2018年2月2日

 共産党の自衛隊違憲論は、旧綱領のもとでは何の問題もなかった。民主連合政府は自衛隊を違憲とみなし(連合相手の社会党もそうだったし)、次第に縮小して最後は解散するわけである。時間はかかっても解散するのだから違憲論は通用した。

 ただ、かつての共産党の防衛論では、自衛のための実力組織は必要とされていた。しかしそれは、民主連合政府の次の段階の革命の政府(民族民主統一戦線政府)において、九条を改正して設置することになっていた。

 この考え方のもとでは、自衛隊もなくなり、新たな実力組織もないという空白期間が生まれることになり、防衛論としては整合性を欠いていた。だから共産党は、その空白期間をできるだけ短くするため、民主連合政府の段階で憲法問題の議論を開始することを表明するなど、いろいろな努力をしていたわけである。

 けれども、憲法上の問題は生まれなかった。律儀に護憲だったのである。

  しかし、現綱領においては、そう簡単ではない。綱領はこう規定している。

 「安保条約廃棄後のアジア情勢の新しい展開を踏まえつつ、国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」

 ただでさえ日米安保廃棄の「条件ができない」(不破)上に、自衛隊の廃棄はさらにその先の課題なのである。安保よりもっと長期間、憲法九条に合致していないと綱領で規定していながら、自衛隊を保有し続けるのである。

 平和運動、市民運動が自衛隊は違憲だと叫ぶのは容易い。しかし、政権がそう叫ぶことは許されない。

 政府というのは憲法尊重義務を課されているのであって、自分の政策を憲法違反だと認めるなら、政府の存立そのものが許されないのである。憲法違反の事態(この場合は自衛隊の存在)があると政府が認識するなら、ただちに解消に向かっての措置を取らなければならないのだ。集団的自衛権問題での安倍内閣の行為は明白に憲法違反であるが、それなのになぜ退陣しないで済んでいるかというと、自分の行為は「合憲」だと言い張っているからに過ぎない。自分の行為を「違憲」だと言ってしまえば、その日の内に退陣である。

 最近まで共産党は、政権をとっても自衛隊は違憲だという立場を堅持すると表明していた。しかし、政権問題をリアルに考えた昨年末の総選挙において、はじめて「政府としての憲法解釈はただちに違憲とすることはできません。しばらくの間、合憲とする解釈が続くことになります(志位和夫委員長)と述べることになる。

 これは、政権問題に真剣になれば、当然のことなのである。突然の表明でもない。共産党が国民連合政府構想を打ち出した2015年の年末、ある企画で山下書記局長(当時)がお話をされたので、私は以上のような説明をしつつ、「当然、この内閣では自衛隊は合憲になりますよね」とお伺いしたら、「もちろんです」というお答えであった(翌日の「赤旗」に記事はでなかったけれども)。

 誰が考えても、普通に考えれば、それ以外の選択肢はない。とりわけ連合政府なのだから、共産党の綱領に「自衛隊は段階的に解消」と書いてあっても、他党が「自衛のために自衛隊を強化」という場合もあって、「とにかく解消には向かっているから合憲」とも言えない可能性が高いわけだ。

 なお現在のところ、内閣としては合憲という立場をとるが、政党としては違憲ということになっている。でも例えば、志位さんが防衛大臣になったとして、自衛官を前にしては「合憲」といい、共産党の会議では「違憲」というのが通用するのかという大事な問題はのこっているのだが、それは共産党自身が結論を出すことであろう。

 ということで、ようやく次回から、主題である安保論、安全保障論に移っていく。まあでも、あまりにディープな議論が続くのは読者にとって苦痛だろうから、来週は別テーマの連載にするかもしれない。(続)
 

