2014年1月28日
昨晩は、憲法九条下の自衛隊活用を考える会(仮称)の全メンバーが集まり、いろいろと討議した。大事なことをいろいろ議論した。
結局、発足は6月7日(土)にした。その日、会の趣旨を明確にするとともに、最初のシンポジウム「自衛隊の国際貢献──現実と課題」を開催する。
また、会それ自身には自衛官の参加は求めないことにした。そうではなくて、シンポジウムの報告者、発言者として名前を連ねてもらうという方式である。これは、自衛官のおかれた立場を考慮するということもあるし、本音で意見をのべてもらうためにも必要だということでもある。
この日は、おそらく、南スーダンでの現在進行形の苦労とか、アフガンの将来構想とか、過去のカンボジアの経験とか、いろいろ語られるはずだ。そういう問題を憲法と照らし合わせながら考えるための、とてもいい機会になると確信する。
安倍さんの突進ぶりからして、早いに越したことはない。だけど同時に、4月に安保法制懇の集団的自衛権の報告書が出され、会期末(6月22日)に向けて、集団的自衛権を合憲だとする閣議決定がねらわれるという動きになってくるだろうから、6月7日はいいタイミングでもあると思う。
その一カ月ほど前には(5月3日かな?)、ホームページを開設する予定なので(誰か協力してよね)、そこで参加方法などを告知したい。自衛官(現職も元職も)の参加が優先的にできるようにしたい。
昨晩は、そういうことを決めながら、安倍さんの評価とか、日米、日中、その他、いろんなことが話し合われた。専門家の深い話は、本当にためになります。
会の中心の国際政治学者で、最近までアメリカでずっと研究してきた方によると、いまのアメリカにとっては、アジアというのは米中が連帯してどう対処するかという地域になっているとのことだ。日本は対処される相手みたいになっている。そうだよね、安倍さんが、これだけ問題を起こしているのだから。
同時にしかし、安倍さんはそれでも構わないと思っている。これまでの日米関係から抜け出ようとしている。だから、そういうあらたな局面で、憲法九条を守るという課題を、誰といっしょにすすめるべきかということが問題なのだと思う。
そういう安倍さんのやり方に不安を抱くすべての方々と連帯していく。そこを分かりやすく打ち出していきたい。
2014年1月27日
風邪を引いてボヤッとしていたこともあり、遅くなった。だけど、大事なことだと思うので、書いておく。
その後、「似ているなんて言ってない」などと弁解もされているようだ。だけど、現在の日中関係を問われて、第一次大戦前の英独関係に言及したわけだから、英独のように戦争するようになってはいけないという文脈だったとしても、類似性を意識していたことは間違いない。
でも、安倍首相が、第一次大戦前の英独関係について博識だとは思えないから、誰かの入れ知恵だろうと推測していた。そうしたら、やはり外務省のなかにいたんだね。困ったものだ。
普通は、日中のように経済的な関係が緊密になっていれば、どんな争いがあっても軍事的な衝突を招いてはならないと考えるわけだ。だから、軍事専門家のなかにだって、中国を抑止の対象にしてはならないという意見も多い。
だけど、それが安倍さんには気にくわないわけだ。だから、外務省の一部の人びとは、安倍さんにおもねって、経済関係が緊密でも戦争になった事例を調べ上げ、安倍さんに報告をあげたのだろう。
安倍さんは、これはいい事例を聞いたということで頭の片隅に置いていて、質問されてとっさに口から出てきた。それが真相なのだろうと思う。
けれどね、経済関係が緊密でも戦争になった事例、という1点にこだわって事例研究するというのが、そもそもおかしいでしょ。政府が弁解しているように、戦争にしてはならないという文脈での発言だというならば、研究するのは戦争にならなかった事例でなければならない。
それに、問題関心がその1点だけなので、日中の衝突を防ぐのに、まったく役に立たない。第一次大戦というのは、解説するまでもなく、古い帝国主義国であるイギリスやフランスと、後発の帝国主義国であるドイツ、オーストリアなどが植民地獲得をめぐって争ったものである。表面的には、英独の建艦競争などがあって、いまの日中の軍事的な対抗関係に似ているところがあるかもしれないが、戦争にいたった要因はまったくことなるのだ。
