2014年2月19日
会社公認のブログなので、会社の仕事のことも書かないとダメだよね。ということで、本日は、学校図書館向けに出している「町工場の底力」(全4巻、各2500円+税)について。
これは、昨年、「工場の底力」のシリーズ4巻を出したのだが、タイトルを比較して分かるように、立ち位置をより鮮明にしたものである。まさに「町工場」(従業員が20名以下)に焦点をあてて、それが日本の経済を担っていることを紹介したものである。
その最新作が最近できあがった。「町工場の底力 ④深海をめざす」である。少しだけ立ち読みもできるので、是非見ていただきたい。
昨年末、東京の町工場が協力し合って、8000メートルの深海に探査機を送り込み、深海魚の見事な3D映像を撮影したニュースをご覧になった方もいるだろう。そう、「江戸っ子1号」のことである。
これまで深海探査といえば、国や大企業の独壇場だった。だって、何億円もかかるのだから、当然だろう。だけど、大阪の町工場が人工衛星「まいど1号」をつくったことに触発され、東京の町工場の社長たちが、試行錯誤のうえ、2000万円でつくる見通しをつけ、みんなで協力しあって実現したのである。
まだ、その経過は、一般の本にもなっていない。その段階で、学校図書館向けにこの本を出せたわけで、われながらすごいことだと思う(編集部のなかでは、一応、私が担当である)。
これを読んでいると、日本の町工場の技術力の高さに驚く。8000メートルの深海では、指先に軽自動車を乗せるのと同じ水圧がかかるといわれ、それに耐えられる部品をつくるのは並大抵のことではない。そんなことが日本の町工場で可能なのだ。
しかも、日本の町工場が営業の危機に陥るなかで、ある町工場は、自社技術を他の町工場にも公開し、いっしょにやっていこうとよびかけている。そんな連帯の精神も、この本から伝わってくる。
アベノミクスだとか騒がれてきたけれど、結局、日本経済をなんとかしようと思えば、ここに焦点をあてていかねばならない。その点では、学校図書館向けのこのシリーズは、まさにうちの会社らしい出版活動である。
学校図書館関係者には是非、注目してもらいたい。来年度、このシリーズの第2期も刊行する予定。
2014年2月18日
国連人権理事会で設置された「北朝鮮の人権に関する国連調査委員会」(以下、委員会)が、注目すべき報告書を発表した。北朝鮮における人権侵害は「人道に対する犯罪」であるとして、国連安保理に対して、国際刑事裁判所(ICC)に付託するよう求めたという。
ICCは、侵略、ジェノサイド、人道犯罪、戦争犯罪という4つの罪に責任のある個人を裁判にかけることになっている。今回はそのうちの「人道犯罪」にあたる。
日本では、今回のことは、拉致問題との関係でのみ注目されている。委員会の報告のなかで拉致問題が正当に取り上げられているからだ。しかし、拉致問題を解決するという角度でみると、今回の措置に期待をかけることは疑問符がつく。
まず、北朝鮮はICC加盟国ではないし、そういう国の指導者を訴追するには安保理の決定が必要だが、その場合、中国が反対するだろうからである。さらに、たとえ安保理が決めたとしても、北朝鮮の指導者をICCで裁判にかけるためには、北朝鮮が指導者をICCに引き渡さなければならない。北朝鮮がそんなことをするなんて、万が一にもないであろう。
要するに、こういう裁判というのは、その国で国家体制が変わり、以前の指導者を引き渡すことを想定しているのだ。拉致問題でICCが裁判をおこなうのは、北朝鮮の現体制が打倒されたときだということである。
もちろん、そこに拉致問題解決の望みを託すということもあるだろう。北朝鮮の人々だって、いまの体制がいいとは思っていないだろうし、われわれの目には見えず、何十年かかかるだろうけれど、変革への胎動がどこかにあるかもしれない。苦しんでいる北朝鮮の人々のことを考えれば、こういう解決方法が大事だと考える。
だけど、日本で拉致問題の解決を望んでいる人は、そこまで先延ばしにするということでいいのだろうか。もっと早期に、被害者の家族が生きているうちに解決したいのではないのだろうか。
