2014年8月20日

 この問題で混乱が見られる。過去の問題のトラウマからか、平和勢力の側に、自己責任の問題にしてはならず、日本政府は救出のために全力をあげるべきだという人もいる。

 もちろん、誰であれ、人のいのちは尊い。助けるべきいのちは助けなければならない。日本人だけでなく、現地シリアのすべての人のいのちが尊いのと同じである。

 だが、今回の問題は、ジャーナリストが戦闘に巻き込まれたケースとか、高遠さんらのようなケースとか、そういうものとは違っている。そこを考慮しない議論は的外れであると思う。

 報道されているように、拘束された方は、民間軍事会社の責任者である。そして、その会社は、現地の戦争においては、特定の武力紛争当事者の側にいた。現地では、シリアの政府軍、アルカイダ系の「イスラム国」、反政府武装組織の「イスラム戦線」の3者が敵対し、争っているわけだが、そのうち「イスラム戦線」の側にいたわけである。

 だから、すごく単純化していえば、3カ国が戦争をしていて、それに参加している軍人が捕虜になったケースと同じである。そういう場合、相手に求めるのは、その軍人の釈放や解放ではなくて、「捕虜としての人道的処遇」である。

 ひとつの問題は、民間軍事会社の職員というものが、捕虜としての処遇を求められる地位にあるのかということだ。この点は、国際的に議論が分かれている。

 交戦規則を定めたジュネーブ条約には、「軍隊の構成員でないが軍隊に随伴する者」という規定がある。こういう人が敵に拘束されたとき、捕虜として処遇すべきことが条約の定めである。民間軍事会社の職員はこれにあたるというのが、アメリカなどの主張であるらしい。

 しかし、「軍隊の構成員でないが軍隊に随伴する者」というのは、軍服を着用するなど、実際にそうであることが敵に認知されなければならない。だけど、今回の日本人をそうみなせるかは、微妙な問題である。

 この場合、民間軍事会社の職員は、ジュネーブ条約追加議定書に規定される「傭兵」ということになる。傭兵を拘束したときどんな処遇をすべきかは、条約に規定がない。そもそも、1989年、国連総会で、「傭兵の募集、使用、資金提供及び訓練を禁止する条約」が採択され、2001年に発効している。

 そういう条約があるにもかかわらず、民間軍事会社がたくさんつくられている。法律の方が追いついていないということだ。

 ただ、いずれにせよ、ジャーナリストなどを解放せよというのとは異なり、「捕虜に準じて扱え」というのが、日本側が主張すべきことになると思う。もちろん、そういう法的な主張が通じる相手ではないかもしれないが、国際的に自分たちの立場を認知させたいなら、国際的な考え方を受け入れてこそだと、相手に求めていくしかないのではないか。

2014年8月19日

 今月は仕事をしながら4回の講演をこなす。4回とも地元・京都というのが異例だけど、それだけ受け入れられてきたということかな。

 京都で呼ばれてうれしいのは、どこにも観たい場所があることだ。今月はじめは醍醐だったのだが、有名な醍醐寺のあるところである。昨夕は同じ山科区だが、椥辻(なぎつじ)駅周辺だった。ネットで調べたら、坂上田村麻呂のお墓があるということで、講演開始が7時30分だったということもあり、早めに出かけた。

 行く途中、この地域では2万年前の石器が出土しているという看板もあって、すごい場所なんだなと自覚する。お墓にもすぐ到着。中には入れないよう鎖がしていた。

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 その後、会場の近くに行ったら、折上(おりがみ)神社というのもあって、これは働く女性の守り神なんだって。そんな神社もあるんだね。神社って、ゆたかだね。今月後半のあと2回も、せっかくだから、いろいろ観に行かなくちゃ。

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 昨夕の講演のあと、いくつか質問があって、いろいろ考えさせられた。従来の護憲派が、専守防衛の護憲派と協力しあう問題についてふれたのだが、それにかかわる質問も少しあったのだ。そうやって自衛隊を認める人と一緒にやることになると、ズルズルと先に行きかねないという趣旨のことだった。攻められたから自衛するということをやってしまうと、攻める前から自衛するということになりかねないということでもあった。

 この問題って、いろいろな角度から論じることができるけど、野党的な感覚で疑問が出ているということが指摘できる。専守防衛で自衛隊を使うというとき、その自衛隊を使う政権というのは、質問する方の感覚では、自分の政権ではない。自分とは遠い政権だから、その政権の暴走は止められないと思うわけだ。

 そうじゃなくて、たとえばあなたが防衛大臣だと考えれば、先制攻撃の命令なんかしないでしょということである。しっかりとした護憲派が政権の一翼をになえば、そういうことはしないのである。自民党だってしなかったことを(それだけ憲法の規範力は強く、護憲運動も力も強いのだ)、護憲派の政権がやるはずはない。

