2014年8月6日

 昨日は、本の販売がてら、集団的自衛権の分科会に参加してきた。助言者は神戸大学名誉教授の和田進先生。書いたものに接することはよくあったけど、お話を伺うのははじめて。いやあ、理論派だと思っていたら、アジテーターでもあった。いつも理論とともに運動のこともよく考えておられるんだね。お近づきにならなくちゃ。

 原水禁大会で集団的自衛権をとりあげるって、大事なことである。両者は「抑止力」で共通している。核兵器が抑止力として誇示されていることはいうまでもないが、安倍さんが集団的自衛権の行使に踏み込むのも、それによってアメリカに恩を売ることで、アメリカの抑止力への依存をたしかなものにしたいと願うからである。

 ところで、その集団的自衛権について、今年の長崎市の平和宣言ではふれられるが、広島市の平和宣言ではふれられないらしい。核抑止と集団的自衛権の関係って、そういえばあまり議論されてこなかったことが、その違いに反映しているかもしれないね。もっと深めないといけないかも。

 と思っていたら、本日の中国新聞によると、広島市は、来年のサミットを広島に招致することを決めたらしい。外務省との協議も進んでいるとか。集団的自衛権にふれないのは、そういう思惑があるのだろうか。しかし、いずれにせよ来年、主だった国の首相が集まって広島でサミットをやるとすると、5年に一度のNPTの再検討会議も開催されることだし、核問題は重大な焦点になってきそうだ。何か考えなくちゃ。

 本日は朝早くからまた本の梱包を解いて、並べて、販売してという一日だった。もちろん8時15分には黙祷である。

 本全体の売れ行きは、最後に計算してみないと分からないけど、自分が書いた本はすべて売り切った。首都圏を中心に、講演依頼もみっつほど。月に2回は東京に出張しますので、それにあわせて依頼していただければ、余分は交通費はいりませんので。

 なお、本日、福岡まで移動してきている。会社の将来がかかった仕事がまっている(秘密だけど)。

2014年8月5日

 昨晩、原水禁大会の1日目が終わって、ホテルに戻ると、いつものようにロビーに「中国新聞」が置いてあった。お隣の中国の新聞じゃないですよ。中国地方の新聞ということで、広島を中心に発行されている。

 広島に来る時じゃないとみることはない。私が見るのは、原水禁大会のときだけだ。そして、その場合、いつも原爆をめぐる記事が大きく取り上げられている。

 昨日の1面トップは、お隣の中国をとりあげた記事だった。まず、見出し。「中国軍「核弾頭を増加」」「文書明記 世界的軍縮に逆行」。記事の中心は、こういうものだった。

 「中国人民解放軍が公式文書で、核戦略の要となる戦略ミサイル部隊の「核弾頭を適切に増加していく」と明記していることが分かった。……
 文書は、陸海空と第2砲兵部隊(戦略ミサイル部隊)の当面の目標を示した軍人向け教材。この中で、核兵器を柱とする同部隊を、中国が大国としての主導権を確保するための「抑止力」の核心と位置づけた。…
 戦略ミサイルは、単に本土「防衛」のためではなく、広い範囲で「戦略的な主導権」をにぎるために活用すると強調」

 いや、まさに、いまの中国を象徴する記事だ。中国はきっとこういうことを考えているだろうなと思っていたけど、その通りだったというもの。

 それで、ふと思いついて、原水禁大会の海外代表の参加リストに目を通した。いつもそんなことに気を配っていなかったが、数年前までは中国代表も参加していたと思ってね。ことし参加していたら、この問題をどう考えるのか、問い詰めるべきだと考えたし。

 ところが、中国代表は参加していないかった。他の核保有国ということでは、アメリカ、ロシア、イギリス、フランスは参加しているんだけどね(もちろん、NGOだけど)。

 中国の場合、政府代表が参加していないというだけでなく、NGOも参加していない。中国のような独裁国家では、NGO(非政府組織)といってもあまり意味はなく、まわりからは政府系非政府組織(GONGO、GovernmentalNGO)なんて揶揄されているんだけどね。

 どんな国でも、希望があるとすれば、NGOに代表される非政府組織でしょ。日本でも、安倍さんが集団的自衛権を強行していても、国民レベルでは反対が多いから、なんとか希望がある。だけど、中国の場合、政府が軍事強硬路線を進んでいるとき、NGOまでが原水禁世界大会にさえ参加しないという状況だ。少し理性があれば、政府は参加しなくても、非政府組織を参加させて、「核廃絶の理念は捨てていない」と建前だけでも言わせると思うけどね。

