2015年5月25日
池田香代子さんと訪ねる戦後70年の旅ですが、アウシュビッツの後はドイツです。ドイツの最初はベルリンで、そこで最初に訪ねたのは、日本でいま話題になっているポツダム宣言がつくられた場所でした(ツェツィーリエンホーフ宮殿、写真)。
偶然って、あるものですね。いや、安倍さんが談話を出すというほど戦後70年のことが話題になっていて、そういう戦後70年にあわせてツアーが計画されたのだから、当然と言えば当然なのかもしれません。
そういう偶然なのだから、国会で話題になって最初に訪れるグループかなと思ったら、そうではありませんでした。日本人のツアー、昨日も5団体ほど入っているとか。この会談場所は観光地なんですね。
その場所を見学して感じたことはいくつかあります。当たり前のことかもしれませんがもしここが、ただ日本の降伏案をつくった場所だということだけだったら、観光地にはなっていかなったんですね。どこかにポツダム宣言の原文でも展示してあるかと思ったら、そんなものどころか、宣言にふれた説明もひとつもありませんでした。
それは、ポツダム会談の本筋は別のところにあったからです。この会談はソ連が占領した場所で、スターリンが準備し、アメリカとイギリスを招いて開かれたわけですが、会談の中心はドイツ占領政策の作成だったわけです。ここでの展示も、だからそういうものが中心となっています。
一方、日本の降伏方針の作成は、日本と戦争している当事国がつくるものであって、ソ連は関係ありません。したがって、ポツダム宣言自体は、会談を準備したスターリンは加わらない公式日程以外を使って、アメリカを中心に準備され、イギリスと中国(蒋介石)が署名して発出されたというわけです。
ということで、この場所では、ポツダム宣言のことが展示されていないどころか、長く日本に関する記述さえ、ほとんど存在しない状態だったそうです。せいぜい、年表のなかに日本の降伏の日(8月15日という「天皇のご英断」を示す日ではなく、ミズーリ号上で米兵に囲まれて降伏文書に調印した9月2日で、この日付は大事ですよね)。
だけど、ガイドしてくれた方によると、数年前から日本に関する展示が加わりました。それは写真で、広島と長崎に原爆が落とされたことを紹介するというものでした(キノコ雲とか、ファットマンとリトルボーイなど)。
少し複雑な気持ちになりました。ポツダム宣言を記念する場所の展示が原爆とは。
もちろん、この会談の最中、アメリカが原爆実験に成功し、それをトルーマンがスターリンに伝えたりとか、この場所と原爆は関係があるんです。だけど、それは公式日程には出てこない話です。ポツダム宣言の中にも出てこない。
先日の記事で書きましたが、ロシアでは、安倍さんが敗戦の結果を認めないなら、領土問題もないことにしようという動きが出ているとか。もしかしたら、そういう風潮は世界に広がっていて、日本に敗戦の事実を受け入れさせよう、それを思い出させる原爆投下の意義を強調しようなんてことになっているのではないかと、不安になりました。どうなんでしょうかね。
本日の夜は、旅の前半部分の締めくくりで、池田香代子さんへのインタビューをしなければなりません。どんなお話をしてもらおうかな。
2015年5月22日
昨日、関空を出て、クラクフに到着。いま朝で、本日、アウシュビッツを訪問する。その後に何か書けるかどうか分からないので、今のうちに日本のことを少し。
NPT再検討会議で、中国が各国首脳の広島、長崎訪問を勧める内容に反対し、それが削除された問題。あまりにも非常識で、日本からニューヨークを訪れている人たちには是非、中国代表のオルグをやってほしいと思っていた。そうしたら、共産党の緒方副委員長が中国大使館の参事官と会い、削除要求の撤回を求めたとのことだった。
当然のことである。これでよしとせず、NPTに行っている人にも、やはり中国代表と会い、要請するなり抗議するなりしてほしい。そういうレベルが日本の国民レベルで通用せず、「反中感情」にもつながるのだということを、少しでも多くの中国政府・党幹部に伝わるようにすることが、今後の日中関係にとっても大事だと思うので。
その翌日だったか、国会で久しぶりに党首討論があり、共産党の志位さんが戦後70年談話の問題を取り上げていた。これ、聞いていた人の関心は、安倍さんがポツダム宣言の内容を知っていたか知らなかったかに集中しているようだが、大事なのはそこではない。
