2015年10月1日

 昨日、福島生業裁判の第14回目の公判があった。私は大友良英さんの講演会が担当なので、裁判を傍聴することはできなかったのだが、そこでの証言が非常に大事なものなので、3回にわけてできるだけ客観的に紹介しておきたい。証言したのは中谷内一也さん。同志社大学の心理学部長で、政府の「低線量被爆のリスク管理に関するワーキンググループ」の第6回会合(2011年11月)で、有識者として参加し、発言している。低線量被爆の影響をどう考えるのか、それに対する人々によって異なる反応をどう捉えるべきかについて、きわめて説得的な説明をしておられる。なお、以下の引用は私が見聞きした範囲のものであり、正確なものは今後出される裁判記録を参照してほしい。「戦争法反対闘争から何を導くか」の連載は、まだまだ続くけれど、再開は来週ね。(以下、引用)

 リスクアセスメントの「アセスメント」とは、評価・査定という意味です。ですので、リスクアセスメントは、先ほど申し上げた専門家による「リスク評価」を指す言葉で、データやモデルに従って、生じるおそれのある害の程度と、その害が生じる可能性の大小に基づいて、リスクをできるだけ客観的に評価しようとします。
 これに対して、リスク認知というのは、このように客観的に評価されたものとは必ずしも合致するわけではありません。一般の人は、データによってリスクの認識・判断をしているわけではなく、さまざまな要因によって影響を受けますし、そのリスク認識・判断は、主観的・直感的という特徴があります。

 専門家のリスク評価というものは、ある望ましくない結果の程度と、その結果が生じる確率(頻度)にもとづくものです。
 例えば、国際放射線防護委員会(ICRP)のリスク管理の考え方がこの典型といえるでしょう。人が放射線被ばくによってガンを発生して死亡するリスク(ガン死亡リスク)について、100ミリシーベルトの被ばくでガン死亡リスクが0.5%上昇する、という表現をしばしば震災後しばしば耳にしました。例えば1000人の人がいて、もともともガン死亡リスクが30%だったとします。そうすると、1000人のうち、300人がガンで亡くなることになるわけですが、この1000人が全て一様に100ミリシーベルトの被ばくをしたと仮定すると、ガン死亡リスクは0.5%上昇し、30.5%になるので、305人がガンで亡くなることになります。……リスク評価の要素となる確率の考え方として、わかりやすいものと思います。これは、確率論では「頻度説」と言っています。

 一般人のリスク解釈は、そもそも確率を要素として判断しているとは限りません。仮に、リスクについて伝えられる中で確率情報に接したとしても、健康・安全・環境リスクについては、自分の命や体は一個しかありません。スペアが100、1000とあるわけではありません。ですから、頻度説に基づいて、ガン死亡リスクが0.5%上昇すると説明されても、それを自分の身に起こりうるリスク(確率)として高いと判断するか低いと判断するかは、人それぞれの事情によるということになります。個人の視点から見た確率解釈は、主観説と呼ばれます。
 例えば、ある人が子どもを連れて動物園に出かけようとするときに、その人が、過去に、動物園でオリからライオンが逃げて大騒ぎになったという事件について、動物園の近所で体験したことがあるとします。あるいは、過去に飼い犬に噛まれて大けがをしたことがあるとします。そのような人は、客観的なデータを示されたとして、それに対するリスク解釈としては、それ以外の人より、不安を強く感じる(リスクを大きく認識する)ことになるでしょう。

 専門家の行うリスクアセスメントと、一般の方のリスク認知は、そもそも基準や構成要素が異なります。ですから、単純に、どちらが正しくてどちらが誤りであるとはいえないのです。とくに、一般の人が不安を感じる基準が専門家のリスク評価と一致しているとか、しなければならないという根拠はありません。
 専門家の行うリスクアセスメントは、特定の個人を対象として行うものではありません。集団を対象とするリスク情報を提供することによって、リスクに対する集団的対処のための政策や行政的基準を作るために行われるものです。これに対して、個人のリスク認知は、他ならない自分や家族をリスクから守るためにはどのように行動するかという観点から判断されるものですし、その判断の背景には、その個人のそれまでの生活経験やそのなかで得てきた知識などを背景に、何を大事と考えるかという価値判断がありますから、人それぞれで異なっていて当然だと言うことです。
 大事なのは、どちらが正しくてどちらが間違っているということを問題にすることではなく、専門家のリスク評価と、一般人のリスク認知には違いがあることを認識することだと思います。(続)

