「侵略の定義」は法的な概念にもなっている

2013年5月10日

安倍さんの侵略問題での発言が、引き続き波紋を呼んでいる。先日、この記事でもとりあげた「侵略の定義」と題する国連総会決議についても国会で議論があり、記事で予想した通りの答弁があったようだ。

 安倍さんは、侵略の定義は政治的なものであって(どちらの国から見るかで異なる)、学問的には固まった概念ではないという考えである。しかし、これも先の記事で書いたとおり、侵略の定義は、国際刑事裁判所規程で侵略犯罪を裁くことが合意されたことにより、すでに法的な概念になっている。

 裁判にかけて判決を下せる状態にあるということは、すでに政治的な概念ではないということだ。政治的だというなら、安倍さんの言うように、政治体制いかんで正否が逆転することになるので、犯罪の対象にすることはできない。だけど、政治の見方にかかわらず、侵略犯罪は裁ける段階にあると国際社会が判断したからこそ、国際刑事裁判所規程の最終合意にいたったわけである。

 安倍さんは、侵略かどうかは最後は国連安保理が決めるから政治的だと言っているそうだ。実際、拒否権のある国は侵略で提訴されることにならないというなら、そういう言い方も可能だろう。国際刑事裁判所規程の議論でも、ここが焦点になった。安倍さんのように考える人が多かったので、当然、それをどう克服するかが議論されたのだ。だから、安倍さんの言い方は、完全な誤りというのではない。

 だけど、その問題は、議論を通じて克服されたのだ。侵略犯罪が起きた時、安保理が裁判所に提訴するのだが(だから、拒否権が発動されて提訴できない場合もあるのだが)、安保理が動かない場合があることを想定し、裁判所の予審部門が許可すれば裁判に付せるようになったのである。拒否権が発動されても裁けるということだ。これは、外務省のホームページにも出てくる。

 国連総会決議「侵略の定義」にしても、すでに国際裁判で判決の基準として援用されていることが大事である。86年、国際司法裁判所は、アメリカのニカラグアに対する爆撃問題を裁いた裁判で、「侵略の定義」を基準にすえて、アメリカの攻撃が「侵略」にあたるかどうかを判断したのだ。だから、これも政治的なものではなく、法的な(学問的であることは当然)概念に昇華したといえる。

 外務省はいったい何をしているんだろうね。日本の国益を背負って立つという気概が少しでもあるなら、安倍さんに対して、「あなたの考え方はすでに古くなっている」と、ちゃんと説明しておくべきだろう。日本の国益よりも自分の立身出世を優先させ、安倍さんにおもねる方が大事だというのかなあ。困ったものである。

記事のコメントは現在受け付けておりません。
ご意見・ご感想はこちらからお願いします

コメント