2018年7月18日
本日も、自衛隊と9条の共存というテーマでお話ししてきた。こんな暑い日に高齢者がたくさん来るよ。大丈夫ですか。
このテーマで話すと、共通して出てくる疑問というものがある。本日からそのいくつかを取り上げてみたい。
一つは、本日の記事のタイトルである。社会党が村山政権で自衛隊も日米安保も認め、右転落した。その後、社会党という名前では存続もできなくなり、後継政党である社民党も存立の危機に瀕している。野党連合政権で自衛隊も日米安保も認めることになると、結局、社会党の二の舞になるのではないか。
こういう疑問は根強く存在している。社会党が右転落した当時、それをはげしく批判した人たちだから、余計にそう思うだろう。
実際、その危険はあると思う。かなりの程度ある。
しかしそれは、自衛隊と日米安保を認めたが故でなく、大きな決断をして認めたのに、その後、何もこの課題が深められていないからである。
社会党もそうだった。自衛隊と日米安保を認めたにしても、かつての自民党の認め方と同じでなくて良かったのに、新しい方向を探究しようとしなかった。そして、まったく自民党と同じ安全保障政策になってしまった。社会党としての存在意義をなくしたのだ。
新しいものにしていく可能性は存在していたのだ。ソ連が崩壊し、日米安保の存在意義が問われ、政府も「防衛問題懇談会」をつくってどうするか議論を開始した。細川内閣で発足し、村山政権にレポートを提出したのだ。いわゆる樋口レポートである。
その経過のなかで、日米安保よりも多角的安全保障を先に記述するような場面も見られた。社会党はそれを捉えて、新しい安全保障観を打ち出すこともできたのだ。しかし、ただただ日米安保にしがみつく日米の官僚層の抵抗をただ黙って見つめるだけで、結局、日米安保の再定義だとして、何も変わらない道が選択されたのである。
社会党は、ただの護憲政党として、安全保障に対して何の見識も持っていなかった。ただただ自衛隊と日米安保に反対するというだけで、創造的なことは何もできなかったのだ。
そして現在、自衛隊と日米安保を容認する野党連合政権という課題が提起されているのに、それを深める動きがない。どこにもない。
その探求なしに、やれ政策協議なしに支援しないだとか、やれすみ分けだとか、中身に入らない議論を繰り返していると、社会党と同じ道をたどることになるだろう。ここで何回も書いてきたように、せめて日米安保と自衛隊をめぐって自民党政権の市中だった抑止力を乗り越える安全保障をどう構築するのか、その道筋だけでも示せたら別の道を進んでいけると思うのだけれど。ま、無理かな。
2018年7月17日
2週間ほど前になるが、私が『憲法九条の軍事戦略』(平凡社新書、2013年)を出した際、真っ先に講演会に呼んでくれた岡山のお医者さんの団体の責任者の方と大阪でお会いする機会があった。大阪で集まりがあったとかで。
いや、本当にあんなチャレンジングな本を出したのに、そうやって受け入れてもらえたわけだから、「この道を進んでいこう」と確信することになった機会だった。そしてずっと迷いなく(笑)進んできた。
お話ししながらふと思い出したのだが、その講演会のタイトルは、おそらく「9条と自衛隊を両立させていいのか」というようなものだった。最後に感想文を書いてもらったのだが、「両立させてはならないという講演だと思って訊きに来たので、びっくりした」という感想もあったことを今でも記憶している。
そうだよね。誰もが両立させてはならないと思い込んできたところにチャレンジしたのだから、ハレーションも半端でなかったと思う。
ところが、だ。その岡山の方とお会いした前日、京都のある「3000万人署名の会」に呼ばれて講演したのだが、与えられたテーマが「憲法9条と自衛隊の共存を探る!?」というものだった。
そう、まだ「!?」が付いているけれど、そういうテーマを主催者から与えられるまでになっているのである。しかも「3000万人署名の会」である。