2015年9月30日

 こんなタイトルの記事、何回も書いているよね。はい、2カ月に1回行われる「生業裁判」に合わせ、傍聴できない原告のために講演会をやっているもので、その講師の調整をしている私は必ず来ることになっているんです。

 浜矩子さん(3月)、白井聡さん(5月)、藻谷浩介さん(7月)と来て、本日は大友良英さんでした。NHK朝の連ドラ「あまちゃん」の音楽を担当したことで、一躍有名になりましたよね。

 本日の講演テーマは、「もし「あまちゃん」の舞台が福島だったら」でした。興味津々でしょ。講演の前には、昼休み集会のあと、裁判所までデモするんですけど、それにも加わっていただきました(前列右端。左から2人目は白井聡さん。豪華!)。

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 いや、音楽家ですから、人前に出るのは慣れているでしょうけど、正直、合計2時間の講演はどうなんだろうと少し心配していたんです。そんな心配、なんのその。語りも完全なプロフェッショナルでした。

 なぜ「あまちゃん」の舞台が久慈になったのかからはじまり、その久慈が実際に変貌を遂げたこと(少しは)。なぜ福島が舞台にならなかったのか、コメディでとりあげるための条件等々、実際のドラマのとっても深い舞台裏とその意味を語ってくれました。

 最後に、福島の誇りをどう取り戻すかというお話があって、それが秀逸でした。青春の10年以上を福島で過ごしたが、そこがいやで東京に出てきて、福島に未練がないと思っていたのに、「ノーモア・フクシマ」という言い方に感じる違和感。なんだか自分の青春を否定されるような感じ。そこを克服し、誇りを取り戻すためにも、「生業訴訟」のように闘うこと、それを次につながる世代が見ていることが大事なのではないか。40年くらいたったら、あのときこんな闘いをやったんだよということがドラマになるかもしれない。そんなお話で、会場と完全に一体化していました。

 次に続く内田樹さんの講演も含め、5年目の3.11には本にしますので、ご期待下さい。大友さん、夜は、東京に戻る最終の新幹線まで、懇親会につきあってくれるそうです。昨日まで9日間もベトナムで仕事しておられたのに、本当にありがとうございます。

2015年9月29日

 今回の闘争では(元)自衛隊・防衛省関係者が主役に躍り出た。そこに大きな特徴がある。ここでは公私ともにがんばったという自負が少しある。

 もちろん、その背景にあるのは、自衛官が殺し、殺されることになるというリアリティの高まりである。これまでだってそうだったのだが、戦争法でその危険が飛躍的に高まるという現実が、自衛官に発言する自覚を高めさせたし、世論もそれを望んだわけだ。

 そのトップを切ったのが(いまでもトップだが)、いうまでもなく泥憲和さん。弊社から出した『安倍首相から「日本」を取り戻せ』は、すでに3刷りになっていて、この種の本としては異例の売れ行きである。集団的自衛権に関するフェイスブックへの投稿が、短期間に2万数千の人からシェアされるというのは、ちょっと予想を超えていて、時代が動くというのはこういうことなのかと思わされた。

 その本が出た直後の昨年末、衆議院の解散・総選挙があり、自衛官だった井上圭一さんが自衛官の命を守るのだと訴えて共産党から立候補した(落選したけれど、4月の統一地方選挙で土浦市議になり、弊社から『自衛官が共産党市議になった』を刊行した)。その直前に行われた京都・舞鶴の市議選挙では、共産党が「自衛官の命を守ります」という公約を掲げ、大きな看板を出して注目を浴びている。その後、統一地方選挙では、とりわけ東北地方において、「震災でお世話になった自衛官を戦場で殺すな」という声があがり、大きなうねりのようなものを感じさせた。

 昨年6月、「自衛隊を活かす会」が発足。私はその事務局であるが、この間、元の陸自幕僚長や陸将、空将補などを招き、8回にわたるシンポジウムを開いて、日本防衛と国際貢献の二つの分野で、自衛隊にどんな役割があるのかを探ってきた。そして、今年の5月、「提言」を発表した。6月には、大阪、京都、兵庫の9条の会事務局長にお名前を出して協力していただき、関西シンポも開催した。