2018年2月1日

 日米安保廃棄を課題としない「暫定政権」「よりまし政権」をどう位置づけるのか。これは悩ましい問題である。

 まずそもそもこの種の政権を、「暫定政権」「よりまし政権」という名前で、今後も呼ぶのかという問題がある。安保を廃棄しない限り日本の平和はちっとも訪れないとする共産党の綱領の上では、そういう位置づけにならざるを得ないだろうが、何よりも相手のあることだ。政権をともにするために協議をしている相手に向かって、「これは暫定的なものなんですよ」「よりましな政権なんですよ、平和が訪れるのは次の政権です」なんて、口が裂けても言えないだろう。これまでは、暫定政権構想といっても理論的な想定だったのでそれでも良かったのだが、この間のように実際に政策協議が現実になってきてみて、新しく浮上した問題だと言える。 

 もっと大事なことは、「暫定」との位置づけながら、安保条約を破棄できる条件が生まれるまで続くことを想定しているわけだから、期間が相当長いことである。しかもその期間、安保条約に対する態度が180度異なる政党が、連合政府を組んでいるということである。その矛盾は半端なものではない。

 不破さんは、この論考の時点で、経済政策においても野党は真逆だということを自覚している。「いまどの野党をとってみても、それぞれの党が持っている政策体系はずいぶんちがった内容をもっています」「たとえば、日本共産党と自由党は、それぞれがもっている将来の税制像はたいへんちがっています」等々。

 とはいえ当時、民主党、自由党との間で国会での共闘は成立していた。また、直前の参議院選挙では、将来の税制像は異なるのに、3党とも当面の景気対策として消費税の3%への減税を掲げるなどの共通点も生まれた。

 そこで、「消費税の3%への減税を要求する政策共闘をおこないうる条件は、理論的にも、実際的にも、現にある」と考えたわけである。そして、その政策共闘を積み重ねていけば、その上に政権共闘があるのではないかというのが、不破さんの提起の眼目であった。以下、引用。

 「政策共闘を積み重ねることは、この共闘の論理を政党間で血肉にしてゆくことにも役立つでしょう。また、一致点での共同という問題に、たがいに誠実に対応しあう経験を通じて、政党間の信頼関係をきずくことにもつうじるでしょう。また、この党とのあいだではこういう種類の政策問題ではここまで共闘が可能だといった判断をおたがいにもって、いわば政策面での政治地図をたがいに見定めることにも役立つでしょう。
 こういう経験をへてこそ、政権共闘が問題になる段階での議論の足場もしっかり定まってくると思います。」

 政策的に真逆の立場が政策で共闘し、政権で共闘する。当時のある会議で、不破さんがこれを「東と西から自民党を攻めるみたいなもの」と表現されたことがあったが、「なるほどな」と思ったことを記憶している。

 しかし、「言うは易し」である。政策がただ異なるだけでなく、真逆なのである。税制像もそうだが、安全保障になると本当に正反対なのである。政権共闘はもちろん、政策共闘だって、そう簡単なはずがない。

 実際、不破さんがこれを提起した98年以降、政権協議はもちろんのこと、その種の政策協議、政策共闘さえずっと行われてこなかった。ようやく前回の参議院選挙の前、ほんの少しだけ行われただけである。不破さんが提起した「積み重ね」とか「信頼関係」と言えるほどのものは存在しないのである。

 その程度の到達で、政権共闘を前提とした政策協議に他の野党が前向きになることが可能だと夢想できる人は、そうはいないのではないだろうか。しかも、政策が真逆だといっても、真逆なのは共産党だけで他の野党はほとんど一致しているわけで、問われているのは共産党がどこをどう譲って一致点を広げるのかということである。

 もちろん、共産党が何もしていないわけではない。自衛隊の憲法上の位置づけをどう考えるかという問題での総選挙の際の提起は、大事なことであった。ということで、明日はその問題を。(続)

2018年1月31日

 不破さんの論考のなかには、共産党がめざす2つの政府(民主連合政府と、それ以外の連合政府)の関係が整理されている。以下である。

 「わが党は、民主連合政府という目標を一貫して追求しているが、この政権ができる条件が成熟するまで政権問題にはふれないで、ただ待っているという消極的な立場ではない、その局面の状況に応じて、選挙管理内閣とか暫定政権――これは「よりまし政府」ともよんできましたが――など、政局を民主的に打開する政権構想をも積極的に追求する」