 それに、専守防衛の護憲派と従来型の護憲派がタッグを組んで政権を担えば、この地域に安定が訪れる可能性が生まれる。そういう状態が何年、何十年も続くことによって、「自衛隊は減らしてもいいよね」という国民の気持ちが生まれる。やがては「なくてもいいよね」となるかもしれない。従来型護憲派の夢が叶うのは、専守防衛の護憲派とタッグを組んだときだけだと思う。どうでしょ。

2014年8月18日

 神奈川新聞が「時代の正体」と題する連載をやっていて、最後は「語る男たち」として5人が順番に出てきた。小林節、阪田雅裕、柳澤協二、伊勢﨑賢治と続き、最後が私だったのでガクッときた人もいたんじゃないかな。「軍事語る護憲運動を ジャーナリスト・松竹伸幸さん」と題する記事だった。5月に登場したときと異なり、経歴も間違ってない。以下、引用。

 語らずして、語る。それが役割と自任する。

 東京・神保町駅近くの中華料理店。議論は続いていた。

 「タイトルは『安倍政権こそ日本の最大の脅威』でどうだろう」「『これまでの護憲運動を超える』というのはどうかな」

 やんわりと、しかし、言うべきことは言う。

 「個人攻撃のようになるのはやめましょう」「護憲を超えて、はいいですね」

 円卓を囲むのは、元防衛官僚の柳沢協二さん、国連職員として紛争地で武装解除を指揮した東京外国語大大学院教授の伊勢崎賢治さん、防衛省の研究機関、防衛研究所の元所員で安全保障論が専門の桜美林大学教授の加藤朗さん。いずれも防衛・安保政策、国際貢献論のスペシャリストである。

 出版社の編集長としてそれぞれの著書を手掛けたことがあり、3人を引き合わせた。そうして発足をみた「自衛隊を活(い)かす:21世紀の憲法と防衛を考える会(自衛隊を活かす会)」。夜の会合は発足記念シンポジウムの打ち合わせだった。

 鶏の空揚げと野菜炒めをつまみに紹興酒の杯を傾ける。議論が脱線するたび軌道修正し、時には提案もする。

 「シンポのタイトルですが『憲法9条』という言葉を入れるのはどうですか」

 ただちにダメ出しを食らった。

 「憲法という言葉は若者からは遠い」「右の人も左の人も納得できる名称がいい」

 苦笑し、打ち明けた。

 「つい9条という言葉を口にする。やはり、どこかで思い入れがあるからだろう」

 会の設立を持ち掛けた立場として運営を支えるが、自らは前面に出て語らない。そう決めている。

 「私はかつて共産党本部で政策を考える立場にいた。いわば、従来の護憲運動を担っていた。軍事や国際貢献を語る新しい護憲運動のためには、自分が前に出ないほうがいい」

 安倍晋三首相が進める集団的自衛権の行使容認に反対して立ち上げた会ではあるが、掲げるのは「憲法解釈を変えず、自衛隊による国際貢献や防衛の道を探る」。自衛隊の廃止や縮小を求めてきたこれまでの護憲運動とは出発点が異なっていた。

■エリートコース

 長崎県生まれ。父親は炭鉱労働者だったが、やがて閉山に。一家で夜行列車に揺られ、東京へ出た。だが父の働き口は見つからず、再び居を移した神戸で高校卒業までを過ごした。日本中が高度成長期に沸いていた時代、家は貧しかった。それでも父は「大学には行け」と言った。

 一橋大に進学。貧しさから抜け出したいと考えていたが、社会を変え、貧しさ自体をなくそうとするマルクス主義の考えが新鮮に映った。学生運動にのめり込み、学生自治会の全国組織「全学連」(全日本学生自治会総連合)委員長を務めた。

 「学生運動は下火になっていった時代で、人が集まらなくなっていた。運動をどう広げるか悩み続けた」

 学費値上げ反対闘争を率い、一方で学生運動に携わる者は授業なんて出るもんじゃないという風潮に異を唱え、学生の本分は勉学であるとつづった「松竹論文」は語りぐさとなっている。「同世代から、あの松竹さんですかと声を掛けられる」

 思えば、本質は何かを突き詰める姿勢は当時からそうだった。

 共産党の国会議員秘書になり、40歳で党政策委員会の外交・安全保障担当に抜擢(ばってき)された。党の政策作りに携わり、気付けば党のエリートコースを歩んでいた。

 やがて壁に突き当たる。

 「国民の多くが自衛隊の存在を認めている。なのに護憲派は自衛隊を違憲とみなし、軍事について議論を避ける。他国から攻められたらどうするのかと問われ、自衛隊を否定する護憲派からは、対応する防衛政策が見えてこない。これでは護憲派や護憲政党への支持は広がらない」

