2018年2月9日
ある土地の領有権を決める基準は何か。
一つには、ずっと古い時代から領有しており、国家の領土としても認識していたという、動かせない事実が基準になる場合がある。日本でいえば、本州や北海道、四国、九州など、古代から日本人が住み、国家の支配が及び、誰もが日本のものだと認識し、それに対してどこからも異論が寄せられないような土地の場合である。
それに対して、時代が新しくなるにつれて人びとの認識の範囲に入ってきた土地の場合、別の基準が必要となる。尖閣やアメリカ大陸のような場合である(この場合も、その土地に昔から住んでいた人はいたわけで、それをどう考えるかは後述する)。
こういう場合の基準は、もともとは「発見」だったのである。大航海時代に七つの海を旅したスペインやオランダは、そうやって領有権を世界に拡大していった。しかし、そのやり方はすぐに頓挫する。イギリスやフランスなど後発の国々が力をつけ、領有権が各国同士で衝突するようになってきたからである。
こうして、現代にもつながる国際法上の領有権の基準が登場する。それが「先占」というものだ。これには二つの要素があって、一つはその土地が自国のものだと「宣言」することである。これだけだと「発見」と似たようなものだが、さらにもう一つ、「実効支配を及ぼす」という要素が加わる。その土地で国家が警察権を及ぼしたり、経済活動には課税したりというようなものである。
すぐに理解できることだが、これは植民地支配の論理である。アフリカなどをどう分割するのかについて、実力がものを言う世界をつくりあげたのだ。それを欧米列強が勝手に国際法の原則にしたのである。
だから、この基準は、現代においては、かつての植民地世界で通用していない。植民地の人びとは、「先占」によって支配されることに歯向かい、「この土地は住んでいる我々のものだ」という新しい原則を打ち立てていったのである。昔から住んでいた人も含む「人民の自決権」が領有権の基準になったということだ。
とはいえ、誰も住んでいなかった土地もある。尖閣もそうである。そういう場合、なお「先占」が領有権を決める基準になっているというわけである。
尖閣についていえば、先述のように、中国はいち早く「発見」をした。しかし、「先占」はしなかった。実効支配を及ぼさなかったのである。
一方の日本。「発見」は遅かった。けれども、「先占」は完璧であった。1884年、古賀辰四郎が尖閣を探検し、翌年、同島の貸与を政府に願い出る。1895年、日本政府は尖閣を日本に編入するための閣議決定を行う。「先占」の一つ目の要素である「宣言」にあたる。さらに、古賀氏が政府の許可を得て船着き場をつくり、アホウドリの羽毛の採取を事業化し、最盛期には200人近い人びとも住むようになる。これらの人びとは日本政府の納税をした。「実効支配」である。
その経過のなかで、中国側からは、一度も抗議のようなものはなかった。それどころか、1919年に中国の漁民が遭難し、尖閣の日本人が救助して送り返した時、当時の長崎駐在中国領事は日本に感謝状を寄こしたのだが、そこには「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」という記述もあったほどだ。
そういう事情は第二次大戦後、中国で共産党政権ができてからも、しばらく変わらなかった。共産党の機関紙「人民日報」が、米軍占領下の沖縄の人びとの闘いを報道する記事の中で、「琉球群島は、……尖閣諸島……など七つの島嶼からなっている」と書いたこともある(1953年1月8日)。
中国の態度が180度変わったのは、1970年代初頭である。69年に東シナ海で海底資源の存在が明らかになったことが理由だと言われているが、真偽は不明である。
その後、中国側は、尖閣が中国領だという主張を強めていく。その中で、先述の『順風相送』など、新「証拠」が発見されているのが現状である。
今後も新「証拠」が出てくるかもしれない。しかし、現在通用している国際法に基づいて判断する限り、尖閣の領有権が日本にあることは疑えない現実である。
「法」ではなく「人情」で判断すれば、中国側に同情の余地はある。なぜなら、その国際法の形成には、中国は関わっていない(日本もだが)。欧米列強が勝手につくり、世界に押しつけてきたものである。日本は弱小国だったが故に、どうやって日本を国際法基準に国にするかで腐心した。中国は強国だったが故に、そんな国際法を無視した。そこに「先占」をめぐる日本との格差が生まれる。
