2017年1月19日
先日、ある新聞記者に聞かれたのは、「なぜ共産党が突然こんなに他党との協力に積極的になったのか。しかも政権協力の分野で」ということだった。その答はいろいろあり得るが、その一つは、実際がどうあれ、方針としては他党との協力を追求するというものを持っていたことがあげられよう。
解説は不要だろうが、共産党が当面めざしているのは社会主義ではなく、「資本主義の枠内で可能な民主的改革」(綱領、以下同じ)である。その具体的な内容としては、日米安保条約の廃棄などいくつかの課題が掲げられている。この改革は、「民主的党派、各分野の諸団体、民主的な人びととの共同と団結」で進められ、「世界観や歴史観、宗教的信条の違いをこえて、推進されなければならない」というものだから、ここでも他党派と協力しあうというのが基本的な考え方である。
ただ、日米安保条約の廃棄で協力しあえる政党は皆無であって、いくら協力しあうのだと強調しても現実味を持って受けとめる人はいない。しかし共産党の場合、部分的に一致するのであれば、その一致点で協力しあう政府をつくるという方針を持っている。
「統一戦線の発展の過程では、民主的改革の内容の主要点のすべてではないが、いくつかの目標では一致し、その一致点にもとづく統一戦線の条件が生まれるという場合も起こりうる。党は、その場合でも、その共同が国民の利益にこたえ、現在の反動支配を打破してゆくのに役立つかぎり、さしあたって一致できる目標の範囲で統一戦線を形成し、統一戦線の政府をつくるために力をつくす。」
これは、以前、「よりまし政権」と呼ばれていたものだ。基本的にめざすのは安保廃棄も含む民主連合政府なのだが、そこまでいかなくても、いまの政権「よりまし」ならば政権協力しようということである。これまでも、消費税が導入されたときにその廃止をめざすなど限定的な課題での政権協力が打ち出されたことがある。
問題は、いま提唱されている野党連合政権の性格付けである。これは、「よりまし政権」なのかということだ。
何が問題かというと、一つは、他の野党との関係である。高い理想を持つ共産党から見たら違うのかもしれないが、どの野党も自民党政権に替わる政権を志をもってつくろうとしている。それで政治を大きく変えようとしている。そこを「よりまし」政権という位置づけだと言われると、引いてしまうこともあるだろう。
もう一つは、これがほんとうに「よりまし政権」なのかということだ。それは明日以降に。(続)
2017年1月18日
本日、共産党の大会が終了したが、マスコミでも大きく取り上げられた大会だった。まあ、次の総選挙がどんな枠組みで闘われるのかは読者・視聴者の関心事だから、当然のことだと感じる。
おそらく、多くの人の関心は、いろいろなレベルでの野党の政党間協力はあるだろうが、政権協力まで行き着くんだろうかということにあると思われる。だから、各種の協力と政権協力がどんな関係にあるのかが理論的に整理されないと、この問題を説得的に報道することは難しかろう。ということで、自分自身も理論的に整理しているわけではないのだが、それにつながる問題をいくつか論じておきたい。
政権協力でなければ、政党間にはいろんな協力関係があり得る。例えば90年代、非自民の細川政権が誕生し、自民党が下野した時代があったが、当時、細川政権を退陣に追い込むため、自民党と共産党が協力しあったこともあった。自民党の加藤紘一幹事長と共産党の志位和夫書記局長の関係も親密だった。魑魅魍魎の政治の世界においては、利益になることなら何でもありだと思わせた。
しかし、そういう協力関係があっても、自共連立政権などは問題にもならなかった。各種の協力関係をつくることと、それが政権協力にまでなるということは、超えられないようなハードルが存在するのである。
ところが、今回の共産党大会では、協力関係があれば政権協力までやるのが「基本」なのだと、当然のように主張されている。決議案段階ものだが、こうなっていた。
「「綱領、理念、政策の違うものとは政権をともにできない」という議論があるが、綱領や将来像が違っても、国民の切実な願いにこたえて、当面の一致点で協力することが、政党間の共闘の当たり前の姿であり、それは選挙協力だけでなく、政権協力でも基本にすえるべきことである。」
自民党とも「綱領、理念、政策」は違うのである。そして、自民党と共産党の連立政権はあり得ないことだった。
一方、共産党と民進党も「綱領、理念、政策」は違うのである。しかし、政権協力が当然であり、基本であると言われている。
これって、どう考えればいいんだろうか。(続)
2017年1月17日
『対米従属の謎』を読んだということで、昨日、ある週刊誌の日米安保問題の連載の一環として取材を受けました。取材のあと、その週刊誌を買ったら、今週号は石破さんが登場しているんです。
来週号は鳩山さんらしく、私はその次か次の次かということで、「私でいいんでしょうか」と思っちゃいます。取材相手としての「異色の経歴」についても突っ込んで聞かれました。
確かに異色ですよね。取材を受けながら考えたんですが、過去、対米従属とか日米安保問題とか、ずっと関心を持ちつづけてきました。まあ、仕事ですから当然なんですが、「二つの敵」の一つだったわけですから、仕事でなくても考えざるを得ない対象だったわけです。
ただ、いろいろ思考を深めても、結論は単純で、「日米安保を廃棄する」という以外のものはなかった。日米安保のもとでは自立もできないし、平和にもならないしということで、すべての思考は「安保廃棄」という結論を導くためのものだったと思います。
