昨夜、福島から東京経由で京都まで、民族(一人だけど)大移動。1週間の出張の最後だったので、さすがに疲れました。
生業訴訟に関わりはじめた最初に、傍聴をしたことがあります。しかしその後は、2か月に1度の裁判の度に福島には行きましたが、私の役割は傍聴できない人のために講演会を開催することだったので、その講師のお相手もしなければならず、ずっと傍聴しないで来ました。
昨日は、最後ということで、私は講演会に責任を持たないでいいように配慮してくださって、傍聴することができました。人前で涙を見せることのない自分ですけど、昨日はさすがに何回も涙ぐんでしまいました。
服部浩幸事務局長の最後の訴え、かっこよかったです。しびれました。傍聴席から思わず大きな拍手。裁判長も、「静粛に」と言いつつ、「お気持ちは分かりますが」とおっしゃってました。
3.11のとき妊娠八か月で切迫流産だった方の証言もありました。そういう事態なので避難もできず、出産後9か月ほどの避難生活を経て、現在は福島市内に住んでおられます。その間の気持ちの揺れが切々と伝わってきました。最近の話ですが、福島県外の親戚の家で集まったとき、小学生の子ども同士が楽しい時を過ごし、最後に「今度は○○ちゃんのお家で会いたいね」という話題になったのに、ある小学生のお子さんが「○○ちゃんのお家は福島だから行ってはいけないんだよ」と口にして、ご自分の子どもがうつむいたというお話もされていました。このような話は、まだ日本中に山のようにあるんでしょうね。
本日は時間がないので、これ以上書けませんが、明日と明後日、生業訴訟について思うことを書いておきたいと思います。なぜ私がこんなに入れ込むことになったのか、分かっていただけるかも。(続)
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