 こういう現実をどうやったら変えていけるのか。難しい。だけど、そういう中国に対して、黙っているのではなく、ちゃんとダメだよと声を上げなくてはダメだということだけは、はっきりしていると思う。

2014年8月4日

 本日から原水禁大会で広島。重たい本の梱包を解き、販売し、また梱包しという重労働。ブログの記事はどうしようかな、日和ろうかなと悩んでいたら、中学時代からの親友が、私の名前を新聞で見たと言って教えてくれた。神戸新聞の一面コラム「正平調」だ。まあ、それなりに中身もあることなので、きょうの記事はその全文でご容赦を。

 定年後の参考にと、格安航空やユースホステルなどを使い、1年で世界を一周した京都の中高年夫婦の講演を聴いた◆旅行の途中「米国人旅行者とほとんど出会わなかった」と、ご夫婦は語る。「テロの標的になるのが怖くて国籍を明かせないのでは」との推察は当たらずとも遠からず、か。「世界の警察官」を自任してきた米国が敵意を抱かれがちな点は、あながち否定できない◆米国は中枢同時テロの後、タリバン政権が犯人をかくまっているとしてアフガニスタンを空爆した。国連安保理決議が根拠だったが、米国が「自衛」を主張するにはアフガンが実行犯を派遣した‐などの証明が不可欠だったと、ジャーナリストの松竹伸幸さんは指摘する。政権を倒したのも行き過ぎとみる◆日本は米国を支援したが、インド洋での艦船給油にとどめた。自衛隊の武力行使は集団的自衛権の行使に当たり、憲法9条に抵触すると厳しく戒めたからだ◆自衛隊は海外で人を殺したことがない。アフガンで武装解除に取り組んだ伊勢崎賢治・東京外大教授によると、日本は戦争をしない‐とのイメージが中東では不動だという◆安倍内閣が集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、歯止めが失われつつある。私たちは「平和国家」の国民として、今後も安心して世界を旅できるだろうか。

2014年8月1日

 安倍さんが秋に予定している内閣改造で、石破さんの去就が話題になっている。新設する安全保障担当大臣だとか、いや本人の希望は幹事長の続投か、無役に退くか、どちらかだとか。

 いずれも、次の自民党総裁選挙がらみの思惑だ。安倍さんは、次の総裁選に勝利することで、長期政権を渇望している。だから、前回の総裁選で、自分より党員票が多かった石破さんを、なんとか自分にとって危険ではない場所におきたいわけである。石破さんだって、次は自分だと思っているだろう。

 それにしても、安倍政権では困るよねという声が渦巻いているとき、どの野党党首も、「自分が首相をやる」「政権を奪い取る」とは言わない。困ったものだ。次の首相候補として名前があがるのは石破さんしかいないというのが、冷厳な現実である。

 私としては、安倍さんを打倒するためにも、安倍さんが進めている軍事路線に代わる防衛政策が必要だと考えているので、「自衛隊を活かす会」でいろいろやっている。一点共闘から次の政権が生まれるとすれば、まさか自衛隊を否定する政権をつくるなんてあり得ないので、防衛政策での一致が不可欠となるからね。

 だけど、安倍さんへの不満が与党内にもひろがって、次は石破さんということにもなりかねないので(現状の闘い方ではその可能性が一番高い)、そのときのことも考えておかねばならない。石破さん、党員投票では安倍さんをしのいだということは、国民受けはいいわけだ。左翼的な目からみると、安倍さんと同じ(もっとひどい)ように見えるかもしれないけれど、決してそうではない。単純な右翼路線とは一線を画していて、彼が首相になったら、攻めにくくなると思うのだ。
 
 それで、つい数日まえに発行された『ナショナリズムと外交 ハト派はどこへ行ったか』を読んだ。石破さんへのインタビューが載っている。著者は薬師寺克行さん。朝日新聞の政治部長をへて、いま東洋大学の教授をしているんですね。また飲みましょうね。