そのためには、北朝鮮の国家体制打倒ではなく、北朝鮮との外交交渉に望みをかけるべきではないのだろうか。その交渉は、拉致問題の解決の見返りに、体制の維持を保証するものになるかもしれない。拉致問題の解決というのは、そういう余地のあるところが、とっても大事なのだ。
安倍さんは、そういう妥協がいやだから、交渉せずに済ませようとしている。委員会が今回の報告書を発表し、運動関係者が沸き返ることは、交渉をきらう人々にとっては最高の結果だろう。
2014年2月17日
Yahoo知恵袋ってあるじゃないですか。何でも質問項目をアップすると、何日間かを期限にして回答を募り、それをそのまま掲載するというものです。
先日、何と、私がどんな人物かを尋ねる質問がアップされました。曰く、「松竹伸幸氏は左翼、右翼どちらなのですか? また、反日か親日かどちらですか?」ですって。
いやあ、なんて言ったらいいんでしょうか。私が書いたものをチラッと見て、左翼か右翼か、反日か親日か分からないとしても、理解力が不足しているというわけではありません。理解を超えたことを書いているということでしょうから、大変名誉なことだと思います。いくつかの角度からそう思います。
まず、世の中のいろいろなことは、そんな二分法で分かるほど単純ではありません。反日か親日かは、その代表ともいえるもので、ふつうの生活においても、愛するが故に批判することもあるわけで、批判の対象にならないのは関心の対象になっていないのと同じことだと思います。
しかも、左翼や右翼を自認する人のなかでも、ふつうの国民のなかでも、左翼と右翼の区分けがあまりにも陳腐になっていると思います。自衛隊を否定するのが左翼で、肯定するのが右翼、というのに象徴されるでしょう。ドイツナチスの占領支配に対して、右翼が平和的に屈服したのに対して、左翼は武器をとって立ち上がったのであって、武力をもってしてでも独立と主権のために戦うのが、左翼本来のあり方なんです。
さらに、国民がそれなりの支持をあたえる主張というのは、相反するように見えても、どこかに納得できるところがあります。たとえば、いま、原発をすぐになくすという主張でないと、市民派には受け容れられないという現実があります。だけど、国民多数が支持する段階的廃絶という主張がおかしいかというと、決してそんなことはありません。そういうとき、その両方の対話を促進し、協力関係をつくるのが、左翼本来のあり方だと思います。市民派に沿った主張をしているだけでは、市民運動がひとつ増えるだけであって、左翼の役割を果たすことにならない。
ということで、私は個人的に、以前は「左翼内保守」とか「左翼内タカ派」とかも使っていましたけど、現在は「超左翼」だと自認しています。これは、私の個人的な信条であって、出版社としてはまた独自のスタンスですけれど。
2014年2月14日
解釈改憲に関する安倍さんの国会での説明が、いろいろと波紋を呼んでいる。自民党内にも異論が出ているが、当然のことだろう。
しかし、この問題は護憲派にもはねかえる問題だから、よくよく整理しておいた方がいい。そうでないと、「返す刀で……」ということになりかねない。
憲法にかかわる解釈が変わることは、当然のこととしてあり得るだろう。これまでも、そういう事例はあった。だから、どんな解釈変更も認めない、という論理は通用しないだろう。
では、集団的自衛権を合憲とする解釈改憲は、どういう論理でダメだというのか。これまでの法制局のように、憲法そのものの論理からして、その積み重ねがあって、やはりダメだということなのか。
でも、その論理のなかには、自衛権とその範囲に収まる自衛隊は合憲だとする解釈が中心をしめる。護憲派(その中でも自衛隊を違憲だと考える人たち)は、それをどう考え、どう対処すべきか。
たとえば、この問題を護憲政党が追及していたとする。それに対して、安倍さんは、「あなた方だって、選挙に勝って政権をとったら、解釈を変えるんでしょう。自衛隊を合憲から違憲だと180度変えるあなた方の立場に比べたら、私の方がずっと穏健だ」なんて答弁するだろう。その時にどう答えるかという問題でもある。