安倍さんは、「侵略」の事実を認めた細川首相以来の首相とは異なり、それ以前に首相に逆戻りして、「後世の歴史家が判断する」と逃げたわけである。日本が引き起こした戦争の評価についてね。後になって新しい資料が発掘されて、歴史の評価が変わることもあるのだとのべて。
そういうことって、歴史学の領域ではよくあることだ。日本の近現代史をどう評価するかということでも、成田龍一さんなんかは、その歴史が何回も書き換えられたことを強調しておられる。
だけど、政治の世界では、そういうことは許されないのだ。なぜなら、目の前で戦争が起こり、それに対応することが求められるからだ。支持するとかしないとか、参加するとかしないとか。
とりわけ安倍さんは、いまの国会に新安保法制を提出している。今後、アメリカの戦争を後方支援するのか、あるいは集団的自衛権を発動して日本も参戦するのかいろいろな判断が求められる。
その際、アメリカの戦争が正当なものだ、これは侵略ではないのだと判断できないと、支持することも参加することもできないだろう。それは「後世の歴史家が判断する」ことで、もしかしたら「侵略」だと判断されるだろうが、日本は参加するというような態度はとれないことは明白だ。その戦争が正当なものだと何らかの判断をして参加するのである。
つまり、安倍さんは、70年前の戦争の正否を判断できないのに、目の前の戦争の成否は判断できると言っているに等しい。なぜ、70年前のものは判断できないのに、目の前のものは判断できるのか。その根拠を安倍さんに問いただしていくことは、今国会の大きな仕事になるであろう。なってほしい。
2015年5月21日
行ってきます。29日までです。戦後70年に池田香代子さんと訪ねる平和と文学の旅ということで、私が旅行社に頼まれて池田さんを引き込んだ以上、私も行かねばならないので。なんて、義務みたいに書いたけど、楽しみ。
アウシュビッツは、この年になってはじめてというのは遅すぎるけど、やはり一度はね。ただ、最近、ポーランドとかユダヤ人を被害者という視点だけでなく、加害者として捉えるという論調が生まれていて、全面的に見る必要がありますよね。日本も同じですけど。
そこでいろいろ見ながら、「シリーズ・さよなら安倍政権」の1冊として書く予定の本、『「安倍談話」と「村山・河野談話」をめぐる40章』の構想を考えてきます。レジメくらいはつくってくるつもり。だから、仕事なんですよね。
それと、来年の話をするとなんとかと言いますが、来年3月、「内田樹さん、石川康宏さんと訪ねるマルクスの旅」をやることになっています。ちょっと周りに紹介したら、すごい反響なので、公平にみなさまにお知らせしておきます。
3月23日から31日までの8泊9日。ドイツとイギリスに行きます。ツアーの主催はかもがわ出版で、旅行社に運用を委託するという形態。
旅程はまだ詳しく決まっていませんが、私が行きたいところはここだと言って、いま検討してもらっている最中です。
ドイツはまず、マルクスの生家のあるトリーア。いま博物館みたいになっているようですね。ライン川沿いでフランス文化の影響もあり、世界遺産とかも多そう。
その後、ケルンとボンに行きたい。これは、新ライン新聞の闘争とか、ケルン共産党裁判とか、話題に事欠かない。
そこからイギリスのマンチェスターに飛ぶ。エンゲルスが経営者をやっていた工場のあったところです。そこの博物館は、19世紀の紡績工場の様子が分かるそうで、『資本論』とか『イギリスにおける労働者階級の状態』とかで描写されているものをリアルに再現しているそうです。
最後にロンドン。『資本論』が書かれた大英博物館で思索して、マルクスの墓に花を手向けて、という感じです。
決まれば夏過ぎには公開します。乞うご期待。
2015年5月20日
安倍さんの歴史認識がいろいろ軋轢を生んでいることは、改めていうまでもない。問題は、それを歓迎する空気が国内世論にあることで、その克服が急務となっている。
この空気って、尖閣や竹島をめぐる領土問題にせよ、慰安婦問題にせよ、日本側が強気に出るべきだ、それが国益に資するのだという感情レベルの話だから、克服するといっても簡単ではない。理論的に議論をしようとしても、「おまえは韓国派、中国派か」という話になってしまうからだ。
そこを感情レベルでも克服できなければ、世論を変えることはできない。そんな本をどうするかは、いま考え中だけど、それと関連して、安倍路線って国益に反するよねということが、本日、報道されていた。北方領土問題にも跳ね返ってきているというのだ。
