2016年6月3日

 昨年5月、柳澤協二さんの『新安保法制は日本をどこに導くか』で開始されたシリーズ、参議院選挙を前に、最後の10巻目が出ることになります。保守リベラルの柳澤さんから始まり、共産党「赤旗」の関係者が続き、民主党のブレーンとして知られる学者さんとか、社民党界隈で著名な弁護士さんとかも登場していただきました。もちろん、白井聡さんとか森達也さんとか想田和弘さんとか、市民運動で有名な方々も。

 安倍政治を退場させるには、これだけの広い戦線が不可欠だと考えて開始したシリーズですが、当初は、「それが不可欠だ」「だから本を出して、そういう雰囲気をつくるんだ」とは思っていても、それだけの広い戦線が現実のものになるとは、あまり想像できませんでした。「きっと、それぞれの独自の闘いになるんだろうな」とあきらめながら、本をつくっていました。新安保法制に反対した運動って、ホントにすごいものだったのだと、あらためて思います。

 今月末から7月1日までに出るのは、次の3冊です。
『沖縄米軍基地と日本の安全保障を考える20章』(屋良朝博、1000円)
『「一億総活躍社会」とは何か』(友寄英隆、1400円)
『「ニッポン」の働き方を変える」(中村和雄、100円)

 1番目は説明不要ですよね。沖縄タイムスの元社会部長が、普天間と海兵隊問題に挑みます。「日本の安全保障のことを徹底的に考えたら、沖縄に海兵隊は不要だと分かってくる」がコンセプトです。

 2番目と3番目は、安倍首相の「ニッポン一億総活躍社会」政策批判ですね。前者は少子化問題、後者は労働問題です。

 後者は、表紙に、「4野党共同提出「長時間労働規制法案」の意義も解説!」と入れられました。選挙に向けた野党の協力が問題になり始めた頃、「政策共闘の積み重ねが大事」だとここで書きましたが、こういう分野ではかなりの積み重ねができてきています。大事なことです。

 問題は安全保障分野。日本防衛のための自衛隊、安保の活用では4野党は一致しているはずなんです。政策協議をする際に必要な考え方も、「自衛隊を活かす会」の提言で出しています。もう参議院選挙には間に合いませんが、この分野で真剣な協議ができていくことが、政権がかかる総選挙で前進するカギだと思います。どうでしょうか。

2016年6月2日

 昨日の記者会見を受けて、本日の各紙は、アベノミクスが最大争点だという見出しを掲げていますね。野党もそんな感じ。

 それでいいんでしょうか。いや、争点の一つではあると思いますが。

 だってそもそも、増税を延期すると決めて、その信を参議院選挙で問うって、安倍さんが記者会見で言ったことそのままです。安倍さんが選挙で勝利するために描いた争点、対決構図をそのままメディアがもってきて、「これが争点だ!」って言っても、安倍さんの戦略に乗せられるだけじゃないでしょうか。メディアの狙いがそこにあるなら、仕方ないんですけど。

 1回目の増税延期もそうだったですよね。それで総選挙に突入して安倍さんが大勝したわけです。

 それから少し時間がたって、アベノミクスの限界が見えていることは確かだと思います。問題点は指摘しやすくなっています。

 だけど、昨日の会見でも安倍さんが言ったように、なぜ増税を延期するかといえば、個人消費を落ち込ませたくないからですよね。個人消費を伸ばさなければならないという点では、与野党は同じ方向を向いている。

 もちろん、どうやって個人消費が伸ばすかをめぐって、別の選択肢を提示することは当然でしょう。ただ、安倍さんが経済界に直接に賃上げを働きかけたり、保育士給与の引き上げをめざしたりしているわけで、4野党と根本的に違うということは言いづらいと感じます。残業代ゼロ法案についても、とりあえずは給与の高い層を対象にしているので、いまの世論動向だと、普通以下の給与の労働者には支持されかねない面もあります。

