グリムとマルクス

2015年5月27日

 田舎に行くって書きましたが、失礼でしたね。グリム兄弟博物館のあるカッセルという街に来ているんですが、人口は19万なのに、戦後、ボンやフランクフルトとともに、首都の候補の一つになったような、いわばドイツの中心地のひとつだということでした。

 さて、この旅、戦後70年の戦争と平和をテーマにした部分は終了し、最後の二日間はテーマが変わります。グリム童話の訳者としても知られる(というか、それが本業である)池田香代子さんと訪ねるメルヒェン街道の旅なんです。

 まあ、私としては、グリムと言われてもあまりピンと来ない部分はありました。でも、前半が充実していそうだし、最後は少し気楽になれるのもいいかと、ぼんやりと考えていたんです。

 だけど、池田さんが用意した資料を出発の前日に読んで、ガラッと印象が変わりました。グリムが身近になったと言えばいいでしょうか。

 その資料で、グリムが、1846年のフランクフルト会議で議長を務めたとあったんですよ。それ以前のドイツは、30いくつかの小さな公国などに分かれていて、それをどう統一するかが焦点になっていたんですが、その統一ドイツの範囲をどうするかとか、公国ごとに分かれていた言葉をどうするかとかが、文学者や哲学者などの間でも議論になっていて、有名な学者が集まって開かれたのが、この会議。そこで誰を議長にするかが紛糾したときに、それならグリムしかいないということになったそうなんですね。

 で、フランクフルト会議と言われてすぐに思い出すのは、その2年後の1848年に開かれたフランクフルト議会ですよね。統一ドイツの憲法をつくるため、公国などからの代表が集まった議会です。

 マルクスやエンゲルスが参加した1848年のドイツ革命の産物として、この議会が開かれ、マルクスなどもこれが成功することを願っていたわけです。結局、革命の敗北とともに、公国が民主的に統一されたドイツの憲法というかたちではなく、強大なプロイセンが自国の憲法にもとづいてドイツを統一するということになっていくわけですけど。

 グリムは、童話を通じて、統一ドイツの国民的な価値観の形成に寄与するわけです。童話の中身がそうなっているのだと、池田さんが昨日の講義で語っておられました。

 そういうことで、グリムとマルクスが同じ時代に生きて、共通するものもあったのだということで、童話としてしか捉えていなかったものが、急に身近になったというわけです。食わず嫌いはだめですよね。

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