この会、すでに町民の半分近い署名を集めている。それでも町内在住者に限ると4分の1程度だということで、本気で過半数をめざしているところだ。
そして、本気でそこをめざそうとすると、実際の署名集めをした経験からして、「憲法9条と自衛隊の共存を探る!?」ということに真剣にならないといけないと考えたそうなのだ。
考えの異なる人と対峙することになる実際の経験が、そういう思想上の飛躍を生み出すというわけだね。やはり「この道を進んでいこう」と確信することになった。
2018年7月10日
明日から東京事務所の拡張に伴う引っ越しの手伝いに行きます。明日は書棚等解体、明後日が本番、明明後日が設営(夜は「自衛隊を活かす会」の非公開の抑止力連続講座)。ということで、きっと肉体労働で疲弊すると思われるので、今週のブログは本日が最後です。書きたいテーマがたくさんあったのですが、連載優先で我慢していました。まずはオウムの死刑問題。あとのテーマは来週。
7人の同時死刑ということで論議になっている。前例のないことなので当然であろう。
私はいちおう死刑廃止論者である。犠牲者と家族のことを考えると、面と向かって堂々と言うのは憚られるから、日より気味の廃止論者である。
しかし、欧米において、「人権」を盾にした批判が巻き起こっているのは、どうもいただけない。ダブルスタンダードとはこのことだと思う。
もちろん、容疑者段階であれ刑が確定された段階であれ、その人権をどう守るかは大事であり、守るのが当然である。とりわけえん罪の可能性を100%防ぐことは絶対にできないことを考えると、死刑を容認することはできない。今回の死刑囚のなかには、判決を前後して自分に真摯に向き合ったものもいたわけで、人間の再生という問題を考えさせてくれた面もある。
けれども、オウムによる一連の事件は、現在の欧米の基準で言えば、テロである。政治的な理由で無差別に市民を虐殺したテロである。
そして、テロに対する欧米の対処の基準は、現在は「対テロ戦争」である。犯罪とみなして裁判にかけるのではなく、宣戦布告とみなして戦争をしかけるのである。
戦争だから、テロリストは殺すのである。殺しても合法なのである。たとえ生け捕った場合も収容所に送られ、拷問にあっている。人権がどんなに侵害されても、戦争だから合法なのである。欧米がオウム真理教の事件に遭遇し、もし上九一色村のサティアンにサリンをもって容疑者が籠もり、投降の呼びかけに応じないなら、自分の身の安全のためにもサティアンを爆撃することだって選択肢になるであろう。
そういう自分たちのテロに対する思想、やり方に何の反省もなく、何の自己検討もなく、日本を批判するのはお門違いである。日本は、オウムの犯罪に対して、ちゃんと犯罪として向き合ってきたのである。警察官だって不安だっただろうが、サティアンのなかを最後まで捜索し、麻原を確保した。そして日本は裁判を続けてきたのである。
欧米は、日本の今回の同時死刑を批判するなら、自分たちの対テロ戦争の思想と行動にメスを入れるべきだ。そのきっかけとなるなら、今回の行為には意味があったと感じる。
では来週に再会しましょう。お元気で。
2018年7月9日
この連載の目的を達成したので、終了することにします。同じようなテーマの記事は今後も書くでしょうけれど、
「目的」とは、いうまでもなく『9条「加憲」案への対抗軸を探る』の販売の促進です。土曜日の夜あたりから、アマゾンの憲法部門で第一位となり、いま記事を書いている月曜日の朝まで継続しています。いつまでも続くわけではないでしょうけれど、正のスパイラルに入っていくとうれしいな。「赤旗」に感謝です。
そこまで行かなくても、すでに「赤旗」の広告が載らないことによる損害は、本日までで十分に回収したと思われます。昔は、「赤旗」に広告なり書評が載ると、知的な読者層が多くて反響が大きかったのですが、最近、「赤旗」を見ていわゆるその系列の書店で買ってくれる人の割合は、弊社の本でいうと総売上の1%程度になっていますしね。
