習近平報告を読む・1

2017年10月30日

 といっても中国専門家ではないし、共産党大会への報告を読んだからといって、平板な自画自賛の報告でもあるし、深いところが分かるわけではない。しかし、いろいろ考えるところがあったので、思いつくままに。

 まず驚いたのは、その経済発展至上主義だ。報告は何章かに分かれていて、最初は「過去5年間の活動と歴史的変革」というものだが、その冒頭にあるのは「経済建設が大きな成果を収めた」という節である。

 経済成長率が主要国のうちで上位であり、GDPは世界第2位で、新興産業も発展したし、インフラ整備も進んだしということからはじまる。有人深海調査艇、球面電波望遠鏡、暗黒物質粒子探査衛星などが固有名詞をあげてこれでもかこれでもかと登場し、科学技術の成果を誇る。それら固有名詞の直後に「南中国海(南シナ海)の島嶼建設」があって、「インフラの一環かよ」「軍事面の成果に持って行けよ」と笑わせるのはご愛敬。

 まあ、仕方がない面もある。とにかく、毛沢東の大躍進、文化大革命でめちゃくちゃな状態に陥って、改革開放政策でなんとか発展しようとしたわけだから。

 でも、「人民の生活が不断に改善された」が5節に来るって、どうよ。建前としても「共産党」を名乗るなら、それを前に持ってくるぐらいは必要でしょ。人民の生活が改善されることが「成果」の本質的な基準であって、そうなったのは経済成長を達成したからだというのが、共産党だと思うんだけどね。中国共産党では、そういう考え方は通用しない。

 それは、他のいろいろなことを見ても分かる。たとえば、だ。この報告をアクロバットのOCR機能でテキスト化したのは、検索を容易にするためだった。

 何をキーワードで検索したかというと、例えば「人権」。5万字の報告のうち、わずか1回しか使われていない。「人権に対する法的保障を強化」とある。しかし、どこで使われているかというと、「党の指導、人民主体、法に基づく国家統治という三者の有機的統一を堅持する」という節においてなのだ。「権利」という言葉も数回使われているが、同じような位置づけである。権利は西洋のもので、嫌われているわけだ。

 つまり、中国共産党においては、成長そのものが第一義的なものなのだ。国民の権利を保障するために何らかの達成を成し遂げるという関係になっていないということだ。「所得再配分」という言葉も一度だけ登場するし、言葉としては格差も重視されているように装われているが、全体として、改革開放の初期にめざされた「富めるものがまず富む」という方向が堅持されている。

 まあ、そういう人々が権力の中枢にいるからなんだろうけどね。本日から東京。(続)

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