君島東彦「安全保障の市民的視点」

2015年2月23日

 伊勢崎賢治さんから、近著『本当の戦争の話をしよう』(朝日出版)をいただいた。サブタイトルが「世界の「対立」を仕切る」で、以下にも伊勢崎さんらしい。何年か前、福島高校の生徒を相手にしゃべった講義をもとにつくられたものだ。この縁があったので、昨年の3.11、弊社の福島企画で、伊勢崎さんと福島高校ジャス研究部のジョイントが実現したこともあり、本ができあがったのが本当にうれしい。

 まだ、序「日本の平和って、何だろう」を読んだところで、ちゃんとした書評は別に書く。序を読んだだけで言うと、戦争と平和をめぐる矛盾に満ちた現実のなかで仕事している伊勢崎さんの本領が発揮された本だと思う。序の最後に、大量殺人の責任者と笑顔で話し合うことの戸惑いについて触れられていて、「ああ、シエラレオネでの体験ね」と思ったけど、こういうリアリティをもった本は、伊勢崎さん以外には書けないからね。本の成り立ちからすると(装丁からも)、高校生向け?と捉えられるかもしれないけれど、本格的な大人向けの本。「戦争」と「平和」は対義語だと思い込んでいる人に読んでほしい。

 さて、もうひとつ、君島東彦さんから、『立憲的ダイナミズム』(シリーズ日本の安全保障3、岩波書店)をいただいた。君島さんが、そのなかで「安全保障の市民的視点──ミリタリー、市民、日本国憲法」という論考を書いておられるのである。

 これは、一言で言えば、戦争を平和をめぐる複雑な現実に学者の側からアプローチした本として、非常に大きな意義がある。憲法九条と自衛隊の矛盾とその克服の方途を、リアリティをもって捉えようとしていることに、本書の存在意義がある。

 この論考では、そこを検討する前提として、戦争と平和に関する思想の分類について言及している。伝統的な3分類(現実主義、正戦論、絶対平和主義)では大雑把すぎるとして、私は不勉強で知らなかったのだが、マルチン・キーデルの5分類(軍国主義、介入主義、防衛主義、漸進的平和主義、絶対平和主義)が紹介されている。防衛主義とは、攻撃的でない防御的な軍備が平和をつくるというもので、日本でいうと「専守防衛」のようなものだろう。

 君島さんがキーデルの類型論の「ポイント・価値」として指摘しているのが、平和主義をふたつにわけたこと。絶対平和主義(pacifism)と違って、漸進的平和主義(pacificism)というのは、「長期的な目標としての戦争の廃絶はあきらめないが、暫定的には防衛のための軍事力の保持と行使を容認する立場」であるとされる。

 これは、私も本当に大事だと思う。伝統的な類型化によっては、武器を捨てない限り、「平和主義」の思想ではないことにされてしまうからだ。そういう類型化では、日本国民の圧倒的多数の平和主義を説明もできない。

 君島さんは、この類型化を使って、戦後日本の平和主義を定義していく。憲法研究者や革新政党のあいだでは絶対平和主義が強かったが、市民のあいだでは漸進的平和主義が主流だったこと、戦後の日本が九条と自衛隊を両立させてきたことは(日本政府の憲法解釈は)、「防衛主義の要素を持ちつつも、主として漸進的平和主義の枠内にあった」とするのである。また、次のようにも言っている。

 「憲法九条と自衛隊の矛盾は、いまの世界秩序の矛盾あるいは過渡的性格──主権国家の軍事力行使によって問題は解決できないが、それに代わる方法が未発達である──を体現するものにほかならないであろう。そう考えると、憲法九条と自衛隊の矛盾は、戦後世界秩序の「例外」というよりもむしろ「本質」──過渡的性格──をあらわしているともいえよう」

 もちろん君島さんは、その矛盾をどう克服するかという方向性については、確固として憲法九条を実現していくことを選ぶ。だが、こうやって学問的な探究をすることによって、良心的な自衛官や防衛省の幹部などをはじめ、矛盾のなかで、難問に直面しながら、少しでも平和主義の立場に立とうとする人を励ますものとなっている。

 まあ、君島さんは、ふつうの平和主義者と違って、紛争現場にみずから出向いていく人だから、こういう解明ができるのだと思う。一読をお勧めしたい。

 なお、このシリーズ、自衛隊を活かす会の柳澤協二さんや加藤朗さん、会がシンポジウムに呼んだ防衛大学校の宮坂直史教授なども執筆者に名を連ねている。それ自体、新しい平和主義概念のあらわれだと言えるのかもしれない。

記事のコメントは現在受け付けておりません。
ご意見・ご感想はこちらからお願いします

コメント