橋下さんが突いた河野談話の不備の問題

2013年5月29日

 慰安婦問題での記者会見が話題になっているが、そのなかで河野談話の問題点を突いた箇所は、よくよく考えるべきところである。河野談話が強制連行の有無という核心的な論点を逃げているという批判である。

 いや、河野談話は強制性を認めているよ、という立場の方もいるだろう。だけど、もし本当にそうなら、そのときに問題は解決していたのだ。国家が慰安婦になることを強制するなんて、当時も明白な違法行為だったから、違法性を認めた上で謝罪し、賠償するという話になったはずなのだ。

 河野談話にもかかわらず、なぜそうならなかったといえば、その点をうまく回避しているからだ。法的な責任が追及されないような構造なのである。

 河野談話は、慰安所の設置、管理、慰安婦の移送については軍が関与したことだと認めている。しかし、慰安婦の募集(つまり連行)については、「業者」がやったとしている。「本人たちの意思に反して集められた」として、慰安婦本人からみれば「強制」だということなのだが、その「強制」をしたのは「業者」だ、だから政府の法的な責任はないという構造なのである(連行に官憲の加担した事例があることは書いているが、軍の組織的な関与とは認めていない)。

 これは、賠償問題は日韓基本条約と関連協定で解決済みだという、それ以前からの日本政府の論理にそったものである。だから、談話がでたあとも、法的な謝罪とか賠償という話はでなかった。

 その後、村山内閣になって、それではダメだということで、いわゆる「女性基金」がつくられた。だけど、法的な責任はないという河野談話の論理の枠内だったから、お金は民間のカンパに頼り、総理大臣の謝罪文はあったが、違法行為への謝罪ではなく、人道的な謝罪という文面であった。

 だから、安倍さんも橋下さんも、「強制連行」の有無をあれほど重視して、当時は合法だったというのである。この問題を解決しようとすれば、安倍さんとは別の意味で、河野談話の見直しが必要だということだ。

 それを求めていくのか、どういう論理で求めていくのか、それこそがいま大事になっていると思う。橋下さんが謝罪しようが、撤回しようが、辞任しようが、河野談話がそのままならば、韓国の慰安婦と韓国政府の要求に応えることにはならないのである。さて、どうすればいいのだろうか。

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