さらにその後の中国は、帝国主義列強に国土を踏みにじられ、日本には侵略され、戦後も内戦は続いたし、共産党政権になっても文化大革命などの混乱が続くことになる。そうして、ようやく混乱から抜け出て一息つき、国家の建設を真面目に考えようとしたら、目の前にあったのは中国があずかり知らぬ国際法が幅を利かせる世界だったのである。「こんな国際法など知るか」という腹立たしい気持ちにもなるだろう。尖閣だけでなく、かつて影響を及ぼした南シナ海に九段線なるものを引いて、勝手に権利を主張しているのも、そうした気持ちのあらわれなのだ(国際司法裁判所に否定されたけれども)。
もしかしたら、かつて列強が国際法をつくったように、強大化した中国が力で国際法を変更する時代が来るかもしれない。しかし、現在の国際法を無視して変更するとなれば、再び力で領土を分割する時代に逆戻りしてしまう。村本氏の「(尖閣は)中国から取った」という認識は、そういう時代を招きかねないものである。
しかも、再び冒頭の議論に戻ってしまうが、そういう言明を沖縄を代弁すると思われている人がすることが問題なのである。普天間基地閉鎖をめざす沖縄県民の闘いに悪影響を与えるのだ。
村本氏の信念に属することについて、部外者の私が「変えろ」と求めることはしない。しかし、非武装中立にしても尖閣の領有権にしても、あくまで自分個人の見解だと明確にして発言すべきであろう。あるいは、沖縄県民の多数は安全保障を真剣に考えているし、尖閣は日本のものだと沖縄県民は確信していることを明確にした上で、自分は別の考えだと主張すべきだろう。沖縄に寄りそう気持ちが村本氏にあるならば。(了)
全文はiRONNAのこのページでした。タイトルは上から目線のものに変更されているけれど。来週はディープな連載に戻ります。
2018年2月8日
ここまでは前置きである。本稿で論じたいのは、村本氏の尖閣諸島の領有権に関する誤った認識のことだ。
村本氏は、一連のやり取りのなかで、尖閣を「明け渡す」と言明したのに続いて、沖縄についても同じかと問われ、「もともと中国から取ったんでしょ」と主張したという。さすがに番組後のツイッターで、「沖縄は中国だった、ってのは……咄嗟の拡大解釈でした、反省」と述べたというが、尖閣についての認識までは撤回していない。尖閣は「中国から取った」ものだという認識のままなのであろう。
進歩派を自称する人びとの一部によくあることだが、安倍政権と対峙しようとするあまりなのか、日本と周辺諸国(中国、韓国、北朝鮮)が対立する問題が存在するとき、とくに深い検証もないまま周辺諸国側の見解を支持する人がいる。慰安婦問題しかり、核・ミサイル問題しかりである。
尖閣もそういう問題の一つになりやすい性格を持つ。安倍政権の立場と違うと強調すれば、それだけで批判者としての役割を果たせると勘違いする人がいるわけである。
しかし、これも前置きで書いたことと性格は同じだが、普天間の辺野古移設を推進しようとする人びとのなかには、翁長知事や家族の中国との「親密な関係」をでっち上げ、「このままでは尖閣は中国に奪われる」とあおり立てることにより、辺野古移設の世論を高めようとする考え方もあることだ。「尖閣の領有権は中国の言う通り」ということを、沖縄を代弁するように思われている人が主張するのは、それだけで翁長知事を窮地に追いやることなのである。
領有権問題というのは、「どっち寄り」のような政治的配慮で左右される問題ではなく、国際法上の厳密な検討によって決められるべきものである。沖縄に寄り沿う気持ちがあるなら、中国寄りととられる発言をする際には、多少なりともその根拠については突っ込んで検討すべきであろう。そうでないと、村本氏の意図とは異なり沖縄に迷惑をかけるものになりかねないことを、まず警告しておきたい。
さて、尖閣の領有権問題である。尖閣がもともと中国のものだったと発言する人は、日本人のなかにも存在する。学者のなかにもいる。だから、そのような言説を目にした村本氏が、「もともと中国から取ったんでしょ」と考えるに至った事情があることは理解する。
そんな言説の中でも代表的なのは、尖閣の存在についての認識では、日本より中国のほうがずっと古かったとする主張である。例えば、『順風相送(じゅんぷうそうそう)』という中国の航海案内書とされるものが存在し、中国の船が琉球(沖縄)との間を行き来する際、尖閣を目印にしていたことが分かる。これが書かれたのは16世紀とも15世紀とも言われている。
一方、当時の日本人の手によるものでは、18世紀後半に林子平があらわした『三国通覧図説』(1785年)がもっとも古いとされる。中国側文献よりずっとあとのことだ。
琉球の人びとが書いたものも含めると、『琉球国中山世鑑』や『指南広義』など、さらに古いものも出てくるようになる。しかし、それでも17世紀や18世紀初頭のものであり、中国に適わないことに変わりない。しかも、当時の琉球は、中国(明)との間で冊封関係にあり、これらを日本側の文献と言えるかでも議論の余地がある(とはいえ、村本氏は「沖縄を中国から取った」という言明を撤回しているので、冊封関係をもって琉球を中国領だったと認識しているわけではないだろうから、その議論にここでは深入りしない)。