 そういう状況下で、政権をとったのに失敗し、その総括もできていない民進党、政権をとったこともない他の野党が、国民の支持を獲得するのは簡単ではありません。「こっちの方が給与があがる」と主張しても、信頼性に欠けると思うんです。民主党政権時代の失敗をくり返さない保障はどこにあるのかと思われてしまう。

 いや、争点にして闘うのは当然なんですよ。だけど、安倍さんのこれだけの高支持率を覆す材料としては、かなり力不足だと感じます。

 私はやはり、昨日の記事でも書いたとおり、最大争点には「憲法改正」をもってこないとダメだと思います。安倍さんの思惑は、アベノミクスを争点にして、あわよくば参議院でも3分の2を獲得し、憲法改正発議に持ち込むことなんですから、そこを訴えることが大事なのではないでしょうか。

2016年6月1日

 えっと。また産経新聞IRONNAに寄稿しました。今回の記事は変わっていて、解散する場合と解散しない場合と、両方の記事を書いてほしいというものでした。だから両方を送ったんですが、記事の中身はほとんど変わらないんですよね。だって、解散するにせよ、解散しないにせよ、それを判断する安倍さんの胸の内は、同じことを根拠にしながら、揺れ動いていたでしょうから。まあ、どうぞお読み下さい。

 安倍首相による解散総選挙が先送りされた。同時選挙に踏み切って両方とも勝利するだけの確信が持てなかったからなのか、参議院選挙単独でやっても圧勝する自信を得たからなのか、どうなのだろう。

争点つぶしは成功してきた
 安倍首相にとって現在、衆参の両院で三分の二を占め、改憲を発議できるようにすることが、他のあれこれに優先する判断基準となっていることは間違いない。すでに三分の二を占める衆議院を解散するというリスクを冒してまで、同時選挙に踏み切ることを選択肢に加えていたのは、まさにそういう思惑があったからだ。
 その安倍首相にとって、これまでの選挙戦略は、かなりの程度、思惑通りに進んできたと思われる。いわゆる争点つぶしである。
 昨年夏の戦後七〇周年談話、年末の日韓慰安婦合意では、左派的な人々にさえもある程度のウィングを伸ばすことに成功した。右派の一部は反発したが、これらの人も選挙で投票するとなると自民党しかないことは安倍首相には織り込み済みだろうし、サミットで各国首脳を伊勢神宮に招くことによって、その右派にも飴を与えた格好だ。
 「保育園落ちた、日本死ね!」をめぐって対応を誤り、一時期、追い詰められる事態が生まれたが、ただちに保育士の給与を引き上げるという対策を表明した。これが抜本策ではないという批判はあるが、野党との違いは引き上げの額の違いだけで、方向性は変わらないという印象をつくりあげることに成功している。残業代をゼロにする法案をめぐっては、四野党が共同で労働基準法改正案を提出し、争点化されるのかと思ったが、国会の議論は選挙後の秋に先延ばしされた。
 これらにくわえ、おまけのようにアメリカからもたらされたのが、オバマ大統領の広島訪問だった。そして極めつけが消費税増税の再延期。これをめぐっても野党の批判はあるが、選挙の争点にはなりづらいだろう。

つぶした結果、憲法が争点に浮上する
 こうして、安倍政権の支持率は高止まりしている。アップしていると言ったほうがいい。同時選挙をやっても十分に勝利できると思わせるほどである。
 しかし、逆説的だが、その成功が安倍首相の心のなかに、言いしれぬ不安をもたらしているのではないだろうか。なぜかというと、これだけ争点をつぶしてしまって、では選挙で何が争点となるのか、安倍首相は何を争点としたいのかという問題が生まれているからである。
 結論から言うと、これだけ争点がなくなってしまえば、残る争点は一つにしぼられることにならざるをえない。憲法改正である。
 憲法改正だけは、いまの安倍首相の政治姿勢のもとで、争点つぶしができない問題である。この争点をつぶしてしまったら安倍政権ではなくなってしまう。一方の野党であるが、民進党はこの間、安倍首相に「改正案を出さないのは無責任」と責められ続けたが、岡田代表は「安倍政権のもとでの改憲には反対」という対応を堅持している。共産、社民、生活は護憲である。この状況下で、選挙で憲法改正が焦点になってしまえば、改憲をめざす与党か護憲の野党かという対立軸での争いとなることは明確である。
 この対立軸が何を生み出すのか見通せない。与野党ともに見通せない。そこに、高支持率を誇りながら解散にまでは踏み切れないという、安倍首相の判断があるのではないだろうか。