朝日新聞によると、ロシアのラブロフ外相は、政府発行のロシア新聞(電子版)19日付に掲載されたインタビューの中で、北方領土問題に関連して「日本は第2次大戦の結果に疑いを差し挟む唯一の国だ」という。その上で、北方領土は第2次大戦の結果、戦勝国ソ連の領土となったのだから、敗戦国の日本には返還を求める権利はない」とのべたという。
安倍さんの考え方の根幹にあるのは、あの戦争って、侵略じゃなかったというものだ。自存自衛だったし、アジアを解放したというもので、だからそれを侵略だったとする戦後政治の枠組みを否定するというものだ。
北方領土って、ロシアにとっては返したくないものだ。戦争で奪った土地を奪うって、ずっと歴史上つづいてきたものだ。第2次大戦は領土は奪わないという建前で戦われたとはいえ、そしてだから沖縄も返還されたとはいえ、実体的にはアメリカの支配が沖縄に及んでいるように、戦争で奪われた土地に主権を回復するって並大抵のことではない。
そこを戦後の日本は、いろいろな理屈をつけて、ロシアとの交渉の議題にしてきた。連合国は領土を奪わないという建前だったよねとか、北方4島は放棄した千島のなかには入らないよねとか。そしてようやく冷戦終了後、なんとか領土問題は終わっていないよねという程度の合意にたどり着いてきたわけだ。
ところが、第2次大戦の結果を否定する安倍さんが力を増すにつれて、「ここに突き入れば領土交渉しないでも済むよね」と思う人がロシアに出てきたということだ。安倍さんといっしょに盛り上がっていると、戦後の達成物をすべて失うよ、それでもいいのかということなのだ。
2015年5月19日
昨日から東京に出張。本日は福島へ。
昨日は、「シリーズ・さよなら安倍政権」の最初の2冊を印刷所にほうり込みました。明後日、白焼きといって、その印刷直前バージョンができあがり、それを東京で確認します。それでようやく、その翌日からドイツ・アウシュビッツへ旅立てます。今月は、先日このブログも書いた「未来への歴史シリーズ」2冊とあわせ、自分の編集担当する本を4冊も刊行するという、信じられないほど無茶苦茶なスケジュールで仕事をしてきたけど、間に合いそうでよかった。
昨日の夜は、「自衛隊を活かす会」の「提言」発表記念シンポジウムもありました。昨年6月から今年2月まで、合計5回にわたるシンポジウムを開き、現行憲法の下での自衛隊のあり方を探究してきたわけですが、ようやくそれが「提言」というかたちで実を結びました。関係者のみなさん、本当にありがとうございました。
この「提言」、すでにホームページで公開しています。英訳版も公開しています。あと、アラビア語訳も作成中ですので、でき次第、アップします。この「提言」で日本と世界を変えたいという本気度、伝わってくるでしょうか。みなさんのご意見を伺いながら、さらに磨き上げていきたいので、是非、ホームページからご意見をお寄せください。このホームページ、昨日から模様替えもしていますので、どうぞ。シンポジウムの様子は、近く、動画で公開します。
昨日のシンポジウムは、130名以上の方が来られました。議員会館で開催したからでしょうか、政党関係者の参加が多かったのが特徴です。「提言」は、政治で採用してもらうために出したという要素があるので、うれしいことです。残念なことは、昨日も含め6回のシンポジウムをやったわけですが、公明党の関係者だけは一人も参加が得られなかったことです。議員だけでなく秘書も職員もという徹底ぶりは、他の組織政党にはまねできないことですよね。「提言」の路線は、平和イメージの後退の影響からか、選挙での取りこぼしが目出す公明党にとっても貴重な内容を含んでいると確信しています。「会」は、憲法改正の国民投票があるまでは存続し、発信していくことを決めていますので、今後に期待しておきます。
昨日のシンポの内容は、これまでと同様、NHKや朝日新聞等で取り上げられていますが、今回、紙上(東京版)では確認できませんでしたが、WEB版では産経新聞でも報道されたようです。これまでのシンポは、主要なメディアはすべて取材に来ているのに、読売と産経だけは一度も来られなかったので、これもうれしいことでした。自分の立場と異なるものは取材もしないということになったら、どこかのメディアと同水準で、役割を放棄することですよね。今後ともよろしくお願いします。
では、「会」の次の取り組みは、6月20日の関西企画と、その夜の伊勢崎賢治ジャズヒケシです。後者は事前の申込みと参加費の振り込みが必須で、先着順ですので、お忘れなく。20日にお会いしましょう。