安彦良和『原点』で思ったこと・了

2017年5月29日

 さて、「似ているなあ」と感じたことを書いてきたけれど、もちろん違いも大きい。とりわけ社会主義の評価と組織の問題かな。

 やはり、私より少し上の世代は、若い頃に社会主義への幻想みたいなものがあったのだろう。だから、スターリン批判で「これは社会主義ではない」と感じ取り、ソ連の崩壊にあたって、どんな種類のものかは別にして、あれ大きな感傷を抱くことになった。「トロツキスト」なんだったらソ連が崩壊しても何の感慨もないだろうと思うのに、安彦さんにはこだわりが感じられる。

 一方の私は、スターリン批判は小学生だったので知らないが、もうそれが前提となった社会主義観で出発した。プラハの春を見て、「社会主義というのはこういう社会」だと思いながら大きくなったし、大学に入って中国の核実験をめぐる日本共産党の混乱ぶりを外から見て、「まだ共産党は社会主義国というものに幻想を持っているのだ」とびっくりしたくらいだ。

 そんな私が共産党というものに近づいたのは、社会主義国に共産党はまだ幻想は持っているにしても、ソ連や中国とのはげしい論争を見て、それなら信頼できると感じた部分があったからだ。中国などを評価するような共産党だったら、何の興味も湧かなかっただろう。社会主義ソ連が崩壊した時も万歳したから、共産中国が崩壊する時も同じ態度をとるだろう。

 それと関連するが、私にとっての社会主義とは、中国やソ連とは対極にある「自由な社会」のことであった。『資本論』で描かれているように、「各個人の完全で自由な発展を基本原理とする、より高度な社会形態」「自由な人々の連合体」というものである。「個人」の自由こそが大事である。そんな社会が簡単に来るなどとは思わないが、何世紀後かにはやってくると思う。そんな先の社会のことを党名に掲げるかどうかは微妙な問題だろうけれど。

 同時に、そういう社会を実現できるとすると、それを担う組織も、同じような原理で運営される組織だと感じる。『共産党宣言』には、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの協同社会」という言葉が出て来る。これは社会主義の特質として規定されたものだが、組織のことを考えても、「各人の自由な発展」が組織にとっても「自由な発展の条件」になるような組織である。

 そういう組織の原則を確立し、運用できたとき、社会主義は魅力を回復するかもしれない。安彦さんは、組織そのものに幻滅しているが、私はそれほどではない。まあ、簡単ではないという言葉では完璧に足らないほど簡単ではないのだけどね。私は努力してみる。

 安彦さんのこの本、岩波書店の担当編集者は尊敬する大山美佐子さんだ。良いお仕事をしてますね。私も頑張らなくちゃ。(了)

記事のコメントは現在受け付けておりません。
ご意見・ご感想はこちらからお願いします

コメント