虚構の集団的自衛権・3

2013年5月22日

 冷戦の終了とともに、集団的自衛権をめぐる状況は様変わりする。そのスタートとなったのは湾岸戦争だった。

 イラクがクウェートを侵略し、最後は、多国籍軍がイラクを占領地から追い出すための戦争をした。その戦争のことである。

 この湾岸戦争、冷戦の終了で安保理が機能することになったことで記憶されているが、集団的自衛権という問題でも大転換をもたらした。なぜかというと、安保理は、クウェートからの撤退をもとめた最初の決議で、加盟国が個別的および集団的自衛の固有の権利をもっているとのべ、事実上、集団的自衛権をオーソライズしたからである。

 安保理がこういう決議をしたのは、歴史上はじめてのことである。だって、そもそも、憲章第51条の自衛権というのは、安保理が一致できないことが予想されるので、各国が勝手にやってくださいよという趣旨で導入されたものであって、安保理が一致して自衛権を認めるというのは、想定されない事態だったのである。

 ただ、いずれにせよ、この決議によって、湾岸戦争においては、世界のすべての国が集団的自衛権を認められることになった。アメリカも、この決議にもとづき、湾岸地域に軍隊を集結させていった。在日米軍も出動した。

 これは、集団的自衛権が普遍化するかもしれないことを予想させるものだったといえる。だって、あれだけ大規模な侵略があったわけだから、それに対してクウェートが個別的自衛権で反撃するのも、他の国がクウェートを集団的自衛権で助けるのも、それぞれ当然のことであるように思われた。

 私も、きのうの記事で書いたような事例と異なり、正真正銘の侵略への反撃の場合は、当然、集団的自衛権は認められるべきだと考えた。在日米軍の出動にも反対できないよなと感じた。

 しかし、これも多くの方が覚えておられるように、湾岸戦争では、結局、集団的自衛権は発動されなかったのだ。各国の集団的自衛権にまかせるのではなく、国連として武力の行使を含む「あらゆる必要な措置」をとることを安保理が決めたので、その決議にもとづいて多国籍軍が組織され、戦争を遂行したわけである。変則的ではあるが、自衛権ではなく、国連による武力行使というかたちをとったのだ。

 だから、この事例においても、集団的自衛権は普遍的なものにはならなかった。というか、集団的自衛権が普遍的だと思えるようなケースでは、国連安保理が機能するということだ。

 だって、冷戦期は、どこかで戦争が起こったとして、それは米ソの代理戦争のような要素をもっていたから、拒否権で応酬し合う安保理の議題にはならなかったけれども、そうでなくなったのだ。侵略を目の前にして安保理が一致しないということの方が、レアケースになったのである。

 それだったら国連でやろうよということで、湾岸戦争後、ソマリアとかユーゴとかルワンダとか、安保理が決議して平和維持軍を派遣するケースが急増する。もちろん、それらが成功したとは、とてもいえない。国連はまだ大規模な紛争を少ない犠牲で解決できる力をもっていない。

 ただ、湾岸戦争は、集団的自衛権が発動されるようなケースは、結局は国連がのりだすのだということを印象づけたことで重要である。逆に、安保理がのりださないような事態というのは、本当に集団的自衛権の発動要件である「武力攻撃の発生」があったのかが疑われるようなケースだろうということも印象づけた。昨日、トンキン湾事件のことを書いたけど、米艦船への攻撃が謀略だった場合、安保理は集団的自衛権をオーソライズするようなことはないだろうしね。

 ところが、この貴重な成果を台無しにするようなことが、21世紀になって発生する。いうまでもなく9.11テロをきっかけとした対テロ・アフガン戦争である。(続)

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