虚構の集団的自衛権・5

2013年5月24日

 司法の世界というのは、現実の政治を反映するものである。国際司法も同じだ。

 集団的自衛権の濫用が続いた冷戦期の現実が反映したのが、1986年、国際司法裁判所がニカラグア事件をめぐって下した判決である。アメリカによる武力攻撃をうけたニカラグアがアメリカを訴えたものである。この事件では、アメリカは、集団的自衛権だから合法だと主張したが、裁判所はその訴えを退けた。

 その際、裁判所は、集団的自衛権の発動をきびしく制約する考えを示したのである。国連憲章では個別的自衛権も集団的自衛権も、並列的に書かれていて、発動の条件に違いをもたせていたが、それではダメだと考えたわけだろう。

 たとえば、集団的自衛権の場合は、武力攻撃を受けた国が「攻撃された」と宣言し、そのうえで「援助してくれ」という要請をしなければならないとした。これは、すでに紹介したそれまでの集団的自衛権の発動事例が、ソ連のハンガリーやチェコへの介入などにみられるように、どこからも武力攻撃を受けていない国に対して大国が介入していったといいう現実をふまえたものだった。

 その後、湾岸戦争をへて、対テロ・アフガン戦争で個別的・集団的自衛権の濫用があった。それ以降の国際司法裁判所の判決をみると、自衛権そのものをどう制約するかに関心が移っているようだ。これも現実の反映だね。

 ひとつだけ例をあげると、オイルプラットフォーム事件(2003年判決)がある。80年代のイラン・イラク戦争において、アメリカがイランのオイルプラットフォームを攻撃したのだが、その正当性をめぐる判決である。

 アメリカは、オイルプラットフォームに対する攻撃を個別的自衛権によって正当化した。それに対して判決は、アメリカに対して、自衛権を発動するためには、イランが責任を負う武力攻撃がおこなわれたこと、これらの攻撃が憲章第51条および慣習法にいう「武力攻撃」であること、自国の行動が武力攻撃に対して必要でありかつ均衡がとれたものであること、オイルプラットフォームが正当な軍事目標であったこと、以上の証明が必要だと求めたのである。

 これって、当然のことだろう。ところで、安倍さんが集団的自衛権の行使の議論をさせている「懇談会」は、5年前に出した「報告書」において、武力攻撃ほどの大規模な攻撃が発生しなくても自衛権は(集団的自衛権も)発動できるとのべている。それを「マイナー自衛権」だとして正当化している。

 たしかに、国連憲章ができた当初は、そういう考えもあっただろうとは思う。憲章があたらしくできて、それが唯一最大の基準なのか、それとも憲章以前の国際法も適用されるのか、いろんな模索があったからだ。だけど、戦後のいろいろな実践があり、国連安保理や総会での議論と判断があり、国際司法裁判所の判決があり、それらを通じて、武力攻撃が発生しなくても自衛権が発動できるなどという考え方は、完全に過去のものになったといえる。こういう点でも、日本の集団的自衛権推進論は、完全な虚構のうえに成り立っているのである。

 (いくらでも書けるけど、本の方は仕上げ局面に入って、別のことに関心も移ってきたので、今後は、たまに書くにとどめます)

記事のコメントは現在受け付けておりません。
ご意見・ご感想はこちらからお願いします

コメント