2015年3月26日

 それで、この本、福島高校の高校生を相手に講義をして、それをまとめたものなんです。大人を戸惑わすようなこんな話を満載していて、高校生がついて行けるのかって、心配になりませんか。

 そうじゃないんですね。私も体験があります。伊勢崎さんと一緒に自衛隊を活かす会の呼びかけ人をやっている加藤朗さんにお願いして、『13歳からのテロ問題』をつくったことがあります。

 これは実は、中学生が相手なんです。和光中学の生徒10名程度を対象にして、加藤さんが2回の講義をしたものです。

 もちろん、こういうテーマで話しますよと言って希望者を募るわけですから、関心のある生徒が集まるということもあるでしょう。だけど、よく考えてはいるけれど、思いこみは少ないと言ったらいいのでしょうか、常識を覆すような問題提起があっても、スッと入っていくのが分かるんです。そして、講義している側は、自分の問題提起が受けとめられたことが分かるので、もっと先に進もうとする。そういう点で、このふたつの本は似通っていると思いました。

 それでね、『13歳からのテロ問題』をつくったときは、途中から、「これは大人向けの本だよね」と思ったんです。だって、何十年も生きた大人は、「この道は戦争につながっている」「こっちは平和」って、すでに思考が固まっているじゃないですか。それを覆していかないと、現実に通用する戦争論、平和論にならないわけで、そういう人のための本になると思ったんです。

 それで、4種類の講義テーマごとに、「大人のための補習授業」を書いてもらうという工夫もしました。その狙いは悪くなかったといまでも思っていますが、それと『13歳からの……』ていうタイトルの間には、やはり溝があったと思います。誰に向けて売るかという迷いですね。でも、『13歳からの……』はシリーズだったので、これだけタイトルを変えるわけにもいきませんでした。

 伊勢崎さんの『本当の戦争の話をしよう』も、高校生相手に講義したこととか、表紙デザインとか、若い人向けのように見えますが、実は、これまで紹介してきたように、大人向けだと思います。そういう本だということをどうアピールしていくかが、この本の将来のためには大事でしょう。

 もうひとつ、昨日書いたことの関連なんですが、この本、改憲派であれ護憲派であれ、平和を願う人々の議論の土俵になると思うんです。だって、戦争になるかならないかという議論をしているのに、その戦争の現実を両派ともあまり知らないわけですから。

 伊勢崎さんの本にはどれもそういう性質がありますよね。だから、最初に『自衛隊の国際貢献は憲法9条で』を書いていただいたとき、帯はどうしようかと考えて、改憲派と護憲派の両方の国会議員から推薦をもらおうと思いました。共通の帯文として「9条論議に必要な紛争現場のことがわかる本だ」をご提示し、各党の議員さんにお願いしました。

 そうしたら、「そうだ、そうだ」ということで共感を得て、改憲派では自民、民主、公明、護憲派では共産、社民の方がOKということに。そういう種類の本ですから、今回の本も、憲法と安全保障を考える方にとって、立場を問わず、共通の土俵になると感じます。

 なお、帯の推薦は、結局、共産党の方から「書記局がダメと決定したので名前を出せなくなりました」と連絡があり、やむなく落とすことに。でもそうなると、「なぜ共産党だけ外れているのか」と疑問が噴出するだろうと思って、福島瑞穂さんにはお詫びを入れて、「護憲の本なのに「改憲」「加憲」の政党の方からも推薦」として、自民、民主、公明の方だけを入れました。

 さて、伊勢崎さん、現在、世界でいまもっともすごい戦争の渦中にあると言っていいコンゴに行っているんですけど、ご無事でしょうか。自衛隊を活かす会は追悼企画はやりませんからねと見送ったんですけど、世界平和にとってなくてはならない日本人ですからね。

2015年3月25日

 この本を読むことが、なぜ、護憲派を多数にするために必要なのか。それは、これからの憲法闘争で不可欠となることですが、改憲派と対話する姿勢を身につけるために必要になると思うからです。