 こうやって、市民運動のなかで自衛官が役割を果たすようになった。関西シンポに参加した渡邊隆さん(元陸将)が、世が世ならこういう取り組みに来ることはなかったと発言されていたのが、とっても印象に残る。

 戦争法を審議した衆議院の最後の参考人質疑では、自衛隊を活かす会の柳澤協二さんと伊勢崎賢治さんが招かれ、発言したが、この法案を議論する上で、そういう人が不可欠だと思われたわけである。

 こういう関係を今後どう活かすのかが、大きな課題である。10月18日には、柳澤さんとシールズメンバーの対談が開かれる。それも本にして広めたい。

 戦争法を廃止する政権協力との関係で大事だと思うのは、「自衛隊を活かす会」の「提言」の位置である。戦争法廃止の一点で協力するといっても、いずれにせよ一定の期間は政権をともにするとなると、その期間、他の分野での政策はどうするのだと問われることになる。民主党のなかからは、安全保障政策が根本的に違うのに政権をともにできるわけがないという声も出ている。

 しかし、昨日の自衛隊合憲論・違憲論では真逆であるが、安全保障政策ではある程度一致できるものがあると考える。それが「自衛隊を活かす会」の提言だ。

 代表の柳澤さんは、弊社から出した『新安保法制は日本をどこに導くか』で次のように述べている。是非、戦争法廃止の政権協力を模索する方々には、読んでいただければと考える。

 「これ(「提言」)は、いま安倍政権が進んでいる道への批判です。同時に、それに対抗する側の政策提言の基礎になると自負しています。先ほど、護憲派が戦争のことをリアルに語ることが大事だと述べましたが、防衛戦略を持つ護憲派になっていくことが、安倍政権に対抗する力をつけていく上で、きわめて大事なのではないかと考えます。」

2015年9月28日

 シールズの影に隠れてあまり目立たないが、今回の闘争には、他にも新しい特徴があった。いろいろある。

 たとえば、自衛隊合憲論者と自衛隊違憲論者との共闘だったことである。

 今回の闘争が盛り上がるきっかけとなったのは、いうまでもなく衆議院で3人の憲法学者が登場し、法案を憲法違反だと断じたことにあった。しかし、憲法上の自衛隊の位置についてもっともきびしい立場をとる憲法学者が、安保法制に反対するのは、ある意味で当然のことである。それなのに、なぜあれほどのニュースになり、世論を動かすインパクトがあったのか。

 それは、あの3人が全員、自衛隊合憲論に立つ人だったからだということが大きい。マスコミも含め、この種の問題での世論の受け止めは、日本では自衛隊違憲論者が平和勢力を構成していて、政府の出してくるいろいろなものに反対するというものだったと思う。ところが、確固とした自衛隊合憲論者が、そろいもそろって法案を憲法違反だと断定した。マスコミも世論も、「あれっ?」という感じがあったのではないか。その結果、「どうせ自衛隊を否定している勢力の言うことだから」という批判が、今回の闘争には通用しなかった。

 しかし、よく考えてみれば、そういう共闘は、小泉内閣がイラクに自衛隊を派遣したときに開始されていた。自民党の元代議士であった箕輪登さんが、それを憲法違反だと確信し、みずからが団長になって裁判に訴えた。その原告団には共産党や社会党の代議士も加わったのだ。同じような裁判が全国で10以上闘われた。その結果、名古屋高裁では、武装した米兵を航空自衛隊が輸送することは憲法違反だという判断も下される。貴重な成果を生みだしたのが、自衛隊合憲論者と違憲論者の共闘だったのだ。

 そこでは、自衛隊違憲論こそが平和運動の正統であるという思いこみは通用しなかった。共闘というのは対等平等なものだから、とりあえず合憲論者を利用するという思惑で接近するのも許されなかった。現在につながる意味のある戦いだった。

 そのことの意味があまりつかまれないまま、平和運動を担う中心は自衛隊違憲論者であるという思いこみが、マスコミにも、平和運動のなかにもずっと続いてきた。いまでも相当あるかもしれない。