安倍さんは元気を回復したようで、総裁選挙での3選も見えてきましたね。そうなると、改憲発議と国民投票に突っ込んでいくことと思われます。『9条「加憲」案への対抗軸を探る』ことがますます大事になってきます。
山尾さんと愛知で対談する過程で聞いたことですが、護憲派のなかには、山尾さんの「立憲的改憲論」が党内でも賛成が広がっていなくて、孤立しているという考えがあるようです。それは全然違っていて、小林よしのりさんに枝野さんが招かれた時だったか、枝野さん自身が「自分も立憲的改憲論だ」とおっしゃっていました。だから、最近、党の憲法調査会で、事務局長の大役を任されることになったわけです。山尾さんを護憲派が疎んじることは、立憲民主党そのものを別の道に追いやる行為だと感じます。
ただ、その枝野さんが、同じ流れで、「政治の現実のなかで何を当面打ち出すかが大事だ」とおっしゃっていて、それが安倍首相のもとでの改憲はダメということでしょう。そこで一致するのは大事なことです。だけど、それは山尾さんも同じなんですね。
いずれにせよ、大事なのは、『9条「加憲」案への対抗軸を探る』ことです。その回答えはすでに分かっているとして、他の立場を排撃することではなく、いろいろな立場を十分に吟味し、どう協力し合えるかを探ることです。この本が、そのきっかけとなったらうれしいです。
なお、9月にも「赤旗」に広告掲載を拒否される本を出します。拒否が分かっているけれど、一応、広告案はつくって「赤旗」に提出します。断られたという事実がないと、こういう連載も迫力が出てきませんからね。マルクス関係の本です。お楽しみに。
2018年7月6日
でも、野党共闘路線の継続、進化を願っている人も、全国にはいっぱいいます。中央の段階ではどうか知りませんが、現場では努力もされています。
山尾さんと私を呼んで対談させようという愛知の取り組みも、その一つでした。すでに少し書きましたけど、大事だったと感じます。
安保も自衛隊も容認するって、結局、戦争法成立以前の自民党の政策に戻るということですから、「赤旗」読者には評判が悪いと思います。枝野さんも安全保障政策は自民党の宏池会と同じだと堂々と言っていますから、余計にそうかもしれません。
だから、いろんな形で協議していくことが大事なんです。私は、野党共闘で安保と自衛隊を容認するだけということでは、本当に意味がないと思います。社会党の二の舞でしょう。そこで何を重視するかというと、少なくとも、日米安保と日本の安全保障政策の核心である抑止力については、明確に代案を示した政権になるべきだと考えます。そのため具体的な政策としては、核抑止力を事実上否定している「核兵器禁止条約の批准」を掲げるということです。
山尾さんとの対談で、立憲民主党が核兵器禁止条約の批准を掲げていないことを取り上げ、なんとかすべきだと私は述べました。それに対して、山尾さんは、立憲がその批准を掲げていないのは、議論の末にそう決めたということではなく、まだ議論が進化していないからだと説明してくれました。
だから、このブログでも書いたとおり、その後の懇親会で、「市民連合が山尾さんと政策協議をやって、核兵器禁止条約の批准を公約に掲げたら次の選挙でも応援するようにしよう」と提起したのです。山尾さんの秘書も「そうだそうだ」と述べてくれました。
同じようなことを考えている別の市民連合も存在します。「赤旗」は、野党共闘路線にもう少し関心を持って、そういう市民連合の取材もするとか、「広告」も再考するとかしてほしいと思います。
今回のような本で次も広告が出ない場合、いいことを思いつきました。「赤旗」とそういうやり取りがあるって、普通の読者には伝わらないんですね。だって、拒否されたあと、大急ぎで別の本を持ってきたりして、広告をきれいに完成させるわけですから。
次は、そういうことをせず、以下の画像みたいに、拒否された部分を黒塗りにして印刷してもらうって、どうでしょうか。政府の公文書も、改ざんされると問題が隠されるだけでなく行政が歪むわけですが、黒塗りだと隠されているという事実は伝わるわけですからね。(続)