朴裕河さんの起訴をめぐって

2015年11月21日

 昨日の記事を書いたのは、出勤前の午前中でした。午後、少しの時間だけ仕事に出て、その際、各紙に目を通したのですが、「びっくりぽん!」でした。

 その前日の夜、テレビでニュースが流れました。『帝国の慰安婦』を書いた韓国の朴裕河さんが、その著書が名誉毀損にあたるとして起訴されたというニュースでした。これだけでもびっくりです。学問の自由、言論出版の自由への挑戦ですからね。

 それで、この重大問題が、各紙でどう扱われているのだろうと思って、昨日の昼間に各紙を見たわけですよ。そうしたら、取り上げているといえるのは読売だけで(日経も1段5行のベタ記事)、朝日、毎日、産経、京都、赤旗は沈黙していました。朝日はネット版読者なので検索してみたら、東京本社版だけは第3社会面で短く客観報道(賛否はあきらかにせず)してました。ネット版では産経も取り上げていました(他紙のネット版は確かめず)。

 読売は2面で事実報道をした上で、9面では上段の半分を3分の2くらい使って大きな論評をしています。読売でできたのですから、各紙ともこの程度の論評を書く時間は十分にあったと推察されます。それなのに、政治的立場の違いを超えて、読売以外は書かなかった(書けなかった?)。

 これ、深刻だと思いました(だから、休みの日にはブログを書かないという定めを破って書いてます)。慰安婦問題という重要な問題で、異なる立場が対立していて、だからこそ自由な議論を通じて、何らかの合意に向かわなければならない局面です。その程度のことは市民運動なら分かっていて、だから日韓首脳会談で妥結に向けて作業するという合意ができたという局面で、だけどどうしていいか分からずに戸惑っているわけです。その戸惑いを超えて本格的な議論を起こさなければならないときに、司法が一方の側の議論を封殺するというのですから、これほどの驚きはありません。

 最近の韓国の司法当局は、いま流行の言葉でいえば、立憲主義を踏み外していると言わざるをえません。まじめに国際法を学んでいれば、日韓条約と請求権協定で決着済みという解釈に異論が生まれつつはあっても、いまだにそれが主流であることくらいは分かるはずです。韓国の司法機関だから異論の側に立つという場合であっても、司法機関だという自負があるなら、主流の議論に対する目配りもない一方的な判決が下せるわけがありません。独裁政権が続いた長期間、独裁を助ける役割しか果たせず、そこから解放されて舞い上がった気持ちになっていることは理解します。しかし、この間、慰安婦や徴用工の問題などでの判決が世論の圧倒的支持を得たことで、司法機関というより、世論を扇動する機関に成り下がっていると言われても仕方がありません。

 それも韓国のこと。日本の言論機関はどうしたのでしょうか。朴裕河さんの今回の本は、私がこの春に出した『慰安婦問題をこれで終わらせる。』でふれたように、私の本の「生みの親」といえるもので、共感できるものです。もちろん、それに共感できない人がいることも知ってはいますが、著者が名誉毀損で起訴されるということについて批判もできないようでは、言論の自由の担い手として恥ずかしいのではないでしょうか。

 と思っていたら、本日、朝日は「社説」を出しましたね。「歴史観の訴追 韓国の自由の危機だ」という見出しが示すように、基本的なスタンスは読売とそうは変わらないものでした。

 昨日に記事で書いたように、慰安婦問題は、いまが最後の局面です。今回、解決しないとしたら、慰安婦が生きておられる間の解決はありません。朝日も産経も、それから他のメディアも、どうしたら解決するのか知恵を絞って、協力できるところはするのだという立場でがんばってほしい。

 今回のような韓国の判決の立場では慰安婦問題は解決しないという程度のことは日本の世論が一致しないと、本当にこの問題は解決しません。朴裕河さんが起訴されたことは許されませんが、それをきっかけとして、日本と韓国の世論が再び盛り上がってほしいと強く願いします。

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