2015年11月12日
ドイツは、日本と同様、90年代になって海外派兵がされるようになりました。最初の本格的なものは、これも日本と同様、カンボジアへの衛生部隊の派遣だったようです。
ただ、似ているのはそれだけで、本質的にはかなり異なったものです。ドイツの場合、冷戦が終わったこと、民族紛争などで兵士を派遣するようになったことを、軍の任務のありようが変わったと捉えました。
ドイツはまず、軍の編成そのものも変えました。対ソ連戦を想定した49万の兵士は25万へ、5000両の戦車は10分の1へとなりましたが、それだけではありません。陸海空の三軍に加え、国外活動の統合指揮にあたる「戦力基盤軍」、その救護活動にあたる「救援業務軍」を設置し、五軍体制になったそうです。三軍の内部についても、いつでも部隊を急派できるよう、緊急度に応じて「介入戦力」や「安定化戦力」などを指定し、待機させるようにしました。
さらに大事なことは、新しい任務を果たすうえでは、兵士のありようも変えないとダメだと捉えたことです。海外に派遣される兵士の研修を担当する「内面指導センター」というのがあるそうですが、そこの教官の以下のような発言が本で紹介されています。
「軍隊が国家と国家が対決する伝統的な戦争に備えた冷戦以前であれば、戦場における敵は明確でした。兵士は指揮官が「撃て」と言えば撃ち、「退却せよ」と言えば退却するというように、下された命令に従うだけで良かったのです。ですが、冷戦が崩壊した後、戦争の形はすっかり変わりました。もはや国家の正規軍同士がぶつかり合う戦いは影を潜め、代わって民族紛争や武装ゲリラやテロリストなどによる攻撃が主流になってきたのです。もはや戦場では、誰が敵なのか、それを見分けることは極めて困難となっています」
上官の命令で撃つという従来の手法が通用しない。つまり、上官の命令はあるわけですが、実際には兵士が自分で判断しなければならない局面が生まれているということです。内面指導センターでは、海外に派遣される兵士は、1週間の研修を受けるそうです。そこでは、派遣されることの政治的正当性とか、派遣先国での行動および武器使用に関する法的根拠とか、武装ゲリラに拉致されたときの対処が説明されるそうですが、まず冒頭では、海外で死者が出ていることに言及しつつ、「遺書を書く」ことを勧めるそうです。危険な任務だということを隠さないわけですが、同時に、この教官によると次のような狙いもあるそうです。
「自分の死を思うことで、自分が今やっていること、やろうとしていることに対して、「なぜ」という疑問が湧いてくる。兵士で言えば、自分に対して下された命令、任務になぜ従うべきなのか、あるいはそうでないのか。このことを、深く、真剣に問えるようになるのです」
命令に従うべきかどうかの判断。それについて、次のような記述があり、考えさせられました。
「講義室のスクリーンにふたつの円が映し出された。そのひとつには『任務』、もうひとつには「良心」と書かれている。教官が解説を始めた。
『軍が君たちに命じる任務、そして、君たちが心の内に抱く良心。このふたつが重ならない時、君たちは命令に従う必要はない』(続)
2015年11月11日
昨日は分刻みでやることがあって、まったく書けませんでした。なんだか、自分の人生で、いちばん忙しい時代を迎えているようです。
さて、自衛官が戦闘任務を帯びて戦場に行く時代になりました。その人権をどう守るかが問われています。逆に言えば、その覚悟とシステムをつくることなしに、そういう任務を与えてはいけないということでもあります。
ということで、「自衛隊を活かす会」は、軍法会議のある国、ない国の経験から学ぼうとしていますが、とりあえずそれがないドイツではどうなっているのかを、ドイツ連邦軍の方をお呼びして研究することを決めました。ただ、日本と異なる考え方、制度を持っている国のことをその場で聞いても、使われる言葉の持つ概念が違うわけですから、理解するのが困難でしょう。
そこで、少しでも理解に近づくため、事前研究会をすることにしました。東京新聞・中日新聞の記者で、ドイツ特派員経験のある三浦耕喜さんという方がいて、ドイツの取り組みを描いた『兵士を守る──自衛隊にオンブズマンを』という本を書いておられるのです。その話をお伺いします。申し訳ありませんが、非公開ですけど。
日本では、海外に派遣された自衛官の自殺のことが問題になっていますよね。ところでドイツでは、一般人の自殺自体が日本より低いのですが(自殺を諫めるキリスト教の影響があると言う人もいます)、その一般人と比べても兵士の自殺は少ないそうです。
日本における自衛官の自殺の問題は以前から問題になっていて、防衛庁が2003年から、「人事関係施策等検討会議」という名前で、自殺を含む不祥事防止が議論されてきたそうです。その4回目の会議で、ある出席者が、こう発言したそうです(防衛省のホームページに公開のもの)。
「自殺の原因を究明することも大事ですが、精強な自衛隊をつくるためには、質の確保が重要であり、自殺は自然淘汰として対処する発想も必要と思われます」
すごいですねえ。まさか、こんな発言を基礎にして自殺問題での対処方針を決めていると思いたくはありませんが、方針を決める一員にそういう人もいるということです。
一方のドイツ。明日から紹介していきますが、兵士を人権を守るのだという観点のもとに、いろいろな制度があるそうです。この本に出てくる人が次のように言っていることが、ドイツの制度を象徴しているように思えました。
「結局、ひとりの兵士を守ることが、軍全体を誤らせないようにすることにつながるのです」(続)
2015年11月9日
いやあ、すごい勢いでした。「自衛隊を活かす会」が12月22日(火)の午後6時から行う企画の募集のことです。募集を開始したのが11月4日(水)でしたが、7日(土)の夜には締め切りました(忘年会は1日で締め切り)。