 少なくない人が誤解していると思うのです。改憲派は戦争を望んでいて、力に訴えることを当然視している。逆に、護憲派は平和を望んでいて、力は不要だと考えている。そういう誤解です。

 まあ、伊勢崎さんが行く戦争の現場では、別に憲法のことが問題になるわけではありません。しかし、武力を行使するかどうか、行使するとしたらどんな武力かは、常に問われるわけです。

 でも、じゃあ、東チモールで武力行使基準の緩和を望んだ人(ニュージーランド兵や伊勢崎さん)は、戦争を望むような人だったでしょうか。仲間が惨殺されて、その首謀者を成敗するというやり方がどうだったかは異論があるでしょうが、東チモールの独立を助けたいし、インドネシアとの平和の確立を望んでいたと思います。伊勢崎さんなんかは、非武装国家をつくろうとしたわけだし。非武装は実現しませんでしたが、実際に東チモールは独立し、インドネシアとの関係も平和が維持されています。武力行使基準の緩和は、一時期、対立を激化させたけど、その対立は固定化しませんでした。

 逆に、この本では、伊勢崎さんにとってなじみの深いシエラレオネの話も、初期の頃からの事態が出てきます。武装集団が伸してきて、内戦がはじまろうとする局面。市議会議員もしていた伊勢崎さんは、丸腰の自警団をつくろうと提案したそうです。

 でも、最初の頃はよかったけど、だんだん「こいつは武装ゲリラの手先かもしれない」という不安から、自警団がつるしあげをしたりする。武装ゲリラって、襲う街を決めたら、まず偵察要員を送り込んでするそうで、見知らぬ人がいると疑われるらしい。不安が高じて、つるしあげがエスカレートしていき、あるとき、つるしあげの現場を伊勢崎さんを乗せた車が通りかかったそうですが、その運転手までつるしあげに加わって、古タイヤを背中にかぶせて石油をかけて火あぶりにしたそうです。

 いずれにせよ、その後、武装ゲリラが力を得て、多くの人は殺され(450万の人口で50万人)、運良く逃げた人は難民となり、伊勢崎さんの事務所はゲリラの事務所になったそうですけど。

 伊勢崎さん、火あぶりを招いた自警団のことをどう考えているかについて、以下のように言っています。「僕に罪悪感があるか。まったくないとは言えませんが、あの時、あの状況では、ああするしかなかった……。何よりそれは、「人のため」だった。それだけです」

 逆に、徹底した戦争で相手を殲滅し、いま「平和」になっている国もあります。スリランカですね。

 つまり、武力を行使する人も、丸腰で何とかやろうとする人も、別に戦争を望んでいるわけではありません。平和を望んでいるのです。

 日本の改憲派も同じです(ほとんどの人は)。平和を望んでいるが故に、中国の挑発には反撃しないとダメだと思っています。平和を望んでいるが故に、PKOなんかで自衛隊が活躍してほしいと願っています。

 なのに、改憲に賛成という人に対して、「おまえ、戦争を望んでいるだろう」という立場で接したりすると、ぜんぜんかみ合わないでしょう。「平和を望む気持ちは同じだよね」という心の一致点を確認しながら対話することが必要だと思います。そういうことが必要だということが、この本を読むと実感できます。

 そうです。戦争と平和って、矛盾だらけなんです。自分は平和を望んでいるが、あの人は戦争を望んでいるなんて、とっても言えないです。

 6月20日に大阪で自衛隊を活かす会の関西企画があって、その日の夜、伊勢崎賢治ジャズヒケシをやります。そのイベントのテーマ、私が勝手に決めましたけど、「『戦争』と『平和』は対義語か類義語か?」です。伊勢崎さんのイベントにふさわしいと自負しています。(続)