憲法改正に反対する世論の高まり
 今年の憲法記念日を前にした各種の世論調査を見ると、改憲(とりわけ9条改憲)が争点となった場合、改憲派には望ましくない傾向が見られる。いくつか紹介しよう。
 たとえば読売新聞(3月16日)。参院選で投票先を決める際、憲法への考え方を判断材料にすると答えた人が67%もあり、「しない」の31%を大きく上回っている。しかも、憲法を「改正しない方がよい」が50%で、「改正する方がよい」の49%をわずかに上回った。昨年は「する方がよい」が51%、「しない方がよい」は46%だったので、逆転した格好である。
 次にNHKが4月15日から実施した全国電話世論調査の結果。憲法を「改正する必要があると思う」が27%、「改正する必要はないと思う」が31%、「どちらともいえない」が38%だったという。NHKは2007年から今年で5回同じ質問をしているそうだが、「改正する必要はないと思う」の割合が一番高かったのが、今年の調査だった。
 最後に9条について毎日新聞(5月3日)。「改正すべきだと思わない」とする人が52%で、「改正すべきだと思う」とした27%を圧倒している。参院選で憲法改正に賛成する勢力が参院の3分の2を上回ることを期待するかどうかについては、「期待しない」が47%で「期待する」の34%を上回った。
 参議院選挙で憲法9条改正が争点になれば、盤石に見える安倍政権の屋台骨が揺らぎかねない。それがいまの世論の現状である。自民党執行部はそれを避けるために腐心している。しかし、それに替わる都合のいい争点が見つかっていないというのが、安倍政権を取り巻く状況だろう。

安全保障問題での野合を突くしかないが
 憲法改正問題で野党を分断できないとなれば、自民党にできるのは、9条とも直接に関わる安全保障問題で野党を突いていくことしかない。野合批判を強めることである。先の衆院北海道5区の補選でも、与党が攻めたのは、「日米安保は廃棄、自衛隊も解消するのが共産党だ。安全保障の考え方がまったく異なる政党の野合だ」という点であった。
 野合批判は、民進党には不安を与えている。北海道5区補選も、自衛隊の駐屯地を多く抱える千歳、恵庭などが選挙区であったこともあり、陣営の一部からは、「共産党には駐屯地の前で宣伝してほしくない」との声もあがっていた。共産党は、その懸念を受けて自衛官出身の共産党市議会議員(茨城県土浦市)を連れてきて、自衛隊のすべての官舎の前で、迷彩柄の服を着て「新安保法制を廃止して自衛官の命を守る」と訴えた。この元自衛官は、「自衛隊と共産党は思想が同じだ」と考えている人で、それなりの効果もあったことと思う。結果として、千歳、恵庭では与党票が野党票を上回ったが、圧倒したというほどではなかった。
 ただし、安全保障問題をめぐる野合批判は、野党共闘にとって乗り越えるべき大きなハードルではあり続けている。本当に選挙に勝とうとすれば、労働基準法改正や保育士の給与引き上げなどの分野での政策共闘にとどまらず、安全保障問題での共闘をどうするのかを真剣に探究することが不可欠になっている。
 共産党の志位委員長は、国民連合政府の構想を打ち出した直後、日本に対する侵略があった場合、自衛隊を出動させるし、日米安保条約第5条の発動も当然だという立場を表明した。野合批判が出るとすればこの分野であることを自覚し、いち早く手を打ったというところだろう。その結果、野党間では、ずっと将来のこと(共産党が安保廃棄、自衛隊解消を政策として掲げる将来の段階)は別にして、当面の現在は、安全保障政策も一致できる可能性があるということなのである。

