2015年1月28日
共産党の池内さおり衆議院議員が、イスラム国による湯川さんを殺害について、安倍首相が「言語道断」と発言したのに対して、「ゴンゴドーダンは安倍首相」(イスラム国ではなくて!)とつぶやいた件。志位さんが「適切でない」と発言し、池内さんがツイートを削除したことをめぐって、いろんな意見がある。
私は、発言の中身についていうと、圧倒的に志位さんに軍配をあげる。それにとどまらず、問題が表面化して以降の共産党の態度を支持する。安倍さんが人命優先で対応すると表明しているのだから、その立場で全力をあげなさいというのが、政党としてとるべき態度だと思う。
人質のいのちをめぐる交渉って、何がおこなわれているのか、さっぱりおもてに出てこないところに特徴がある。そうでないと、いのちは守れないのだから、当然である(もちろん、ぜんぜん真剣に交渉していない場合だってあるだろうが)。
たとえば、問題が発生して以降、「中東問題の権威」を自認する人のなかには、「現地対策本部をヨルダンに置いたのは間違いだ。イスラム国と交渉するならトルコだ」と堂々と発言する人もいた。だけど、ことがここに至ってみると、ヨルダンに置いていて良かったことがわかる。もしかして、最後はヨルダンの問題になるということについて、おもてには出せないけれど情報があったのかもしれない。
そういうことも含め、情報を外に出さないことが大事な問題なのである。それなのに、政府の対応に影響力を行使する権限をもつ国会議員が、ちゃんとした情報もないまま政府の対応を変えさせようとするわけだから、あり得ないことだと思う。
影響力のないネット世論なら、何を言っても私は気にならない(せいぜい、ああまた左翼の凋落が加速すると思う程度)。だけど、だいぶ前に国会での質問を通じて行政の対応をゆがめさせたことで野党の国会議員が逮捕されたことがあったと記憶するけれど、国会議員は権力の一部でもあるのだ(国会は憲法41条で国家権力の最高機関と規定されているのだから当然だ)。それにふさわしい自覚が必要だと思う。
まあ、でも、国会議員って、「全国民を代表する」(43条)人でもある。政党人でもあるが、国民に直接責任を負う立場にある。その国民に向かって発言したことには責任が生じる。発言した中身に責任を貫こうとしたら、自分の発言した立場が政党全体のものとなるよう努力すればいいと思う。政党の組織原則からして、その過程は、結論が出るまでは外には見えないだろうけどね。国民に向けた発言には、それだけの責任が伴うことを、是非、自覚してほしい。
2015年1月27日
人質問題をめぐる議論では、安倍さんの対処がイスラム国を刺激したかどうかなんてのは、きわめて細かい問題だと感じる。そもそも、イスラム国とどう戦うのか、それ以前に、イスラム国は戦う相手なのかどうかということが、日本の世論レベルではあまり共通の認識になっていない(政府レベルでは明確だけど)。そこがはっきりしない限り、人質問題の対応をめぐる議論も、揺れてしまうのではないだろうか。
たとえばいま、目の前に毎日新聞の夕刊がやってきた。その一面左肩には、シリア北部にいるクルド人部隊が、イスラム国が占拠していたコバニという地域を軍事制圧し、イスラム国を撃退したと報道されている。
これをどう見るのか。その一点だけでも、ちゃんとした回答をもっていないと、イスラム国との今後の戦いで見解を持てないだろう。
私は、もともとクルド人が住んでいた地域だから、この結果は当然だと思う。これからも、こうやってイスラム国の支配地域が元通りになるなら、それは支持すべきだと思う。この軍事衝突において、どっちつかず(よく言えば中立)の立場はとるべきではないと考える。
だが、もしかしたら、奪い返すにしても、軍事力を使ってはダメだ、支持できないという人がいるかもしれない。最近の護憲派のなかには、ベトナムがアメリカの侵略に武力で抵抗したことについてだって、憲法9条をもつ日本が支援したのはよくなかったという人までいるくらいだから。ましてや、有志連合の空爆という支援を受けながらの奪還だから、論外だという人もいるかもしれない。
空爆で支援されながら奪い返すって、あの9.11後のアフガンでのタリバン打倒の戦争を思い起こさせる。アメリカとイギリスの空爆を受けながら、軍閥が地上戦を戦ってタリバンを追いだした。あるいは有志連合ということだと、イラク戦争も想起させる。
