示をすることが困難」とされているのであるから、裁量労働にたずさわる労働者には、労働者性の基本的要素が欠如している、したがって労働基準法の適用もできない、ということになりかねない。
 労働基準法研究会のメンバーが、すでにのべたように、裁量労働制を「労働保護法制の根幹に触れる性質のもの」と規定したのは、このような背景があるからである。

三、外国との単純な比較はできない

 裁量労働制を推進する人たちは、欧米でもホワイトカラーは労働時間規制の範囲外にあるという。「この問題についても先進国の例をみると、アメリカのエグゼンプトとフランスの力ードルを挙げることができる」(保原・前掲論文)。
 まずこの点では、わが国においても、すでに管理監督者が労基法の時間規制の枠外におかれていることを、指摘しなければならない。この対象となる管理監督者は、労働省の通達によっても「経営者と一体的な立場にある者」とされ、本来きわめて限定された概念である。しかし実態をみれば、企業の課長クラスは、ほとんどが包含されている。
 労働省の「賃金構造基本統計調査」によれば、管理職等の従業員にしめる比重は、部・課長で8・5%である。また、労務行政研究所の調査(「時間外割増率と営業、役職者の時間外の取り扱い」『労政時報』3096号)によれば、係長であっても時間外手当が支給されていないものが12・7%もおり、これらの係長も通達の時間規制をされていないので、日本でも労働者の10%程度は、労基法の時間規制の枠外におかれていると推測されている。

<管理職の働き過ぎが問題になるアメリカ>
 アメリカのホワイトカラーについていえば、公正労働基準法によって二種類の適用除外者(エグゼンプト)があるが、日本と大きく異なるわけではない。適用除外の一つは「管理的、運営的もしくは専門的地位において使用される被用者」であり、もう一つは「外勤セールスマンとして使用される被用者」である。
 まず後者であるが、外勤セールスマンは、わが国においても、すでにのべた事業場外労働の「みなし時間制」の対象であり、それが適用されれば労基法の通常の労働時間規制をうけない。 前者についてみても、管理的、運営的な被用者といえば、両国の法律上の概念の違いはあろうが、日本での管理監督者のことである。専門的な被用者にしても、これまで日本で裁量労働制の対象となってきた「研究開発の業務その他の業務」と大きく変わるわけではない。
 したがって、実際に労働時間規制の適用除外をうけているホワイトカラーの数にも、本質的な違いはない。中窪裕也氏が紹介するアメリカ労働省の統計によれば、 1989年時でで、民間部門の労働者のうち、管理的、運営的、専門的な被用者のしめる割合は14・8%である(「アメリカの適用除外とカナダの二段階規制方式」『日本労働研究雑誌』399号所収)。日本では管理監督者が10%、アメリカの専門的被用者にあたる「研究開発の業務その他の業務」で働く労働者は、前出の5業種で約186万 人、全就業人口の3%(90年国勢調査の推計値)で、実際はアメリカとほとんど変わらないといえる。
 しかもアメリカでは、年俸制で裁量的に働くホワイトカラーの働き過ぎが問題になってきている。『日経ビジネス』誌(92年11月16日号)で、米ハーバード大学のある助教授は、「平均的な米国のビシネスマンが午後5時に帰宅して庭の芝刈りをする光景は、過去のものとなった。今や午後7時過ぎに疲れきって帰宅し、持ち帰った書類の作成をし、週末も出張でつぶしている」「現在のように年俸だけを規定する契約では労働時間が際限なく長くなる。政府の規制で年間労働時間を盛り込むべきだ」とのべている。
 こうしてアメリカでは裁量労働制につうじる年俸制が問題になリ、労働時間にたいする政府の規制が求められているときに、日本ではホワイトカラーへの裁量労働制をひろげ、時間規制からはずそうとしているのであり、逆行以外の何ものでもない。

 <厳格な歯止めのあるフランスの事例>
 フランスでは、ホワイトカラーは事務員、テクニシアン(技術員)、職工長、力ード ル(幹部職員)、エンジニアーに分けられるという。このうち力ードルが、裁量(請負)労働をおこない、時間外労働規制の枠外にある者として典型例といわれている。しかしカードルの割合は、88年の政府統計によっても、雇用労働者総数の11%であるとされ(「時間外労働の国際比較と日本のあり方」神代和欣『労働法学研究会報』1879 号所収)、日本の管理監督者どほぼ同じ割合である。
 しかも、この力ードルも、上級の幹部職員と一般の幹部職員にわけられ、後者の場合は「賃金支払い明細書に包括的な賃金に対応する労働時間数が記載され」「この時間数を超過すると、超過勤務時聞の割増賃金支払いに関する諸規定が適用される」といわれている(「フランスの年単位変形労働時間制と幹部職員の労働時間管理」小宮文人『日本労働研究雑誌』399号所収)。わが国の裁量労働制のように無制限ではないのである。
 またフランスでは、この裁量労働制が他のホワイトカラーにひろがる傾向にあるともいわれている。しかしこの場合、条件はさらにきびしくなる。賃金が残業手当を含んだものと同等かそれ以上であり、本人の承諾を得るという「二つの条件をカバーすれば法的に認められている」(「フランスのホワイトカラーのキャリアーと労働時間」鈴木宏昌『季刊 労働法』165号所収)のである。 さらに、判例上も、割増賃金を支払う義務のないのは力ードルだけであり、「請負労働の仕事の量が多すぎ、残業をせざるを得ないテクニシアンなどの場合、所定外労 働を請求する可能性はある」(同前)のである。
 外国の例をもちだして裁量労働制をひろげようとするのは、かえって日本の裁量労働制の特異性をうきぼりにするだけである。裁量労働制の無制限な拡大を許さないために、今後ともたたかいをつよめていかなければならない。(了)

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