慰安婦問題──ドイツと日本

2018年1月16日

 慰安婦問題はどうなるのだろうね。NHKや読売の世論調査では、韓国側の態度に理解を示す日本人は1割にも満たず、8割以上が日本政府を支持している。

 先日、その1割に属する人と飲んでいて、「なぜ、こんな世論になるのか、理解不能だ」と言っていた。「日本側は実質的に何もしていない。ドイツと大違いだ」と。

 それで、日本とドイツのことを、簡単に説明したのだ。戦争が終わったら敗戦国がどう償うかについて、いろいろな歴史的経過があるということを。

 ずっと長い間、それを国家と国家の間の条約で決着させるというのが、通常のやり方だった。日本もまた、サンフランシスコ条約や、それに続く各国との条約によって、それらを決着させてきた。性格は異なるが、韓国との間でも、それを日韓条約と請求権協定で決着させた。だから、決着済みというのは、国際法的に動かしがたいことなのである。

 一方のドイツは、戦後に国家が分断され、条約を結ぶ主体として問題があった。しかし、ナチスが犯した犯罪はあまりに重大で、統一されるまで待ってくださいとは言えなかった。だから、条約を結ぶことなく、被害者個々人に対して補償するという、新しい方式をとることになった。

 やり方が違うとはいえ、どちらも責任は果たしたのである。しかし、実際にやってみると、個々人に支払うドイツ方式が良いやり方のように思えた。

 第一次大戦後のベルサイユ条約でも、国家間の条約で賠償を取り立てる方式が継続していたが、総力戦の時代にふさわしく国民が動員され、国民が被害を被ったので、その賠償は国民の被害に対して支払われるという考え方が導入されていた。実際には個々人に支払われることはなかったが、そういう建前でもないと、被害者は納得しなかったということだ。

 ドイツ方式は、国民が戦争に巻き込まれる時代にふさわしかった。人権が大事にされる時代にもふさわしかった。

 しかし、法的な観点から見れば、日本も責任を果たしたことに変わりはない。謝罪する気持ちがどれだけあったかどうかとは別にして、法的責任は果たしたということだ。

 そうはいっても、人権問題、人道問題である。慰安婦の方々の訴えに心をかき乱される人びとの多かったわけで、何らかの人道的な措置が求められた。

 だから、河野談話以来、一昨年の日韓政府合意も含め、いろいろな努力がされてきたのだ。しかし、「まだ法的責任を果たしていない」という牢固な思い込みが、日韓の双方に存在してきた。

 それが、日本側に限って見ると、かなり減ってきたというのが現状だろう。あとは韓国側をどうするのかということが問われている。

 法的責任は条約を結べば果たされるが、それは形式的に責任を果たしたということで、心から悪いと思ってされた行為かどうかは別なのだ。そこをどう見るのか。明日も続きかな。

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