だから、この事例をどんなに研究しても、日中の衝突を防ぐ展望がでてくるわけではない。それなのにこの事例を持ち出してきたのは、やはり、日中の衝突を防ぎたいという気持ちとは無縁だからである。どちらかといえば、実際に軍事衝突にいたったとき、「英独だって防げなかったのだから」という言い訳に使いたいということではないのか。
私はいま、『なぜ戦争は起きるのか』という本を書くため、過去の戦争の事例研究をしている。それにサブタイトルをつけることにした。「日中軍事衝突を防ぐ教訓を探る」。どうでしょうか。
本日から木曜日まで、東京、福島、仙台出張です。忙しい。
2014年1月24日
自信に満ちあふれていました。一部に、安倍さんの暴走には手の打ちようがなく見えるので、病気再発を望む声もあるようですが、そんな卑劣なことは決して口にしてはなりませんよ。そもそも、いい薬ができていて、前と同じようになるなんて、あり得ないとのことですからね。
もちろん、安倍さんにも、いろいろ不安があるにはあるんでしょう。とくに、アメリカとの関係なんて、かなり微妙になっていますから。だけど、自分に代わって首相をしようという人物は出てこないというのが、その自信の根拠になっているのではないでしょうか。
秘密保護法なんか、おそらく党内でも異論があったでしょうに、ほとんど動きは見られませんでした。党内は抑えきっていると確信をもっているでしょう。
党外はどうか。「安倍政権打倒」という言葉は飛び交っているけれども、「じゃあ、代わってどんな政権をつくるのか? 誰を首相にするのか?」と聞いても、こたえが返ってこないのが現状でしょうね。秘密保護法の廃止法案を出すという話も聞きましたが、廃止するための政権をつくるという話は出てきていません。
前にも書きましたが、民主党は、とてもこのままでは再び政権を担えないと、多くの国民が判断しています。いや、それだけでなく、自分でもそういう自覚があると思われます。
維新とみんなは、安倍政権の継続を望んでいるでしょう。結いは、まだ動きが見えないし、生活は、元気をなくしたまま。
共産党は、選挙で早く数十議席に到達するのが目標であって、次の選挙で安倍政権に代わる政権を担う(その一翼であっても)という方針をもっていません。社民党も同様かな。
施政方針演説では、安倍さん、自衛隊への誇りを語っていましたね。東日本大震災とかフィリピンへの災害支援とか。シリアでの化学兵器廃棄への協力も強調し、「これが積極的平和主義」だと自慢していました。
だけど、あれほどの惨禍をアジアに与えながら、そのうちの一国であるフィリピンにも感謝されるようになったのは、日本が個別的自衛権に徹していたからです。憲法で明記されていないけど、だからこそ自衛隊員は国民に認知してほしいと必死に願って、被災地での活動を献身的におこない、評価されるようになったわけです。
現行憲法のもとで生まれ、ようやく「誇り」を語れるまでになった自衛隊を、別のものにしよう、国防軍にし、集団的自衛権を行使できるようにしようというのが、安倍さんです。だけど、どうやってそれに対抗するのか、選択肢があまり見えていません。
ということで、私は、自分の力の範囲内で、やれることをやるだけです。安倍政権の危険な軍事戦略に対抗し、それに取って代わる政権の軍事戦略をつくる仕事です。憲法九条を守ったうえでの軍事戦略です。
来週上京し、そのための第2回会合を開きます。すでに設立趣意書の大枠は決まり、参加するメンバーもかなり固まってきました。名前の売れている人もいますが、有名でなくても、肩書きで、えっ!という感じの人も加わってくれます。お楽しみに。
2014年1月23日
私の希望は、これまでの自民党政治のなかでも超がつくほどのタカ派むき出しの安倍政権に対して、リアリスト左翼とリベラル保守が力をあわせて対抗することである。そのために、いろいろ本もつくるし、活動もしている。
そういう点では、東京の選挙は、そこまでは行きそうにない。というか、逆行の方向だ。保守と手をつなぐということは、市民運動や左翼にとっては、けがらわしいことなんだろうね。まだまだ。
だけど、秋の沖縄県知事選挙は、いい方向に動いていきそうだ。具体的には、まだ書けないけど。
書けることだけを書いておくと、保守と革新が手を組みそうな勢いだそうだ。これって、大事なことだと思う。
すでに書いたように、前回の知事選挙で、私は候補者である伊波さんの本を出し、同時に、沖縄に海兵隊はいらないという安保容認派の本を出した。その時は、候補者は革新であって、安保容認派は、それを事実上応援するという構図だった。