 で、ここでの石破発言が、なかなか考えさせる。以下、引用のみ。

 「(中国のように)13億という人が住み、少数民族だけで50を超え、14の国や地域と地続きの境を接しているような国を治めるにあたって、今のところ共産党一党独裁以外に手はないのかもしれないとは思っている。いい悪いは別として、当面それしかない」

 「(日本の戦争について)『アジア解放のための戦争であった』とか、『アメリカの陰謀である』とか言ってみたところで、要するに『負けた戦争をした責任はどうしてくれるんだ』ということが問題なんです。なぜあの戦争になったのか、なぜ止めることができなかったのかという考察が、私は一番大事だと思っています」

 「(日本の戦争は)欧米諸国もやっていたように侵略戦争だった、ということでしょう。その中で日本は真っ当な統治をしたかもしれない。だけど侵略戦争の本質は消えるものではない。アメリカもやっていたじゃないかとか、ヨーロッパもやっていたじゃないかというのは、子どもが何か悪いことをしたときに、『僕だけじゃないもん。○○ちゃんも△△ちゃんも、やってるもん!』とか言って、親が『○○ちゃんや△△ちゃんは関係ないの。あなたが悪いんでしょ』と言って叱るのと似たようなところがありませんか」

 「日本国は東京裁判を受け入れたのです。それこそがサンフランシスコ条約の本質なのであって、それを否定するということは戦後日本の体制をすべて否定することになってしまうわけですよね。ですから私自身、東京裁判は間違っていたと思うけれども、それを肯定します」

 「(従軍慰安婦について)じゃあ、ああいうことをやってよかったかって言えば、そうではないでしょう。しかも、ご指摘の通り、これを論じているのは現代ですから、既に基準が変わってしまっている。だからそこでわが国がどんなに『いわゆる狭義の強制連行なんかなかった」と言っても、少なくとも現代の国際常識からは乖離していると思われてしまう」

2014年7月31日

 北海道新聞7月27日付2面左肩に、集団的自衛権に関する大きな記事がのっている。「政府、説明を覆す。「戦闘現場に派遣するわけではない。危険イメージ除去懸命」というタイトル。

 そのタイトルでも分かるように、集団的自衛権の憲法解釈を変える閣議決定をしておきながら、その後の安倍政権が、それまでの説明を変えるような説明をしていることの分析記事である。いくつもそういう事例がある。

 たとえば、安倍首相は、14日の国会審議で「戦闘している現場に補給しろというニーズは事実上無い」と答弁した。小野寺防衛相が20日のテレビで「機雷除去は、その地域が相当安定しないとできない」と発言した。

 その記事の最後に、私が出てきている。

 「集団的自衛権の深層」の著書があるジャーナリストの松竹伸幸さんは「安倍政権は13日の滋賀県知事選挙の敗北を受け、世論の批判を意識し始めた」と推測。その上で「政府がいくら『自衛隊の活動は大きく変えない』と説明しても実際に憲法解釈を変更した。米国から出動要請があれば、時の政権の意向で自衛隊がこれまでと違った危険地域に派遣できるようになった本質は変わらない」と批判している。

 「自衛隊を活かす会」の事務局として公開している私の携帯に電話があったのだ。閣議決定に関連して見解を取材したいといわれるので、「いや、自衛隊を活かす会は、閣議決定についてとくにコメントは出していない」と答えたら、「いえいえ、松竹さんの見解を聞きたいのだ」ということでびっくり。

 そういえば、先日、東京新聞の特報部からも電話があって、地表観測衛星「だいち2号」の軍事利用について、私の見解を聞きたいということだった。とっても驚いて、「なぜ私のような素人に聞くんですか」と問い返したら、「そんなことないでしょ。集団的自衛権の本も書いているし、軍事ジャーナリストはみんな高齢化していて、松竹さんのような人の出現を待っていたんですよ」などと言われたのだ。

 北海道新聞も「肩書は軍事ジャーナリストでいいですか」と聞くものだから、「そんな、武器なんかひとつもさわったことさえないんだから、やめてください」とやんわりと断ったんです。いやあ、ほんとうに驚きである。

 でも、集団的自衛権の本って、アマゾンでも書店でも、「軍事」に分類されることが多いのである。そういう誤解も生まれるよな。

 だけど、これは同時に、護憲の側で、軍事を語れる人がいなくなっていることの反映でもある。そこは、「自衛隊を活かす会」の活動のなかで、なんとか突破していかなければ。