だけど、このふたつの戦争が、ひどい政権ではあっても、ひとつの正統政権を倒す戦争だったのに対し、イスラム国との戦争は、そういうものではない。イスラム国がシリアとイラクの正統政権(ひどい政権だが)を脅かしているので、それを有志連合が牽制しているのである(シリアは微妙だけど)。
有志連合の軍事作戦を支持するかどうかは微妙な問題をはらむ。けれども、イスラム国に追われた人たちが、自分たちの土地を取り戻すため軍事力を使うことまでを、おかしいとは言えないだろう。
この軍事衝突において中立の立場をとらないということは、程度の差はあれ、反ISISの立場だということだ。そういう立場を明確にしていれば、2億ドルの名目がどうあれ、日本は反ISISなのであって、ISISによるテロの対象なのだ(反ISISでなくてもテロの対象となる場合があることが、無差別殺傷というテロの特徴だけど)。
私は、それでも反ISISの立場は明確にすべきだと思う。日本が実際にやるべきことは、軍事力の行使であってはならないけれど。
有志連合の問題も、じつは難しいよね。日経の本日夕刊(電子版)なんか、「イスラム国に対抗する有志連合の一員である日本を巻き込み」として、日本がすでに有志連合の一員であるという認識だ。
そこにもこの問題のむずかしさが表れている。結論の出にくい問題だけど、これからも考えて、書いていきたい。
2015年1月26日
三浦さんのすごいところは、「敵」を内側につくらないことで徹底しているところだ。3.11直後、福島の農民は、事故を起こした東電福島支社の前で抗議集会をやろうとしていた。しかし、その支社には、親戚や友人も働いているし、何より、炉心を何とかしないとダメだということで必死の作業をやっている。どうするかが問われていた。
それなら、東電本社前で集会をやろうと提案したのが三浦さんである。福島から牛を連れて行ってやった集会のことは、当時、全国ニュースで流れたので、覚えておられる方も多いだろう。
「福島のおコメは安全ですが、食べてくれなくて結構です」という考え方も、そこに通じている。脱原発運動の内部で、福島に住めるかどうか、福島のコメが食べられるかどうかで分裂すると、東電や政府の「思うつぼ」だというのが三浦さんの立場である。
「食べてほしい」と言って、相手が押しつけられていると感じたら、国民のなかに亀裂が生まれてしまう。悪いのは国と東電なのに、それでは運動が強まらない。
全袋検査をやった結果、国の基準値を超えるものがひとつもなかったということで(99.8%は検出限界以下)、国や東電は、安全が科学的に確かめられているから、売れなくても自分たちの責任ではないとして、賠償をしない方向に動くかもしれない。そのとき、買ってくれない消費者を批判するのではなく、そういう消費者の心を生みだしたことも含め、国と東電の責任を追及し、賠償を求めるのが三浦さんの立場だ。
この闘いは長引く。コメを買ってもらえるようになるまでも長いだろうし、いまは荒れ放題の20キロ圏で農業を再開するとなると、想像もつかないほどの時間がかかるだろう。
だから、その闘いでギブアップしないためにも、楽しい闘いが不可欠だ。三浦さんは交渉のとき、相手の役人の年齢をまず聞くそうだ。名前くらいはすぐに言う役人も、年齢はプライベートだということで、なかなか答えない。でも三浦さんは、10分かかっても20分かかっても、それを聞き出す。そして、ようやく50歳だと聞き出すと、「そこまで人生経験があるなら、僕たちの置かれた状態を理解できるよね」と迫っていく。組織との交渉ではなく、人と人との交渉に持ち込めば勝てるというのが、三浦さんの信念だ。そうやって、役人や東電社員が成長し、将来の日本を背負う人材になってほしいというのだから、壮大な展望である。
この本で、そういう三浦さんの姿を伝えたい。それは福島原発問題の将来にもつながってくると思うから。(了)
2015年1月23日
私の出た大学の同窓会は、名前を如水会といいます。いちおう会員にはなっていますが、卒業生の多くは商社や銀行などに勤めていて、私がいろんな催しに出ても、話がかみあわないかなあと思って、これまであまり熱心ではありませんでした。
だけど、つきあいの幅を広げないとダメだと思ったし、京都に常駐するようになり、京都に骨を埋める覚悟をしたわけだし、一度ご挨拶がてらと思ったんですね。それで昨夜、年次総会に出たのです。
昭和30年卒業の方から(22歳で卒業とすると80歳を越えておられますね)、平成17年卒業の方まで、20数名が参加しておられました。いや、たくさんの社長さんですとか、大学教授の方とか(名誉を含む)、あるいは府議会議員の方とか(国会議員秘書も)、いろんな方とお知り合いになれました。