2015年3月24日

 これはすごい本。戦争と平和の問題で悩み、模索している人、本気で護憲派を国民多数にしようとしている人には必読の書である。

 いろいろな感想があるけれど、まず、編集者として打ちのめされた。「負けました、鈴木久仁子さん」という感じです。

 私が伊勢﨑さんの最初の本を編集したのは、もう7年も前。『自衛隊の国際貢献は憲法9条で』という本でした。

 その次が『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる』。最近のが『国防軍 私の懸念』。合計3冊ですね。

 その間、ずっとおつきあいしてきたし、似たような志もあって、いまも「自衛隊を活かす会」で一緒にやっているし、編集者としては伊勢﨑さんのことは一番知っていると思い込んでいたんですよね。これは関係ないけど、息子も伊勢﨑さんに惚れ込んで、伊勢﨑ゼミを卒業したし。

 でも、それは幻想でした。この本の編集者である朝日出版の鈴木久仁子さんに完敗しました。それが一番の感想です。

 たとえば伊勢﨑さんが知事として国連平和維持軍を統括していた東チモールのこと。インドネシアの民兵にニュージーランドの兵士が惨殺された結果、PKOの側で怒りが高揚し、交戦規則(ROE)を緩めることになって、伊勢﨑さんがそれを許可した話は、私も知っていました。それで、インドネシアの民兵が殺されることになるんです。

 でも、私が編集した本ではそこまで。それで十分だと思ったこともあるし、人を殺し、殺される話って、なかなか突っ込んでいきにくいことでもあったんです。

 でも、鈴木さんは突っ込んでいったんですね。たとえば、殺されたニュージーランド兵は、銃殺して絶命したあと、耳をそがれ、のどをかき切られていたそうです。だからPKOは怒ったし、伊勢﨑さんが武器使用基準を緩めるのを許可したことにもなるのです。敵を目視したら、警告せずに発砲できるようにしたのです。

 そして、伊勢崎さんの判断には、当然、その結果が付いてくるんですね。ニュージーランドの部隊は、補給路を断たれて敗走する民兵を、武装ヘリも使って追い詰め、全員(10名程度)を射殺したそうです。

 だけど、そういうことの総括とか、正当性を問う作業とか、まったくされていないそうです。国連にとっては、東チモールはPKOの成功例ということもあるし、踏み込めないでしょう。

 そして、伊勢崎さん。「後悔とも言えない奇妙な後ろめたさが、当時を思い出すたびに、僕を襲います」

 そうなんですよね。伊勢崎さんのトラウマになっているんですね。そういう伊勢崎さんが、鈴木さんの手で丸裸にされたんです。すごいです。同じ編集者として、尊敬するというか、本音では嫉妬するというか。

 戦争と平和の本ですから、そして現実の戦争と平和って、こういうものですから、リアリティがないと語れない部分があるんです。そこに成功した本として、すごくお薦めです。

 同時に、伊勢崎さん、東チモールを非武装の国にしようと努力したんですね。それがなぜダメになったのかってのも詳しく書かれてあって、戦争と平和の問題にかかわる人にとって必読です。(続)

2015年3月23日

 自衛隊を活かす会の関西企画が6月20日(土)、大阪市福島区民センター大ホールで開かれます。そのスタッフを募集します。

 今回の企画、テーマは「新安保法制で日本はどうなるの?」です。自民党、公明党が新安保法制で合意したので、5月中旬には国会に提出される予定です。その分析と批判をやろうとするものです。

 自衛隊を活かす会の呼びかけ人である3名(柳澤協二=代表、伊勢﨑賢治、加藤朗)はもちろん参加します。ゲストとしてお招きするのが、石田法子さん(現在、大阪弁護士会会長ですが、6月は前職になります)と渡邊隆さん(元陸将・東北方面総監)。

 憲法と安全保障をめぐる問題で、従来からの平和運動と自衛官らが同じテーブルで議論する場の誕生です。今週水曜日、関西の弁護士の方々を中心に、この企画を「成功させる会」が発足予定なんです。

 で、すでに10名近い方がスタッフとして働いてくれることになっているんですが、なにせ600名も入る大ホールですから、不安がぬぐえません。あなたもどうですか?