与野党ともに見通せない野党協議の行方
 ところが、いま報道されている限りでは、野党協議のなかで安全保障面の政策の一致をめざす議論がされているわけではないようだ。これまで、あまりに開きが大きかったため、志位氏の提案が他の野党には真剣なものと受けとめられていないのかもしれない。また、与党からの野合批判に対する「赤旗」などの反論を見ても、侵略されたら自衛隊を出動させるという新しい論点は強調されず、「自衛隊を解消するのはまだ先のことだ」という、これまでの支持者をおもんばかった対応が目につく。当面の問題での政策転換とはいえ、共産党にとっても支持者を納得させることは簡単ではない。
 解散総選挙に打って出て、憲法改正問題が最大の争点となることを想定した場合でも、野合批判で野党を分断できれば与党の勝利が見えてくる。しかし、安全保障政策で野党が一致するのかしないのか、そこが与党にも野党にも見通せていない。大きな不安が残る。これが、非常に上手に選挙戦略を遂行してきたのに、最後の賭けができなかった安倍首相の心の内なのではないだろうか。(了)

2016年5月31日

 京都で配られている「赤旗」では本日、折り込み広告が入っていましたが、私が理事を務めている京都平和委員会が、来月18日(土)、「「ザ・思いやり」上映会&講演会」を開催します。午後1時から、場所はラボール京都(阪急もしくは嵐電の西院駅近く)の、なんと300名も入る大ホール。

 いま話題のドキュメンタリー映画「ザ・思いやり」を上映し、その後、私がお話しします。テーマは「対米従属の謎──70年経っても変わらないのはなぜか?」。似たようなタイトル『日米関係の謎──70年経ってもなぜ「対米従属」なのか』で本を書き始めているので、お引き受けすることにしました。当日券800円。

 いま、平和運動って、そのあり方をめぐって議論が求められていますよね。ずっと安保条約の廃棄、自衛隊の解消を求めて運動してきたわけですが、この参議院選挙では(1人区では)、それを掲げる政党が立候補しなくなって、安保と自衛隊を当然視する政党と候補者を選ばざるを得ません。複数区の大都市では顕在化していませんが、いずれ総選挙になると全国で同じことが起きるでしょう。

 それをどうやって説明するのか。戦争法廃止という大義のためのやむをえない妥協なのか。これまで安保は諸悪の根源だと言ってきたのに、実は妥協できる性格のものだったのか。

 あるいは、妥協ではなく、いくらかはその選択に積極的な意味をもたせるのか。つまり、安保や自衛隊を堅持する政権でも、その使い方次第では日本と世界の平和にとって意味のあることができると説明するのか。

 その場合、意味があるとなると、安保は諸悪の根源だという捉え方そのものを変えるのか。諸悪の根源だけれども、意味のある使い方が可能だとするのか。

 私がお話しするのは、タイトルにあるように、「対米従属」が生み出されてきた原因というか、その構造のようなものです。日本とNATO諸国って、同じように戦後ずっと米軍を受け入れてきたので、似ていると思われてきましたが、全然違うんですよね。

 まず出発点が違う。日本は敗戦にともなう占領があって、その延長として出発しましたが、NATO諸国は、戦勝国(イギリスやフランスなど)がソ連の脅威を前に、主権国家の行為として米軍駐留に踏み切ったわけです。その後の歴史も異なっています。それは講演でお話しします。

 だから、根本的には、そこから抜け出る道を選択しなければなりません。すごい力業が求められます。同時に、それだけの力業ができるだけの力量が身につけられれば、アメリカに意味のある転換を求められるかもしれません。というか、それをアメリカに求めていく過程で、現状から抜け出る力を蓄えていくということでしょうか。

