つながる考え方、通じる言葉

2016年12月28日

(会社のメルマガへの投稿です。今年はこれで終わり。来年1月5日から再開です)

 新しい年、2017年が間近です。いかがお過ごしでしょうか。

 2016年は、人々のつながりということ、そのなかでの言葉のありようということを、例年にも増して深く考えさせてくれる年でした。一昨年の新安保法制に反対する闘いを通じて、意見の異なる人々の間で共闘が進み、それが昨年、選挙というかたちでも表面にあらわれることになったので、出版する上でも、そこを避けて通れなかったからです。

 思い起こすと、1979年に社会党と公明党が「共産党排除」を決め、それに共産党の側も対応したことをきっかけに、分断が政治の隅々にまで広がりました。労働運動、市民運動もその影響を免れることはできませんでしたし、「野党は分断」ということが、政治や運動の分野だけでなく、社会全体を貫く通常の現象になったかのようでした。

 79年から30年以上そうだったのです。十年一昔という言葉がありますが、この移り変わりの激しい社会のなかでは、10年前のことはもう昔に属します。ましてや30年以上です。運動の中心を担った人々が引退し、新しい人々が登場したとして、その新しい人々は「共闘」を体験したこともなければ、もしかしたら考えたこともないのです。こうして「分断」が日常の作法になっていきました。

 そういう状況下で共闘が進んだわけですから、画期的ではあります。共闘への熱意は、誰もが本気で持っていると思います。ただ、本当につながる考え方をしているのか、その言葉は通用しているのかと問われると、何十年もの間の分断を克服するには、まだまだだと感じます。

 自分のことで言うと、最近、ある元自衛官の方と心に隙間が生まれることがありました。その方にある会合で「報告」をお願いしたんですが、その言葉をめぐってのことです。私にとっての「報告」とは、価値概念を含まないものですし、たとえ含んでいたとしても、報告する人が少し偉いというか、会議などで参加者に対して少し高みに立って考えを述べるというニュアンスです。でも、自衛隊のなかでの「報告」は、下のものが上に対して欠かしてはならない義務みたいな使われ方をされるらしいですね。私は上に立っているつもりは皆無なんですが、ちゃんと伝わらなくて、しばらく鬱々とした日々を過ごしました。いまは明るい関係を築いていますけれど。

 これは一例で、しかも個人的なものです。でも、同じようなことは、いたるところに存在するのではないでしょうか。たとえば、連合が野党共闘に反対しているという話があり、克服しなければならないことだとは思います。しかし、民進党に対して、「野党共闘をとるか連合をとるか」と迫っても、前向きなものは生まれないでしょう。労働運動は30年以上の分断路線の象徴のようなもので、体験した心の傷というのは、双方に根強く存在しています。それをどう克服するのかの努力こそ求められるでしょう。

 この間、野党共闘が進んだ一因としてあげられるのは、連合のなかの一部の人たちが、過去の労働運動、平和運動の分裂の責任に対する考え方までは変えないけれども、そこを脇において一致点で努力してくれたことです。そこまでの人間関係をつくる努力が双方にあったのです。それなのに連合にすべての責任をなすりつけるような考え方、ものの言い方では、この間の努力を無に帰することになるでしょう。

 だいぶまえ、辻井喬さんにお願いして『心をつなぐ左翼の言葉』という本をつくったことがありすが、その後、京都にお招きし、講演会を開催しました。講演のあとの質疑応答で、ある男の方が、「妻の父親に対して日本の戦争は侵略だと何回説得しても認めないがどんな言葉が必要だろうか」、と問いかけました。その時、辻井さんが、けんか腰で説得するのではなく、お酒でも酌み交わして心を通じ合わせるのが先決ではないかと答えられました。そうなんです。言葉が通じ合うためには、相手の言葉に耳を傾けようとする人間同士の関係をつくることが不可欠だと感じます。

 この過程を通じてこそ、共闘が本物になっていくでしょう。すべての人が、自分の周りで来年、そこに挑戦していくのでしょうけれど、かもがわ出版は、やはり出版社にふさわしい手段で、そこに挑んでいきたいと思います。来年も引き続きよろしくお願いします。

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