最初の出席者は自己紹介しなければならないということでした。まあ、中途半端に出版社の編集長ですなんて言っても、存在感がないだろうと思って、大学入学以来の経歴をカミングアウトしちゃいました。
その大学で史上はじめての(というか、その後も誰もいないので「唯一の」ですが)全学連委員長をやったこと。革マル派とか三派とかの「全学連」とは違い、現役学生だけが役員になれるというきびしい(当然の)規約があるため、単位はすべて取ったのに卒論を出さないで留年したこと。それでも卒業年度になったので、引き続き学生資格を得るために学士入学したこと(社会学部から経済学部へ)。学士入学試験は学部長面接なんですが、相手もこちらが学生運動するための入学だと分かっているので、狸のだましあいのような面接だったこと。共産党に勤め、参議院の比例代表の候補などもやったので、世が世なら、本日は国会議員としてのあいさつになったかもしれないこと。退職して出版社に移った経過。その経過から、憲法9条も自衛隊も活かすという立場にこだわって、出版もその他の活動もやっていること、等々です。
いやあ、「こんなヤツがこれからも来たら困るなあ」なんて思われるようだったら、今後は控えようと思ったんですけど、とっても好評でした。話も弾んで、昔はブンドだったけど、いまは共産党もいいと思っている方とか、自分は保守だが娘は新婦人という方だとか、昔は共産党だったがいまは創価学会だという方とか、楽しいお話ができました。共通の知人(先輩で、私にとっては政治的な宿敵なんですが)に連絡をとるから、いっしょに会おうという約束もしてきました。
ウィングを伸ばすのがこれまでのやり方でしたが、もっと伸びそうな気がします。みなさん、9条も大事だし、防衛も大事だと言っておられました。中国をはじめ海外で仕事をしていると、そうなるんだと思うんですよね。
2015年1月22日
美味しんぼで問題になりましたが、福島のおコメは安全か、食べられるかという問題は、いろいろな議論を引き起こします。私なんか単純ですから、測って問題ないのだから、当然食べるでしょという立場です。福島以外のコメは測られていないわけで、そっちの方が危ないかもしれないと思ってしまいます。だけど、多くの人にとっては、そう簡単な問題ではない。
それに対して二つのアプローチがあると思います。一つは、科学的にどうかということを極めるということです。弊社の本で言えば、昨年末に出した『放射線被爆の理科・社会』がそれにあたります。放射線防護学や医学、生物学などの専門家が、科学的知見にもとづいてアプローチするわけです。これは、科学的思考を優先する人にとっては、効果的なアプローチだと思います。
一方、よく安全と安心は違うと言われますが、実際に食べられるかどうかは、「心」の問題です。科学的には大丈夫と言われても、受け入れられない「心」があるわけです。
その理由にはいろいろあって、原発事故で明らかになった科学者不信という問題もありますし、いまだにネットで流れる非科学的な情報という問題もあります。それはしかし、一つ目のアプローチで克服していかねばならないことでしょう。
それ以上に私がこの問題の核心だと思うのは、「なんとなく受け入れられない」という「心」です。3.11直後、泥憲和さん(弊社の『安倍首相から「日本」を取り戻せ』の著者)が話していて印象に残っているのですが、たとえばケーキにハエが止まったとして、その部分を取り除けば食べられる人と、それでも食べられない人がいる。なるほどなあと思いました。
そういう人に対して、ハエの汚染物はケーキの他の部分には届いていないと、いくら測定して言っても、やはり受け入れられないでしょう。科学の問題ではないのです。
それだけではなく、そういう人に「安全が確かめられたから食べてほしい」というと、きっと押しつけられているように感じるのではないでしょうか。逆効果になると思うのです。
三浦さんの本は、そこを突破するものになると思います。コメをつくっている本人が、「安全だけど、食べなくていいですよ」と言うのですから。「あなたが食べてくれる気持ちになるまで、ぼくは毎年毎年、安全なコメをつくり続け、測り続けます」。そう言うのですから。
なんと言ったらいいか、福島の農民は自分のことを考えてくれているんだなというような、そんな信頼感を持たせてくれるような本です。そういうアプローチも大事だと思うんです。(続)