 これは私の体験とも合致する。私がまだ学生だった76年4月、ロッキード事件が世の中を揺るがし、自民党がそれを小選挙区制導入で乗り切ろうとした局面で、総選挙の最中だったと記憶するが、共産党は、小選挙区制粉砕、ロッキード疑獄の徹底究明、当面の国民生活擁護という3つの緊急課題で「よりまし政権」を打ち出した。

 それだけではない。89年参院選の時にも、共産党は、消費税廃止、企業献金禁止、コメの自由化阻止の3つの緊急課題で暫定連合政府の樹立を提唱した。新安保法制(戦争法)成立直後から、それを廃止するための国民連合政府を打ち出す基盤は、何十年もの実践のなかで生み出されていたわけである。

 しかし、不破さんがこの論考を出した98年と現在とでは、かなり事情が異なっている。いや、当時から事情が変化する萌芽は見えていて、不破さんはそこを先駆的に提起しようとしているのだが、事態が予想を超えて進んでしまったように思える。その変化の中心は、安保条約と日本の安全保障をめぐる変化である。

 76年4月の提起の時点では、日米安保廃棄を掲げる政党として巨大な社会党が存在しており、民主連合政府で安保廃棄を掲げるのは、いわば常識のようなものであった。だから、宮本さんが安保廃棄を一致点にしない政権構想を打ち出した時、かなり異論があったようだ。そのせいか宮本さんは、この政権構想の発表時、民主連合政府構想と、それを一致点にしない緊急課題での政府構想と、その「二本立て」の政府構想なのだという説明をしていたように記憶する。

 89年の時も、社会党はまだ、日米安保廃棄を掲げていた。したがって、「二本立て」というような言葉は使われなかったが、考え方は同じようなものだったと思われる。

 そして、だからこそ、緊急課題での政権は「暫定政権」「よりまし政権」だ、という言い方が通用していたのである。緊急課題を実現したら解散・総選挙を実施し、その次には、安保廃棄を含む課題を実現する民主連合政府に向かうのだというのが、共産党の構想の前提にあった考え方なのである。

 けれども、不破さんの論考が出された98年の段階というのは、社会党が村山内閣を誕生させ、日米安保を容認していた。だから、不破さんの論考にも、共産党以外に安保廃棄を主張する政党が存在しないこと、しがたって「民主連合政府をいまの問題として日程にのぼせうる条件はできない」ことが率直に述べられている。そして、共産党を強くすることによって、日米安保の廃棄を主張する政党が他にも誕生するような変化を生み出すのだとされているのである。

 それから約20年が経過した。民主連合政府に接近する条件はどうなったか。20年前にも「条件はできない」と明言されていたのだが、その条件はさらに遠のいているというのが、率直な現状であろう。

 これはつまり、当面の政府を「暫定的なもの」などとは言えなくなっているということである。そういうなかで国民連合政府が提起されているわけで、だから新しく考えるべきことが山積しているわけなのだ。(続)

2018年1月30日

 さて、共産党の政権論を包括的に論じたものとしては、不破哲三「日本共産党の政権論について」(『しんぶん赤旗』1998年8月25日)以上のものはあるまい。部外者が論じたものは多いが、当事者のものに限っては、ということである。

 これは、部外者からは、「綱領路線の否定」みたいに言われることがあるが、そんなことはない。綱領の内容と、それまでの綱領の実践をふまえたもので、少なくとも98年の時点のものとしては、たいへん説得力のあるものとなっている。