 当日、12時30分に現地集合で、午後5時まで。まあ、受付が終われば、あとは会場で聞くことができると思います。

 何かいいことがあるかというと、ひとつは、もちろん、参加費(資料代1000円)は頂きません。資料としては、憲法9条の枠内での防衛政策について「会」が発表する「提言」の日本語、英語、アラビア語になる予定。

 もうひとつは、夜の関連企画の優先予約権。午後6時より、北新地サンボアで、「伊勢﨑賢治ジャズヒケシin北新地with木畑晴哉トリオ」が開かれます。テーマは、「『戦争』と『平和』は対義語か類義語か?」。

 これ、4000円(ワンドリンク付き)なんですけど、主催者関係をのぞくと40名程度しか枠がありません。4月になったら公募しますけど、あっという間に締めきりになることが確実。当日のスタッフとして3月末までに申し込まれた方は、優先的に予約できます。立ち見席になるかもしれませんけど。

 ということで、ブログをごらんになっている方はメールフォームから、フェイスブックの方はメッセージで、それぞれ申し込んでください。よろしくお願いします。

 本日と明日は福島。明後日は「成功させる会」もあるし、会社の会議もあるので、関西です。忙しいです。

2015年3月20日

 今朝のNHKニュースで、若者が安全保障法制について考え、議論する様子を放映していた。安全保障の問題は、とりわけ若者にとって他人事ではなくなっているわけで、その現状が反映しているのだと思う。

 そこで、「グレーゾーンって言われても、ピンとこない」という発言が紹介されていた。そうだよなと思う。私だって分からない。

 もともとは、集団的自衛権と個別的自衛権の間にある事態ということで、この言葉を使い始めたのかと思っていた。日本防衛に限りなく近いということで、世論の支持を得やすくなるからね。

 でも、そうでもないようだ。この間の使われ方を見ると、日本有事か平時かの間にある事態ということみたいな感じだ。

 「切れ目のない法制」ということで、あいまいなところを整理しようとするわけだろう。だけど、そうすると、余計に分からなくなる。

 だって、現在でも、そういう事態はグレーではない。明確に定義されている。

 離島に武装した漁民が上陸するという事態が想定されているわけだが、これは原則として警察が対処すべき事態である。相手が国家の意思として離島に上陸するならば、それはもう有事ということになって自衛隊の出番になるのだけれど、一般的に武装した漁民ということだけでは、そういう判断はできないだろうからね。

 それだったら、相手が強大な武器をもっていて、警察では対処できない場合はどうするのかと心配する方もいるだろう。だけど、そんな場合、自衛隊が警察権の範囲で治安出動できることが定められている(自衛隊法90条1項3号)。ぜんぜんグレーではないのだ。

 相手が強大な武器をもっているだけでなく、実は国家意思の発動として離島を占拠する場合はどうなのだと、不安に思われる方もいるかもしれない。しかし、その場合は自衛隊が出動するわけであって、何の問題もない。

 同時に、この問題で大事なことは、警察が対処する場合も、警察権で自衛隊が出動する場合も、それは平時における対応だということだ。一方、自衛隊が出動する場合、それは有事だ(相手国と戦争するのだ)と判断を下すということなのだ。

 その平時と有事の間には、明確な切れ目がある。いろいろな情報をもとに、離島の占拠を国家によるものだと判断し、その国家と戦争するという決断をするわけだから、質的に異なる段階に入るのだ。

 そういうものなのに、その段階を「グレー」だと言ってあいまいなものに見せかけたり、あるいはシームレスと言って少しずつ有事への階段を上がっていくもののように装ったりするのは、危険きわまりないことである。「気がついたら有事になっていた」みたいな無責任なことになりかねない。

 平時か有事かを決めるのは、ときの内閣なのである。安倍さんなのである。その間に中間項はない。