 ご関心がありましたら、ご参加下さい。参議院選挙公示の直前ですが、選挙にも役に立つと思います。

2016年5月30日

 まず、以下の文章を見てほしい。

「第17条
1 1951年6月19日にロンドンで署名された「軍隊の地位に関する北大西洋条約当事国間の協定」が合衆国について効力を生じたときは、合衆国は、直ちに、日本国の選択により、日本国との間に前記の協定の相当規定と同様の刑事裁判権に関する協定を締結するものとする。
2 1に掲げる北大西洋条約協定が合衆国について効力を生ずるまでの間、合衆国の軍事裁判所及び当局は、合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族(日本の国籍のみを有するそれらの家族を除く。)が日本国内で犯すすべての罪について、専属的裁判権を日本国内で行使する権利を有する。この裁判権は、いつでも合衆国が放棄することができる。」

 これは、いわゆる日米行政協定のなかの一文である。現在、行政協定は地位協定と名前を変えているが、そのうち、いまでも問題となる裁判権に関するかつての規定である。アメリカの占領が終わり、日本が独立する際、旧日米安保条約とともに発効した(52年)。

 そう、まず、この後段の部分を見れば分かるように、独立したといっても、当初、日本はいっさいの裁判権を持たなかったのだ。現在は、公務中の犯罪はアメリカが、公務外の犯罪は日本が裁くことになっているが、出発点はそうではなかったのだ。

 これは独立国として異常なことだった。第二次大戦前の世界では、どこからか外国人がやってきて犯罪を犯した場合、その外国が裁判権を行使するなど、考えられないことだったのである。日本にとっても、幕末の不平等条約で領事裁判権を押しつけられ、その回復が独立をかけた闘いであったことは理解できるだろう。外国人を裁判できるのが独立国だった。

 軍隊の場合を見ると、平時に外国に駐留すること自体、かつてはあり得ないことだった。イギリス連邦諸国などで例外的に見られたが、そこで犯罪があった場合、やはり受け入れた国の裁判権に服するというのが基本的な考え方だったのである。戦時に同盟国に軍隊が駐留することはあったが、その場合は、まさに戦争を遂行している最中であり、勝利することが派遣国、受け入れ国の双方にとって必要なので、兵士の属する軍隊が行う軍法会議が裁くことになっていた。戦争中の特例という考え方だったのである。

 戦後の日本のように、独立した国が平時において外国軍隊の駐留を受け入れるのは、歴史上、初めてのできごとであった。だから、軍隊の裁判権をどうするのかというのは、まったく新しい考え方が必要とされていた。戦前のイギリス連邦諸国のように、すべて受け入れ国が裁くということだって、選択肢としてあったのだ。

 ところが日本は、はじめから、裁判権はアメリカにあるという考え方を受け入れた。出発点から独立を放棄したと言われても仕方のない措置であった。

 しかも、冒頭の引用の前段部分を見てほしい。これって、どういうことかというと、NATO諸国でも同様にアメリカ軍の裁判をどうするかが議論されていたのだが、その議論の結果が出れば、NATOと同じ裁判権方式にしますよということを意味していた。そして、NATOが、長期のはげしい議論の末、公務中はこうだ、公務外はこうだという仕分けをしたので、その方式が日本にも持ち込まれたというわけである。

 NATOができる前、欧州諸国だけでブリュッセル条約機構というのができていて、その条約では、裁判は受け入れ国がやるということになっていた。だから、欧州諸国は、その考え方をNATOの地位協定にも持ち込もうとした。米軍がやってきても、欧州諸国が裁くということだ。しかし、アメリカにとっては、欧州を守るためにやってくるのに、裁判権を放棄するなんてとんでもないということになる。そこで、長期のはげしい議論が闘わされ、妥協的な考え方になったということになる。

 その結論の評価は、ここでは措く。大事なのは、独立国なら、自分の権利を守るために必死に闘うということである。欧州諸国は米軍を受け入れるにあたっても、そういう立場でがんばった。

 しかし、日本政府は、自分ががんばることは最初からしなかった。欧州諸国とアメリカの協議を眺め、その結果をそのまま受け入れるということにしたのである。主権を守るために闘うという姿勢が、日本は原点から欠落していた。それをそのまま受け継いでいるのが、現在の地位協定をめぐる日本の姿勢である。だから、根底から変えなければならないのである。