 共産党がめざす政権の基本は、昔もいまも「民主連合政府」である。なおこれは、旧綱領であれ現綱領であれ、掲げる基本政策としては「日米安保条約廃棄」など変わりがないように見えるが、共産党言葉で言う「権力の性格付け」では、かなり異なっている。旧綱領では、民主連合政府は社会党中心だったからでもあるだろうが、それを「革命の政府」とは呼ばなかった。現綱領では、民主連合政府は「革命の政府」である(ちなみに、本稿とは無関係なので論じないが、革命が行われるのはこの段階だけで、社会主義になるのを「革命」とは呼ばないのが現綱領の立場である。)。

 しかし、いずれにせよ、掲げる基本政策はあまり変わらないので、本稿の論述には影響しない。日米安保廃棄を日本の独立と平和を達成するための基本的な課題と位置づけるのが、共産党の一貫した立場だということである。将来の理想としてそれを掲げるのではなく、あくまで少しでも日本を平和にしようと思えば、絶対に欠かせないという位置づけである。いわば日米安保は絶対悪であって、ここを曖昧にして政権をめざさないのが基本であった。だから以前、他党から「憲法九条擁護の一致点で国政選挙で候補者を」との要請があっても、「基本政策での一致がないとダメ」として断り続けてきたわけである。

 とはいえ、安保条約廃棄以外の政権は考えないということになると、現状においては、ずっと将来にわたって政権入りは現実のこととして考えないというのと、ほぼ同義語になってしまう。かつて社会党が存在していた時だって、国会で安保廃棄は多数を占めたことはないのであって、それだけでは政権入りは非現実的なものであった。

 しかし、共産党の綱領は、もともとそれでよしとするものではなかった。また、共産党の実践もそうではなかった。

 冒頭に紹介した不破さんの論考は、そこを解き明かしたものである。しかし、現在とは政治事情が異なる20年も前のことであり、かつ20年間の実践もあって、新たな課題も浮上していると感じる。そこで、次回以降、この論考と現在、という問題を論じていく。(続)

2018年1月29日

 まだ煮詰め切れていないことも多いけれど、煮詰め終わってから書くとなると、いつまでも開始できないので、とにかく連載開始。書きながら考えていきたい。

 まず、なぜこの問題を論じるかということ。それは、安倍さんの加憲案にどう対抗するかが政治の焦点になっていくなかで、理論的に多くのものを得られると感じるからだ。共産党の政権論にも、憲法・防衛論にも、何十年もの実践のなかで積み重ねられてきた「宝」といえば褒めすぎになるが、格闘のあとがいっぱい詰まっていて、そのプラスの要素もマイナスの要素もトータルに知ることができれば、誰にとっても意味があると思う。

 なお、後者の「憲法・防衛論」については、私の近著『改憲的護憲論』で全面的に論じていて、それ以上のものを持っているわけではない。この連載で論じるのは、前者の「政権論」とかかわって考えるとこういうことが言える、というような性格のものだと了解してほしい。

 なぜ政権論と憲法・防衛論を一体にして論じるのか。それは、いま焦点の安倍改憲に対抗する上で、護憲派が政権を取りに行くくらいの覚悟が求められると思うからだ。

 安倍加憲に対する世論の反応はさまざまだが、少なくとも反対が圧倒的に多いということはない。よくて賛否が半々というところだろう。だから、国民投票になったとして、現状のような構図のままであっても、加憲案がつぶれる可能性はあると思われる。

 しかし、現状のままでは、護憲派は国会では小さい勢力のままである。それは、加憲案がつぶれても、日本の安全保障政策も現状のままだということを意味する。護憲派は、国民からは、自分のいのちをあずけられる勢力だとは思われていないのだ。その現状が続く限り、改憲問題はいつまで経っても焦点であり続けるわけで、護憲派の気が休まるいとまはない。

 しかも、そういう現状のもとで、憲法九条という、国民のいのちに直接にかかわる条項が議論されている。それでは、安全保障をめぐるちょっとした不測の事態が生じただけで、国民世論は改憲の方角にぐっと傾きかねないと感じる。

 だからこそ、政権論と憲法・防衛論を一体のものとして捉える必要があると思うのである。ということで、本日は前置きで終わり。(続)