こうして、尖閣「発見」の時期を見ると、どうしても中国側に軍配が上がるのだ。村本氏のような考え方が生まれるのには、それなりの背景がある。
しかし、である。もし、「発見」が領有権を決める基準であるなら、アメリカはいまでもスペインのものであろう。ところが、アメリカはその後、イギリスが領有することになり、現在ではアメリカ合衆国のものになっている。なぜそうなっているのかを考えてみれば、日本が尖閣を「中国から取った」ものでないことは、一目瞭然になるのである。(続)
2018年2月7日
ディープな連載中ですが、昨日から別の連載を開始しました。それは、あとの連載記事のウェブメディアへの公開が本日朝だと聞いたからなんですが、しかしまだアップされていないようなので、きのうの頭出しに止めて、本日は別記事です。
この映画(原題は「若きカール・マルクス」)、昨年2月にベルリン国際映画祭で公開され、その後、劇場公開されたもので、日本では4月28日に公開が予定されています(岩波ホール)。東京出張の昨日、この試写会が松竹映画本社の試写室であるということで、招待されていた池田香代子さんに誘われて観てきました。
一言で言えば、マルクス、エンゲルスをふつうの人間として描ける時代になったんだなという感想を持ちました。否定的な意味ではなく。だって、誰もがふつうの人間なんですから。
例えば、この2人の出会い、最初はよそよそしいもので、2回目に意気投合したって言われていますよね。映画でのその2回目は、理論的に意気投合するんですけれど、同時に無茶苦茶飲み明かして、マルクスは完全にダウン。翌朝、妻のイェニーはエンゲルスに対して、「夫は飲み過ぎると何日もお酒が残って仕事ができないんですから自重してください」とくってかかるんです。実際にそんな場面があったかどうか知りません。しかし、これまで理論面での意気投合ばかりに気を取られていましたが、まだ20代の2人のことですから、こんな場面がないとかえって不自然ですよね。
マルクスとイェニーのキスの場面、裸で抱き合う場面もしょっちゅう出てきます。まあ、あれだけ子どもを産んだんですから、そこがないのも不自然。どうせなら女中をはらませたことも描かなければならないけれど、映画は30歳までのマルクスだから、事実には忠実なのか。
その他、バクーニン、プルードン、ヴァイトリング、ルーゲ等々、キラ星のような人びとが登場します。それらに対してマルクスが批判をくわえ、決別していく様子も含めて。「お前のように批判ばかりでは仲間が増えないぞ」と言われながらね。ホントこの人、「頭はいいが友だちにはしたくない」筆頭だよねと思わせるところもリアル。
だけど、産業革命を通じて社会に大変動が生じたあの時代、苦しむ人びとをどう助けるのか、若者同士がハチャメチャと思わせるくらい遠慮会釈なく議論することが必要だった時代でもあると思うんです。「万国の労働者団結せよ」という『共産党宣言』のスローガンだって、いまでは労働組合があってその必要性を疑う人はあまりいないけど、あの時代、何の体験もなかった労働者がそれを自覚するのは至難の業だったでしょうから。
それにしても、昔なら、マルクスやエンゲルスを映画で取り上げる際には、各国の共産主義運動と無縁に論じることは難しかったと思います。どう扱っても、共産党に賛成したり、反対したりする勢力のプロパガンダと位置づけられたでしょう。
それが映画にできるようになった理由の一つには、ヨーロッパで共産党が消滅した事情があると思うのです。政治から自由に、あるいは歴史上の出来事として、マルクスを論じられる時代になったということです。だとすると、共産党が強力な日本でこの映画が受け入れられるには、もう一歩、踏み越えるべき壁があるかもしれません。でも、多くの若い人に観てもらって、マルクスを自由に論じてほしいと感じます。
池田さんには来週、別の試写会にも誘われました。「女は二度決断する」という評判の映画なんですけれど、またちょうど出張中なので、行こうかな。
2018年2月6日
名護市長選挙の結果は残念でしたね。せっかく保守と革新が辺野古移設反対で一致して、微妙なバランスで共闘する「オール沖縄」が発足したのに、どんどん昔の「反基地勢力」みたいになってきて、保守の支持を得られなくなっている現状が深刻に問われていると思います。「ウーマン村本」問題にもそれがあらわれていると思い、産経新聞デジタルiRONNAの依頼に応えて書いたものをアップします。明日の朝には全文がそちらのサイトに載るそうですが、ここでは連載にしますね。ディープな連載は17日の講演会向けなので、来週でも十分でしょうし。(以下、投稿)
