「古墳は語る」ツアーそして税

2013年4月30日

昨年、「未来への歴史シリーズ」の刊行を開始した。その2巻目が『古墳は語る』であった。帯には、「本書は、日本版『家族、私有財産および国家の起源』である!」と、堂々としたコピー。

実は、この著者である石部正志先生と訪ねる奈良古墳の旅が企画され、連休に入った27日からの2泊3日で実施されたのだ。その初日だけ参加させてもらった。役得である。

古代史って、研究者からは怒られるかもしれないが、良質の推理小説のようなところがあると思う。数少ない証拠から論理を組み立て、推論していくところがである。

宮内庁は、継体天皇の后である手白香皇女のお墓は西殿塚古墳だとしてきた。しかし、この古墳は3世紀につくられたもので、手白香皇女の没年(6世紀)と全然合わない。一方、継体天皇陵(今城塚古墳)から多数出ているのと同じ埴輪が、奈良の別の古墳(6世紀)から出土しているが、それこそ手白香皇女の墓であることを意味していないか。そう考えると、この墓だけが、向きが違うことも説明できる。では、西殿塚古墳は、本当は誰のお墓なのだろう。

等々、いろいろな専門的なお話を伺いながらのツアーは、石部先生同行の旅ならではのものであった。今後も、このシリーズの刊行に併せて、可能ならばツアーを組んでいく予定なので、是非、注目していただきたい。

さて、そのツアーで先生が語ったことが印象的だった。こんな古墳をつくる財力はどんなものだったのかということに答えながら、当時の税について語ったわけである。

古墳時代はすでに国家権力の生成期であって、労働の提供その他のかたちで人々は搾取されていたわけだ。だが、先生がおっしゃるには、それ以前の原始共同体の時代にも、各人が労働の収穫を消費するだけではなく、共同体の将来のために収穫を出し合い、備蓄するようなことはやられていたということだった。

それでは、そういう場合の収穫の提供というのは、はたして税なのだろうか。税というのも、その始まりにおいては、権力による強制というものとは無縁だったということだろうか。

いま別の編集者が準備している学校図書館向けの税の本では、第1巻が税の歴史に当てられることになっている。もしかしたらそれって、専門的な論文としてまとめるとすると、「経済的社会構成体の変遷と税」なんてことになるのかも。史的唯物論の復権かな?

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