だけど、今回の選挙では、少し前の記事で私の希望を書いたように、はじめからタッグを組み、候補者を出しそうなのだ。そうなれば、うれしい。
これは当然のことなのだ。だって、普天間基地の撤去というのは、安保条約を認めるか認めないかにかかわらず、沖縄県民にとっての焦眉の課題なのだから。
実際、沖縄の県議会とか那覇の市議会を見れば分かるように、自民党から共産党までこの課題で一致しているのである。県内移設を進めようとしているのは、中央の安倍政権だけなのだ(県知事もこれに加わった)。普天間基地が争点になる選挙で、沖縄において、いっしょにやらない方がおかしいと思う。
もちろん、これって、革新にとってはひとつのハードルである。保守といっしょになるということは、安保条約の廃棄をかかげないで選挙をやることになるのだから。ここに革新の存在意義をかけてきた人にとっては、許せないことかもしれない。
いや、それだけではなく、そんな共闘をやろうとすれば、安保廃棄で一致しない選挙共闘は意味がないとする人びとが、ストップをかけようとするかもしれない。実際、選挙共闘、政権共闘は安保廃棄での一致が不可欠だというのを、不動の公式だと思っている人が多いからね。
でも、大事なのは、公式ではない。それが県民のためになるのか、少しでも政治を動かす力になるということだ。力にならない公式は、公式とはいえない。
できる限りのことをやっていきたい。がんばります。
2014年1月22日
何のことか分からないだろうけれど、昨日の記事の続きである。だけど、都知事選挙からはずれていくので、別のタイトルにした。
私が現在のような立場に立つにいたった契機になった問題のひとつとして、拉致問題がある。もちろん、北朝鮮による日本人拉致のことだ。
拉致といえば、以前は左翼の独壇場だった。国会で追及するのも左翼、集会に参加するのも左翼だった。
ところが、いつの間にか右翼の専売特許となり、左翼は片隅においやられる時期が続くことになる。国会では、北朝鮮が拉致した証拠はなく、ただの疑惑に過ぎないという質問をする左翼もあらわれた(犯人が韓国の裁判所で拉致を証言して判決も確定しているのにである)。
そうなった理由は、いまあげたような立場の表明以外にも、いろいろある。左翼の中には、北朝鮮がそんなことをするはずがないという、北朝鮮に対してびっくりするほど甘い立場のものもいた(一部だけど)。小泉さんの訪朝で拉致が確定して以降も、たとえば被害者の一時帰国の際、北朝鮮にいったん戻るのか戻さないのかが問題になったとき、憲法の居住地選択の自由・権利を持ち出して、帰るといわざるを得ない精神状態にあった被害者を戻すべきだという左翼もいた(一部だと信じたいけど)。
ただ、そういうことも含めて、根底にあるのは、被害者とかそれに同調している国民への共感が欠けていたことにあると私は感じる。家族が何の落ち度もないのに拉致され、長期間拘束され、それを心配している気持ちへの共感である。
いや、共感はあったというかもしれない。だけど、まず口から出てくるのは、かつての日本はもっと大規模に朝鮮半島の人びとを拉致したからおあいこだとか、北朝鮮に対しては対話をすべきで圧力をかけてはならないとか、悲しみに暮れている家族にとっては、とても共感しているとは受け取れない言葉が多かったと思う。
もちろん、拉致問題の運動をめぐって、批判すべきことはあったと思う。だけど、その批判を聴く気にさせるには、気持ちの上で共感が必要である。「この人は拉致された被害者とか家族のことを本気で心配している」ということが伝われば、そこで共感し合えれば、「軍事制裁は行きすぎだよね」というようなところでは意見が食い違っても、胸襟を開いて話し合えることになる。共感できなければ、批判以前に、話し合いそのものが成立しなくなる。
いや、これは特定の問題だけのことではない。何にせよ、誰かを説得しようと思えば、どこかでその人と共感しあう部分がないと対話にならない。
都知事選をめぐって、脱原発を本気で考え、進めている人たちが、2つに分かれて闘うことになる。その闘う相手を、脱原発の仲間として敬い、共感し合うことが大事だと思う。そうでなければ、批判を聴く気にさせることはできない。ましてや、細川陣営についた人びとのことを中傷したり、揶揄するようなことでは、都知事選で宇都宮さんへの支持を広げることはできない。それどころか、脱原発の市民運動は、急速にしぼんでいくことになるだろう。左翼退潮のきっかけとなった拉致問題の二の舞になりかねない。