「中国は社会主義か」の議論の仕方

2014年3月5日

 昨日書いたような本をつくるため、学者・研究者の討論を組織するとして、どんな基準で議論したらいいだろうか。是非、多くの方のご意見を寄せてほしいのだが、いま私が考えつくのは以下の通りである。

 やり方としては、「中国は社会主義だ」と考える方から、まずそう考える根拠について提示してもらい、それを議論する方式が望ましいかも。どんな根拠が出てくるだろうか。

 ある有名な中国研究者は、こう言っていた。中国は経済的には資本主義であり、そのなかでも新自由主義への流れが強いが、政治は一党独裁なので社会主義だとみなせる。

 こういう見方は、おそらく国民多数に共通するものだと思う。もちろん、資本主義か社会主義かを分けるのは、経済的生産様式の違いだから、政治は基準にならないという考え方もあるだろう。だけど一方で、一党独裁というのは、基本的には、資本主義以前の社会構成体に対応してきたものであって、そういう点では、中国の現状というのは、封建制から資本主義への過渡期のようなものだと考えることもできる。

 別の有名な方は、国家と共産党の指導部が誠実に社会主義をめざしているから、やはり社会主義をめざす国なのだと発言している。中国の現状にはいろいろな問題がることを承知の上で、指導部がしっかりしていれば大丈夫だということか。

 だけど、指導部が誠実かどうかなんて、その人に接した人にしか判断できない(いや、何回か接した程度で分かるのかなあ)。特定の人しか判断できないものを、資本主義か社会主義かに分ける基準にするのは、どうも科学的でないような気がする。それ以前に、言論の自由すら認めず、弾圧するような指導者を誠実だとみなすのかが、根本的に問題である。

 正論として言われるのは、やはり生産様式のことだろう。中国で資本主義的な要素が強まっていて、格差が拡大し続けていることは否定できないが、それでも国営企業が多かったり、政府の統制が効いていることを基準とすべきという考え方だ。

 実際、リーマンショックなどでの資本主義の混乱の大きさと、他方での中国の混乱の少なさを考えれば、計画的な経済運営が可能な仕組みがあることは、中国の独自性を生みだしているのかもしれない。しかし、それを社会主義の要素だと見るとして、資本主義下の開発独裁との違いはどこにあるのか、その判断基準はむずかしい。せめて国民に利益の多くが回ってくる仕組みがあるかどうかが大事な基準だと思うが、中国の場合、共産党の幹部ではなくて人民が潤っていると言えるのか。

 いや、中国は社会主義をめざしているだけであって、いまは社会主義に到達していないという見方もある。過渡期なのだから、問題があっても、おおめに見てくれということか。

 だけど、過渡期だとしても、資本主義から社会主義への過渡期だというなら、資本主義よりは高いレベルに達しているということになる。どこが資本主義より高いのかということで、結局、これまでの議論が蒸し返されることになる。

 ということで、是非、「こういう論点と基準で」というものをお寄せください。このブログからメールが出せますので。

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