 だけど、世の中の現実は、自衛隊合憲論者が違憲論者を圧倒する勢いで、市民運動を担っているのである。国民世論と異なり、自衛隊違憲論が強い憲法学会のなかでさえ、20年前は合憲論者は1%程度だったが、現在は34%にまでひろがっている。そこをどう捉え、位置づけるのかを解明することが、前に進むためには不可欠だ。

 いや、運動レベルでは、新しい解明は不要かもしれない。問題なのは政権共闘だ。

 たとえば、戦争法を廃止する政権共闘をめざすといっても、それは自衛隊合憲論に立つ政党と違憲だという政党と、二つの勢力の連立である(二つといっても違憲論は圧倒的に少数だけれど)。選挙になれば自民党や公明党からは「野合」という批判が来るだろうし、廃止のために国会を開会すれば、「内閣不一致」で攻めてくるだろう。

 憲法に違反するかどうかという問題を脇に置くのは、運動の世界では通用すると思うが、政権を担う世界においては、そう簡単ではない。何と言っても憲法遵守が憲法で義務づけられているのが政府である。自衛隊違憲だという閣僚は、「違憲の自衛隊を解散するのは将来」と答弁するのだろうけれど、それで通用するだろうか。立憲主義の立場に立つなら、憲法の定め通りに行動するのが閣僚の義務であって、自衛隊が違憲だと思っているなら内閣で自衛隊解散のために努力すべきだと攻められることになる。それにどう対応するのか。

 革新共闘は、社会党も共産党も自衛隊違憲論だったから、そこを深く突っ込んで考える必要はなかった。だけど、戦争法反対の共闘は、本質的に違うものだから、考えないですますことは許されないのである。(続)
 

2015年9月25日

 最終局面で国会正門前に行くため、京都を出発しようとしたとき、60年安保闘争で国会請願デモに参加したという方のお話をうかがった。あの頃、デモに参加するため京都を出発する労働者は、国労の案内で無賃乗車して東京に行ったそうだ。

 そういう時代もあったんだね。安保闘争の中心を担った総評には、そんな力もあったわけである。

 そんな運動は、いまは想像もできない。だけど、今回の戦争法反対闘争は、多くの人が論じているように、組織・団体に属していない市民が参加し、連帯するという新しい形態を生みだした。国会正門前にとどまって集会をするという形態は、それにふさわしいものだったと思う。

 60年安保闘争はいわゆる請願デモだった。それまで国会前はデモができなかったのだが、憲法に保障された請願権というものがあって、国会議員が待ち受けているところに請願するという名目をたて、国会前をデモ行進で通過できるようになった。その当時としてはすごい創意工夫だったと思う。

 ただ、請願って請い願うということで、権利ではあっても国民は請い願う側で、国会は請い願われる側だった。今回、国会前をただ通過するというのではなく、ずっと国会前に居続けるということで、何と言ったらいいか、国会はより身近になったというか、主権者である国民が、国権の最高機関である(はずの)国会に対し、その主権を主張しているということが、実感として感じられたように思える。

 また、60年安保闘争後の革新共闘は、参加する団体は、大雑把な言い方になるけれど、政党系列に区分けされていた。そして、地方自治体の選挙では、そうした政党・団体が無党派の学者・文化人を候補者にするというのが一般的だった。言い方は悪いが、政党と総評が合意すれば、乗り越えるべき山は大きくなかったのだ。

 けれども、今回のような闘争を経ると、そこも変わってくると思われる。そういう局面で、選挙をどう位置づけるかというのは、まったく新しい挑戦である。

 今回の闘争で主役のひとつとなったシールズだが、そこの奥田愛基さんが小林よしのりさんと対談した。そこで次のように興味深い発言をしている。

 「僕らとしては完全無党派でやっていて。その上で、「共産党が(来年夏に行われる)参議院選挙の野党の協力体制には入らない」みたいなニュースが流れれば、「いや、ここで〝独自候補を出すから偉い〟みたいな、そのレヴェルで国民の感情をバカにするようなことはあってはいけないでしょう」って言いに行くし。」

 政党と市民の関係は、すでに変わりつつあるんだね。この数日の動きを見ると、そう思わざるを得ない。