自衛官と市民運動

2018年3月14日

 今年になって、いくつかの市民団体から、「幹部自衛官を呼んでお話を伺いたい」という依頼を受けるようになりました。憲法九条に自衛隊が加憲されるというのに、その自衛隊について抽象的にしか知らないことを自覚し、慌てているという要素もあると思います。

 まあ、そういう自覚が生まれているだけでもいいことですので、できるだけご紹介するようにしております。しかし、率直に言って、最低限守ってほしいルールみたいなものはあります。

 ここ数年、泥さんなどが活躍したので、「自衛官がかつての態度を変えて、護憲の仲間になった」みたいに思っている人がいます。しかし、泥さんのお話をちゃんと聞けば分かるように、泥さんは護憲派ですが、自衛隊は日本の国防にとって不可欠な存在だと考えており、積極的な自衛隊合憲論者でもありました。泥さん自身の考えは、自衛官の時代からずっと一貫していたのです。

 ましてやいま呼ばれているのは幹部自衛官です。日本の防衛のためには生命を賭すこともいとわないという立場で、現場の自衛官を訓練し、指揮してきた人びとです。自衛隊の使命を深く自覚している人ばかりです。そこはずっと変わっていないし、誇りも持ちつづけています。

 さらに言えば、戦争を回避したいという気持ちを、もっとも強く持っている人たちだとも言えるでしょう。だって、戦争になって死ぬのは自分たちなのですから。

 自衛官を前にして、市民運動の人が持論を表明するのは構いません。「F35は憲法違反だ」とか、「ミサイル防衛はアメリカのためのものだ」とか。

 でも、日本のために尽くすという使命感を持っていることへの敬意を払ってほしいとは思います。アメリカと在日米軍に自衛隊が関わるのも、それが日本防衛に必要だという気持ちからのものだとは知ってほしい。それを間違いだと考えるのはいいですが、自衛官の論理をよく分かっていないと、国民を前にして説得力のある宣伝もできないわけで、よく理解するために話を聞くというのが基本であってほしい。自分とは意見が異なると表明するのはいいけれど、日本を危険にさらすために何十年も自衛隊に所属してきたみたいな物言いは避けてほしいと思います。

 また、幹部自衛官のなかには、九条のままでいいという人もいます。しかし、だからといって、それを護憲運動に利用しようというのは止めてほしい。護憲の場合も、みんな苦しいんです。市民運動の人から「違憲だ」と批判され続けた記憶も消えていません。また、仲間のなかには憲法に自衛隊が位置づけられることを喜ぶ人が多くて、ただでさえ肩身の狭い思いをしている人もいます。

 それなのに、「この幹部自衛官も護憲なのだから、君たちも護憲派に加われ」みたいな使い方をされたら、二度とそういう場には出てこないでしょう。そういう人が護憲という立場を表明するだけで大変なのだということを自覚し、静かに聞いてほしいなと思います。
 

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