虚構の集団的自衛権・4

2013年5月23日

 集団的自衛権が大きな転機を迎えるのは21世紀に入ってから。そう、9.11テロに際してである。

 あのテロの翌日、国連安保理は会議を開き、採択した決議前文で、個別的・集団的自衛権をオーソライズした。湾岸戦争のときと同様、安保理は、国連がこの問題に関与し続けると宣言し、ビン・ラディンの引き渡しをタリバン政権に求め、経済制裁を開始した。

 ところが、湾岸戦争と違ったのは、あのときは安保理の軍事制裁決議を引き出すために努力したアメリカが、こんどはそのような努力はしなかったことである。そして、「自衛権」をかかげてタリバン打倒の戦争に向かったのであった。

 NATOは外相会議で集団的自衛権を発動することを決め、アメリカの後方支援をおこなった。アメリカ大陸に存在するリオ条約機構も、実際に兵力を送ることはしなかったが、集団的自衛権の発動を決定した。

 こうして、湾岸戦争は集団的自衛権の実際の発動なしに終わったのに、対テロ・アフガン戦争では、多くの国が集団的自衛権を発動したのである。しかも、国連安保理のオーソライズもあった。

 この結果、集団的自衛権は普遍性を獲得する方向になったと、そう言えるのだろうか。そんなことはない。

 だって、ここで個別的・集団的自衛権が発動された結果、アフガニスタンと世界はどうなったのだろうか。湾岸戦争のときは、イスラム諸国も含め、多国籍軍の武力行使に協力するという方向が進んだが、対テロ戦争においては、イスラム世界とアメリカ・西側の亀裂は拡大し、深まった。アフガニスタンの泥沼化はおさまる様子がなく、アメリカもNATOも撤退の展望を見いだせていない。これまで平和外交で有名だったノルウェイなどもアフガニスタンに派兵して、殺戮に荷担しているため、もうかつてのような外交的役割を果たせなくなっている。

 そう、個別的・集団的自衛権に訴えたやり方が明白に失敗したのである。おそらく、戦争に踏み切ったときにこの結果が分かっていたら、同じような軍事行動をとる国はなかっただろう。これでは普遍的どころの話ではない。

 それだけではない、冷戦期における集団的自衛権の発動は、すでに紹介したようにその権利の地位をおとしめることになったが、対テロ戦争は、自衛権そのものに疑問符をなげかける結果におわった。戦後、いろいろな戦争が起きる度に、国連安保理は総会は、それが憲章51条に規定する自衛権といえるかどうかを議論し、判断を下してきた。その経過のなかで、自衛権(それは自衛権発動の要件である武力攻撃とは何か、侵略とは何かにつながる)概念は整理されてきていたのだ。その努力の成果を一夜にして灰燼に帰すことになったのが、対テロ・アフガン戦争だったと言える。

 なお、国連安保理が個別的・集団的自衛権をオーソライズしたケースとして、あともうひとつ、98年のコンゴ第二次戦争の事例がある。この場合も、関係国が勝手な武力行使に訴え、安保理として軍事措置をとる方向にならなかった。その後、コンゴが泥沼化したことは、関心をもってきた方はご存じだろう。

 自民党と安倍さんは、それでも集団的自衛権に執念を燃やしている。集団的自衛権の実例がこれまで紹介してきたようなものだったことを、果たしてどこまで知っているのだろうか。(続)

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