その最後の結論部分だけはいまも変わらないわけですが、何と言ったらいいんでしょうか、思考過程に柔軟性が必要だというのが、この間の私の変化と言えるのかもしれません。結論ありきということでは、おそらく、日米安保の枠内で思考している人たちとの接点がなくなってしまうということが分かって、そこに至る過程をどう打ち出すのかが大事だと考えるようになりました。
NATO諸国だって、アメリカとの軍事同盟の枠内においても、ある自立性があるわけです。だから、安保のもとでは自立はないと言ってしまったら、NATOの現実を知る人にとっては違和感が生まれます。だから、日米安保をNATO並みのものにすることだって、思考過程では経験しないと、その次の段階に行けないのだと思います。
そこまで行くと、なぜNATO諸国は可能で日本はダメなのかという思考が生まれてきて、そもそもNATOと日米安保って、似ているようだけと違うものじゃないのかという段階に行き着くことができると思うんです。
ちょっと抽象的な話ですみません。東京の大事な会議の前で焦っています。是非、本を読んでくださいね。今朝、東京世田谷の成城9条の会から15冊も注文がありました。ありがとうございます。
2017年1月16日
東京に出てきているのは、いくつか大事な仕事があるため。その1つとして、昨日、もう15年も前になくなった経済企画庁の元事務次官の方とお会いした。上記がお願いしている本のタイトル案だ。
この間、国境の壁をなくして、企業も人も自由に行き来できるようにするのが、日本と世界の経済のあり方の基本だと思われてきた。そういう時代には、国家は企業活動に介入しないのが基本であって、経済企画庁のような省庁は不要とされ、廃止にいたったわけである。
しかし、トランプさんが当選したこと自体、あるいはそれに先だってイギリスがEU離脱を決めたのだって、国境の壁をなくすという判断の是非を問うものだ。日本でもこの問題がもっと議論されてしかるべきだろう。
ということで、この本をお願いしていて、昨日、現段階のものを見せていただいた。いやあ、すごく期待が高まる内容だった。
経済企画庁の初期に大きな役割を果たしたのは大来佐武郎(1914年〜1993年)である。経企庁の前身である経済安定本部の頃から中心にいた。その大来は、戦前、大東亜省にいたのだが、そこへ1945年6月、中国北京大使館の電力担当技師の後藤誉之助が東京への出張の仕事を終え、北京への帰任の挨拶に来たそうだ。その際、大来は、この戦争は負けることを確信していたらしく、「この戦争はもう長くないから東京に残れ。戦後の日本経済を今から系統的に研究しておくことが必要だ。僕は、今密かに準備を進めているから、それを手伝え」と後藤を説得したそうである。
まだ沖縄戦の最中である。さあ本土決戦だと盛り上がっていた時期に、そうやって冷静に判断している人がいたんだね。経済企画庁ができたのは、GHQからの指示が大きな役割を果たしたのであるが、日本側にもそういう動きがあって、それが結実したというわけだ。
その後も、日本経済のあり方が問われるいろんな問題があった。そもそも戦後直後の日本経済の復活の道筋をどう考えるかとか、所得倍増計画にあらわれた国民の暮らしをどう向上させるかとか、公害問題で浮上した日本経済とその歪みをどう調整するかとか、いわゆる消費者問題の登場とか、グローバリズムと国家の経済の関係とか、その他その他。
この本、そういう問題でのいろいろな議論と、そこでの政策判断の是非を、いろいろな人を登場させながら、とっても生き生きと描いている。そして、新自由主義とグローバリズムの流れのなかで、そういう役割を果たした経企庁を廃止するという判断がどうだったのかを問いかけ、現代にふさわしいその復活を提唱するものだ。
きっと評判になると思うけど、どうかなあ。夏頃に出版予定。
2017年1月13日
ようやく印刷・製本まで完了です。販売開始は、東京の書店は明日14日、関西は明後日15日、その他とアマゾン(予約販売中)は16日からと思われます。
昨日はトランプさんによる久々の記者会見もあり、世界中がその一挙手一投足を注目している感じですよね。世界が対テロ戦争と名づけられる枠組みに放り投げられたのも、ブッシュさんとそれを取り巻くネオコンの個性が大きく影響していたわけで、この個性だらけのトランプさんをどう迎え撃つのか、本気の勝負が開始されるのだと思います。
ただ、ブッシュさんのときは、9.11それ自体の重さというか、アメリカの被った被害の大きさという問題もあったわけです。しかし、トランプさんは、ただアメリカの利益第一というだけのことなので、同情したりひれ伏す必要はありません。しかも国益を追求するのは他の国にとっても大事なことなので、各国の国民がどう自分の哲学を提示して、真剣な議論をできるかが問われると思います。
この本、メディア関係には見本を送っていたのですが、ある通信社からはテーマと関連する書評執筆の依頼があったり、ある新聞記者からは週刊誌の連載のための取材依頼があったりと、発売前から注目されているようです。ありがたいことです。まあ、毎日トランプさんの話題で持ちきりですから、当然でしょうか。
ということで、1月26日に開かれる講演会、ちゃんと成功させなければという自覚が強まってきました。「トランプ大統領と日本会議にどう立ち向かうか」。京都社会福祉会館で18時30分開会です。参加ご希望の方は、私宛にメールをください(フェイスブックのメッセージでもいいです)。
いまから東京に向かいます。仕事がいっぱいあります。