 憲法を守るには、しっかりとした防衛政策を持った護憲派が政権に就く必要がある-。2006年、共産党を「退職」。京都のかもがわ出版に入社した。

■一致点見いだし

 最初に手掛けた本が防衛省の元幹部の著書だった。

 タイトルは「我、自衛隊を愛す故に、憲法9条を守る」。

 われわれは日本を守るために隊員を鍛えてきた。それが海外派兵によって命を落とすようになってはならない-。軍事の何たるかを知る肉声にこそ意味があり、目指す運動の方向性があった。07年、第1次安倍政権のころだった。集団的自衛権の行使容認に向けた議論はすでに始まっていた。

 アフガニスタンなどで武装解除に当たった伊勢崎さんも以前なら接点を持ち得なかった。「武装解除という行為は護憲派の中には『武力行使』に当たるという認識があったので」

 柳沢さんについては「沖縄に海兵隊は常駐している必要はない」という論考が目に留まり、「元防衛官僚がここまではっきり言うとは」と驚き、連絡を取った。

 現行憲法の下でできる日本らしい軍事や国際貢献の在り方。その両輪となる2人の知己を得た。

 やはり出版を通じて知り合った加藤さんに言われた。

 「われわれは護憲派としては素人だ。今度はあなた自身が考えをまとめるべきだ」

 昨年4月に「憲法九条の軍事戦略」を出版。「護憲派は軍事というものを全否定する勢力だと思われてしまっては、主張が広がることも難しい」。一方で自衛隊の戦力は米国の軍事戦略に沿ったものとして備わっている。専守防衛の観点から見直せば、不必要なものもでてくる。そこに左右の立場を超えた一致点の鍵を見いだす。

 今年6月に出した「集団的自衛権の焦点」では集団的自衛権行使の論拠として安倍首相が持ち出した議論を「リアリティーがない」と断じた。「右か左か、立場や考え方は関係ない。自衛隊が海外に行き人を殺すのはおかしいという思いは、多くの人に共感してもらえるはずだ」

 6月7日に都内で開かれた自衛隊を活かす会の発足記念シンポジウム。柳沢さん、伊勢崎さん、加藤さんが登壇し、自衛隊のOBが国際貢献の現場での思いを語った。自身は受付で来場者の案内に専念していた。

 「壇上で語ることはなくても、シンポジウムに来た人に、私の思いは伝わっているはずだと思う」

 春に大学を卒業した長男に言われたことがある。

 「お父さんは共産党っぽくないと前から思っていたんだ」

 大学では伊勢崎ゼミに学び、報道メディアの道を選んだ。やはり伝える立場に進んだことがうれしかった。

2014年8月15日

三、「専守防衛」の政策をつくっていく

 安倍政権とは異なる専守防衛の政策を示していくことについては、多くの政党が模索してきました。民主党についていえば、政権末期は自民党と同じく抑止力信仰に逆戻りしましたが、普天間基地の県外移設や対等な対米関係など、自民党とは異なる道筋を提起しかけた経験があります。日本共産党について見ても、いまから一四年前、侵略や大規模災害の際の自衛隊活用という方針を党の大会で先駆的に打ち出しました。

 一方これまで、専守防衛といえば安保依存と一体となった自民党の政策であったため、護憲派が専守防衛を深めればどんな政策になるのかについて、突っ込んだ探究はされてきませんでした。いまそこに変化が訪れようとしています。

 この六月七日、「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」(略称、「自衛隊を活かす会」)が結成されました。柳澤協二さんを代表として安全保障専門家の三人が呼びかけたものです(私はその事務局の仕事をしています)。柳澤さんは、防衛官僚を四〇年間務めた方で、最後は、安全保障担当の内閣官房副長官補(事務次官待遇)として、小泉、安倍(第一次)、福田、麻生と四代の自民党首相に仕えた方です。退職後、さまざまな体験をへて、昨年一一月、九条の会の全国交流集会に参加し、憲法九条が生みだした日本の平和ブランドを守ろう、集団的自衛権に反対しようと呼びかけました。

 「自衛隊を活かす会」は、もちろん自衛隊を否定する立場には立ちません。しかし同時に、集団的自衛権や国防軍路線にも賛成せず、現行憲法の枠内で防衛政策を提言することをめざしています。そのために、防衛の現場で仕事をし、悩んでいる自衛隊の幹部の方々とも協力しあっています。