国会閉会中のため、いつも使っている議員会館は夜の時間帯の制約があり(7時終了)、会場が狭くなった影響もあります。それにしても、4日間で100名もの方が申し込んで来られるのだから、すごいです。キャンセルが出た場合のみ、キャンセル待ちの方(すでに10名近く)に順次ご連絡することにしていますので、どうしても参加したいとご希望の方は、お早めに申込みをしてくださいね。
新安保法制が国会で採決され、世論がどう動くかが焦点となっています。少しずつ反対世論が薄れていくのかどうなのか。でも、少なくとも今回の申込数を見る限り、かつてないほどのスピードでした。新しい参加者も多く、自衛隊を活かす会のことが以前よりも認識され、期待が高まっているように思えます。
というか、法律が成立し、自衛隊の派遣を現実のものとして捉える気持ちが国民のなかに生まれたので、危険をリアルなものとして捉えるようになってきたかもしれません。中国の行動にリアルな危険はないと言い切る人もいますが、それが説得力をもつなら、護憲勢力はこんなに苦労はしませんよね。自衛隊を派遣しないとすれば、どうやったら中国の行動を抑えることができるのか、何らかの対案を示さなければならないでしょう。外交でやれるというなら、その根拠まで示すことが不可欠です。
そういえば、ドイツから軍事裁判制度に詳しい方をお呼びする件も、進展がありました。来年1月30日の南スーダン問題での札幌企画に続き、何らかの企画をやりたいと考えています。すごくお金のかかることなので、参加費もそれなりのものになるでしょうけれど、日本でははじめて語られることを聞けるんですから、かなり貴重な体験になると思いますよ。お楽しみに。
2015年11月6日
自衛隊を活かす会が、来年、「戦場における自衛官の法的地位」の問題で研究会を行うことは、すでにお知らせしています。そのなかの一つとして軍法会議のないドイツの制度と運用を研究するため、ドイツから専門家を呼ぼうとしていることもね。
でも、この問題、ほとんど日本で関心のある方がおられず、先が見えなかったんです。そこに協力してくださると表れたのが、京都女子大のある先生でした。その先生のおかげで、ドイツ連邦軍中尉だった方で、適任の方がいることがわかって、まだ連絡はとれていないのですが、少し先が見えてきました。ありがとうございます。
それで昨日、京都女子大に行って、打合せをしてきました。そうしたら、ドイツの軍事裁判のことではないけれど、ドイツ兵の法的地位について取材し、本を出している新聞記者がいると教えられました。
予想ですが、ドイツの方に来ていただいて話を伺っても、あまりに日本と制度や概念が違って、理解に達するのに困難があるように思います。ある程度、共通の理解があって、ようやく言葉が通じるというような感じかな。
ということで、その新聞記者の方をお呼びし、事前に、小さな規模の研究会をしようということになっています。仕事が早いのだけが私の取り柄なもので。
その打ち合わせを終えたあと、せっかく京都女子大まで来ているのなら、ここに足を伸ばしたいというところがあったんです。豊国廟といって、豊臣秀吉のお墓ですね。以前、グーグルマップで見て、京女に仕事で行ったときは必ず訪ねると決めていたんです。
地図で見ても階段がたくさんありそうなので、一応、覚悟はしていました。ところがいつまでも階段が続いて、ようやく350段ほどで着いたと思ったら、そこからまた階段が。結局、520段以上ありました。あの金比羅山が1368段といいますが、それは最初からそれだけの規模の覚悟があって登るわけですから、ちょっと寄ってみようという程度の覚悟だった私には、それなりにきつかったです。久しぶりに膝が悲鳴をあげていました。
まあ、何としてもドイツにたどり着かねばならないわけですから、この程度で音をあげるわけにはいきません。でも、少し近づいてきたかなあ。
2015年11月5日
びっくりでしょ。「光栄です」といって了解しました。
「左翼ガンバレ!」みたいな特集をするらしいんです。いやあ、どうしたんでしょうね、「SAPIO」。
編集部の意図がどんなところにあるか正確に掴みきれた自信はありませんが、久しぶりに左翼が政治社会のキーワードになり得ることは、現実でしょうね。戦争法をめぐって、安倍さんに対抗する力をつくれるかどうかは、たんに左翼界隈ではなく、それなりの関心事になっていますから。
よく、右派的な言論がメディアを覆い尽くしているという見方がされますよね。あるいは、ネトウヨをつくりだしたのは小林よしのりだ、とか。
表面的にそういう捉え方ができないことはないでしょうけれど、私は、全然違うと思っているんです。もし、右派的な言論が台頭してきたときに、左派の側が、世論の支持を得られるような言論を展開できていれば、いまのような事態にはならなかったわけです。だから、右派的な言論がイヤだという人は、その問題点を批判するヒマがあるなら、自分の言論を世論に通用するまでのものに磨かなければならないと感じます。
って、今度私が書くことが、「SAPIO」読者の心をつかめるかどうかは、分かりませんけどね。井上達夫さん(『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』の著者)なんかも書くことになっているそうで、楽しみです。
私が書くのは、「出でよ! 軍事戦略をもつ護憲派」という感じかな。改憲派は、改憲しないと防衛できないと主張し、護憲派は、防衛政策には見向きもせず、結局、日本ではちゃんとした防衛戦略がつくられませんでした。そのため、防衛戦略を持っているのは政府与党だけになり、その政府与党の防衛戦略がとんでもないところにいってしまうと、周りにはまともな戦略がないというのが現状だと思います。
ですから、左派の側が信頼性のある防衛戦略を打ちだせることができれば、それなりの影響力を発揮できるのではないでしょうか。その辺りのことを書いてみるつもりです。今月中に出るのかな?