私はもう寝ている時間帯だったが、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔氏が1月1日、「朝まで生テレビ」に出演して発言したことが議論になっている。憲法9条の解釈、非武装中立の考え方その他、議論は多岐に渡っている。
その発端になったのは、中国が攻めてきた場合、尖閣諸島について、「僕は、取られてもいいです。僕は明け渡します」と主張したことだとされる。村本氏はさらに、「人を殺して国を守ることってどうですか?」として、そういう状況に置かれた際、「じゃあ、(自分が)殺されます」と述べたという。
村本氏は典型的な非武装中立論者なのであろう。その中でも、非武装中立をあくまで将来の理想として掲げているだけでなく、現実の目の前の世界でも、攻められたときには「座して死を待つ」という徹底した立場だということだ。私はそういう立場をとるものではないが、理想に殉じようとする村本氏は立派だと思うし、是非、その志を実際にも貫いてほしいと期待もする。
ただ問題は、村本氏が沖縄の基地問題などをネタにする数少ない芸人の一人であり、現地での人気も高く、村本氏の考え方が沖縄の人びとを代弁しているように思われていることである。もちろん、沖縄の人びとに同じ考えの人がいること自体は否定しない。沖縄戦とりわけ日本軍が関与した集団自決なども体験したことによって、少なくない沖縄の人びとのなかに軍隊そのものを忌避する感情が生まれ、それが非武装中立という考え方につながっている面はある。
けれども、県民の選挙で選ばれた翁長県知事が自衛隊も日米安保も認めていること一つとっても明白なように、非武装中立の世論は沖縄でも少数である。翁長知事は、普天間基地の辺野古への移設には強く反対しているが、日本の安全保障についても真剣に考えているのである。沖縄は基地の重圧ばかり訴えて日本の安全には無責任だという本土の世論が、安倍内閣による辺野古移設強行を支える役割を果たしているときに、村本氏の言明をもってきて「沖縄の世論はやはり非武装中立」みたいな世論が本土で加速するなら、普天間基地を閉鎖するという沖縄の人びとの闘いに水を差すことになりかねない。
その意味で、村本氏には自重を促したいと思う。自分の個人的な見解に過ぎないものが沖縄の代弁だととられる誤解を生むような言動は慎んでほしい。(続)
2018年2月5日
さて、これは何でしょう? ディープな連載が続くと疲れる人もいるでしょうから、本日はちょっと休憩です。
この4人、いま焦点の憲法問題で特徴づけると、以下のようになりませんか。私が勝手に命名した人もいますけれど。
山尾志桜里=立憲的改憲論
伊藤真=護憲的護憲論
伊勢崎賢治=護憲的改憲論
松竹伸幸=改憲的護憲論
で、何かというと、この4人で公開討論会をしたいと思います。3月31日(土)午後、日比谷図書文化館の大ホールですので、スケジュール帳に書き留めておいてくださいね。
主催は未定。というか、弊社の出版企画の一部なんですけど、せっかく注目を集めそうな企画なので、主催者を募集します。朝日新聞社などメディアでもいいですし、九条の会などの団体でも構いません。ご希望される場合は、私宛にメールをください。10日間ほどお待ちして、どこもなければ弊社が主催します。ネットでの放映はすでにあるところと独占契約をしていますので、申込みされても無理です。
出版企画と書きましたが、本にタイトルをつけるとすると、『安倍加憲案への対抗軸を探る』でしょうか。ちょうど3月25日(日)が自民党大会で、安倍さんはここで加憲案を自民党として決めたいと思っているようなので、その週の土曜日のこの討論会って、それへの対抗軸を議論する場として最適かなと感じます。
加憲案にどう対抗するかをめぐって、いろんな立場、考え方があります。ピュアな護憲という立場もあれば、他の立場もある。問題は、そのいろんな立場をどう切磋琢磨していけるかが大事だと思うんです。
山尾さんに対して、「加憲案の露払い」みたいに言う人がいます。だけど、山尾さんがどうあろうと、自民党は加憲案を出してくるんですよ。そして、国会で発議してくるんです。山尾さんの考え方は、安倍さんの加憲案が専守防衛の立場からのものでないことを明らかにする上でも、大事な役割を果たすと私は思います。
いずれにせよ、加憲案に反対する勢力がモノトーンであってはならない。国民の憲法に対する考え方もいろいろあるわけですから、加憲案に反対するやり方もバラエティ豊かなものであってこそ、国民に届くのではないかと思います。
そこをめざし切磋琢磨するための公開討論です。まあ、主催者が弊社ではないところに決まれば、会の趣旨も変化するかもしれませんが、基本の趣旨はそういうことで。