 一〇月はじめまでに自衛隊の国際貢献の問題を考える三回のシンポジウムを開催し、年末から来年にかけてのシンポジウムでは、日本防衛を主題にして検討することになります。これらのシンポジウムには、幹事長や政審会長が出席する政党もあり、国会議員秘書や政審職員まで含めると、主要な政党は参加しています。

 政策面での共闘というのは、主導するのは政党であって、市民の側にできることは限られています。その政党を見渡すと、安倍政権の打倒で一致することがあるとしても(それさえそう簡単ではありません)、それに替わる政権づくりで協力し合える感じはありません。そこは政党間の努力に期待するしかないでしょう。

 しかし、私たち国民の側が、「こういう政策で一致すべきだ。その政策をもって集団的自衛権で突っ走る安倍政権を打倒すべきだ」と提示していくことは可能です。野党の協力が実現しない場合も、その政策を採用する政党が増えるならば、積極的な意味があるでしょう。一点共闘が政治を変える闘に発展するかどうかは、私たちの準備と覚悟にかかっています。

2014年8月14日

二、自民党の変化の意味と「専守防衛」問題

 最近、一点共闘という言葉が聞かれるようになってきました。立場の違いは大きいけれど、大事な一点でだけは、これまで考えられなかったような方々と共闘できるようになっているということが、この言葉には込められているように思います。

 集団的自衛権に即していえば、かつて自民党の幹部だった方々が、集団的自衛権反対の旗をかかげ、護憲派と手を組むようになっています。考えるべき問題は、この一点共闘から、政治を変える共闘が生まれるのかどうかということです。その可能性はあるのか、あるとしたら、どういう努力をすれば可能性を現実のものにできるのかということです。

 この答は、ある意味で簡単です。政治の場面での共闘というのは、政策での一致があって初めて現実のものとなります。政策の一致があれば一点共闘は政治を変える共闘になるというのが、この問題の正解でしょう。

 答は簡単ですが、簡単でないのは、それを現実のものとすることです。集団的自衛権についていえば、一点共闘においては、その行使に反対するというだけの一致でいいのですが、政策で共闘する場合は、それに代わる対案が求められ、少なくとも安全保障政策の大枠での一致が必要となるでしょう。かつての自民党幹部から共産党までが、安全保障政策で一致するなどということがあり得るのでしょうか。

 この点ではまず、集団的自衛権行使容認にいたった自民党の変化をどう見るかが大事です。過去数十年にわたる自民党の防衛政策を特徴づけてきたのは、もっぱら自国防衛を意味する「専守防衛」という考え方と、アジア全域にアメリカの影響力及ぼす「日米安保依存」という考え方とが、渾然一体となっていたことです。アジア諸国との関係でいえば、戦前のようにアジアの盟主となる願望をもった人々もいれば、それはもっぱらアメリカにまかせるという人々もいました。

 戦後数十年続けてきた憲法解釈を変更したということは、自民党自身が自覚しているかどうかは別にして、この防衛政策の基本が変わったということを意味します。「専守防衛」は後景に追いやられ、アメリカとともに「アジアの盟主」になろうという考え方が主流になったということです。その結果、「専守防衛」を基本にしたいと考えてきた自民党の人々のなかで、安倍政権に離反する動きが出ているわけです。沖縄県知事選挙にあらわれた「オール沖縄」の動きも、こういう変化を背景にしています。

 これまで、「専守防衛」といえば、護憲派から見れば、いわゆる解釈改憲の立場でした。また、侵略的な日米安保と一体のものであったため、言葉の本当の意味で「専守防衛」とは言えないものでした。しかし、安倍首相が改憲と集団的自衛権の立場で突きすすんだ結果、「専守防衛」が積極的な意味をもつ可能性が生まれています。護憲派が「専守防衛」派と同じ政策で手を結ぶことができるなら、安倍政権にとって代わる選択肢を提示することができるのではないでしょうか。

 政府が三年に一度大規模な世論調査をしていますが、自衛隊の縮小を求める声は二〇年前の二〇%から次第に減って六・八%となる一方、現状維持を求める人々は一貫して六割を超えています(図1)。そして、国民が自衛隊に求める役割は、圧倒的に災害救助と侵略の防止なのです(図2)。集団的自衛権を行使するのではなく、自衛隊の任務は侵略の防止と災害救援であるべきだというのが、国民大半の気持ちだということです。また、NHKの四年前の世論調査を見ると、非武装で安全保障を考える人は一二%と少数ですが、一方で安保条約に依存して日本を守ると考える人も一九%と少数であって、国民の大半は、アジア諸国との平和的な関係を重視する人々でした。

 つまり、国民多数も「専守防衛」派だということです。国民大多数の声に依拠すれば、一点共闘が政治を変える共闘に発展する可能性はあるのです。