「正しい」解釈改憲はいいんだというのだろうか。それって、でも、安倍さんだって「正しい」と思ってやっているわけで、護憲派は、正しいかどうかを政権が決めていいのかという角度から追及をしているわけだから、通用しないような気がする。
あるいは、「われわれは自衛隊の段階的解散という立場であって、すぐにはなくさないんだ」と言うのだろうか。でも、それなら、政権が憲法違反の行為を重ねることになる。自民党政府だって、自衛隊のイラク派兵など違憲だと思う人もいただろうが、憲法違反を政府がしていると認めてしまえば政権はもたないから、「合憲」だと言い張ってきた。自衛隊を違憲だと表明しながら、それを保有する政権は、やはりもたないだろうと思う。
それなら、「われわれは連立政権をつくるのであって、そこでは自衛隊違憲論と合憲論が同居しているので、とりあえず政権としては自衛隊合憲論に立つ」と言うのか。私は、これしかないと思うけれど、護憲政党がそこまで踏み込めるかということになると、なかなかむずかしいと感じる次第である。
しかし、論戦する場合は、かならずその答を準備しておかないといけない。どうするんだろうね。
2014年2月13日
脱原発運動の分裂にもかかわって、また書いておく。もっと背景にある問題だ。
いま、多くの方が、安倍さんの路線に対して危機感をもっている。憲法9条にかかわる問題もそうであるし、原発問題もそうだと思う。
それにどう対抗するのか、安倍さんを打倒することをスローガンにするとして、打倒した後、どんな政権をつくるのかが問われている。だって、打倒したあと、石破さんが引きつぐことになっても、展望がないでしょ。少しでもましな政権をめざさなければならない。
その政権は、それなりの良質な保守と、原理的ではない革新が手を組む政権になると思う。なぜそう思うかというと、理由はふたつ。
ひとつは、そうじゃないと多数派になれず、安倍さんには勝てない。世論では多数になっているように見えても、政権をまかす選挙になると安倍さんの路線が多数を占めるのが、この間の現実である。良質な保守だけでは、どんどん衰退していって、昔のように派閥抗争のなかで首相をとれる状況ではなくなっている。革新は、運動体としては世論の多数を占めても、政権を任せられるだけの信頼は得ていない。両者が一緒にならないと話にならないというのが、都知事選でもはっきりしたと思う。
もうひとつは、そういうことが可能になる現実の情勢があるからだ。政権共闘をしようと思えば、基本政策の一致が必要である。
安全保障の分野では、近く、自衛隊を否定するのではなく、かといって国防軍へと行くのでもなく、現行憲法のもとで生まれた自衛隊の可能性を活かす安全保障政策を打ち出す会が、それなりの人たちによって誕生する。安倍さんの安保抑止戦略とは異なり、日本と周辺の安全を作り出す政策であるが、日米安保と自衛隊の存在は否定しない。これなら保守と革新で一致する部分がある。
安全保障政策の一致だけでは政権は生まれない。しかしそこに、脱原発という経済・エネルギー政策の根幹でも保守の側からひとつの流れが表面化したのが、今回の都知事選挙だった。
この流れを発展させることが求められていると私は思う。だけど、保守と革新の共闘なんて、あまり体験したことがない。運動面では生まれている。政権面では社会党と自民党の連立があったけど、社会党は、安全保障の独自政策がないまま、ただ取り込まれていった。保守と連立する場合は、いまの安倍政権とどこでどう対決するのか、その面での基本政策が大事である。
じゃあ、その際、これまで革新がかかげてきた政策を、相手に丸呑みさせるのか。脱原発では即時ゼロ、TPP絶対反対、新自由主義のいかなるあらわれ(人によって何があらわれか違うだろうけど)も絶対阻止等々。安全保障政策と同様、意味がある妥協というのも必要ではないのか。あるいは、過去への反省と総括が必要だという人がいるけれど、じゃあ、安保廃棄は政権として求めないという合意になったとして、保守の側から、「これまで左翼が安保廃棄を求めてきたことへの反省と総括がないと一緒にやれない」と言われたら、いったいどうするのか。
保守と革新の協力というのは、これまで前例がないだけに、考えるべきことがいっぱいある。だから楽しいんだけど。