2015年2月26日
昨日、戦後70年の安倍談話についての有識者懇談会が開かれ、いろいろニュースになっていた。NHKの9時からのニュースで、大越キャスターが、「こまごまとした議論にならないようにしたい」という安倍首相の言葉を引きながら、こまごまとしたところに大事さがあらわれる、みたいな表現をしていて、「この人、覚悟を決めてるなあ」という感想をもった。
神は細部に宿る、という言葉がある。本当にすごいものは細かいところまですごい、という感じで使われている。実際、全体的な出来が良くても、細部の出来が悪ければ、全体の印象が変わってくるから、言い得て妙だと思う。
これは私の予想だが(希望かもしれない)、いわゆるキーワード(侵略、植民地支配、お詫び、反省)を抜かした談話にはならないように思う。ならないというか、そんなことはできないという観測。いくら安倍さんの絶対的な安定政権だといっても、対米関係でも、アジアとの関係でも、あまりにリスクが大きすぎる。
私が安倍さんなら、それらの言葉を使うことによって、まず批判をかわす。あわよくば、なかなかやるじゃんと思わせ、支持率を高止まりさせる。
同時に、それらのキーワードの意味を、実質的に骨抜きにすることに力を入れる。たとえば、冒頭でキーワードを列挙しておいて、「その侵略の反省をふまえて、それと一体のものとして私が未来志向でめざすのが、まさに積極的平和主義なのであります」とするわけだ。
積極的平和主義って、いろいろな中身があると思うけど、先日、安倍さんは、アメリカが先制攻撃する場合も後方支援すると表明した。先制攻撃が「侵略」だというのは、有名な国連総会の「侵略の定義」決議で書かれている通り。つまり安倍さんは、侵略を助けるのだと言ったわけである。
こうして、反省するはずの「侵略」という言葉の意味が、まったく違うものとなる。というか、逆の意味になる。侵略の反省として侵略するというのだから。
冗談を言っているのではない。安倍さんは、侵略か自衛かは学問的に定義されておらず、国によっても定義が異なると明言しているわけなのだから、安倍さんが侵略と言っても、それが侵略かどうかは、本人さえ分からないのである。
安倍さん、本気で、こんな議論は「こまごましてる」って思っているんだろうな。日本が侵略したかどうかという事実関係の議論にとどまらず、何か、もっと多方面の根本的な議論が必要なのかもしれない。
2015年2月25日
昨日は、朝日新聞の慰安婦問題でのあの検証記事(昨年8月5、6日)を書いた記者のお一人の話を聞く集まりが、大阪の梅田で開かれた。私がいま書いている本(『慰安婦問題のおわらせかた』小学館)でちょうど関連部分にさしかかっているところだし、どうしてもお話を伺いたくて参加した。
大変正直な方で、私が勝手にここで記事にすることはできないが、とても勉強になった。こういう記者の方がたくさんいれば、朝日はなんとか立ち直るのだろうと思え、少し安心した次第である。
その後の飲み会にも参加した。主にメディアの方々、メディア論に関係する研究者の方々の集まりだったようだ。そこで議論されたことも含め、いくつか感じたことを書いておく。
結局、慰安婦問題とは何なのか、その本質はどこにあるのか。そこがちゃんと解明されないと、この問題は解決しない。
一方で、慰安婦問題の本質は「強制性」だという人がいる。他方で、この問題の本質は「戦時下の公娼」だという人がいる。そして、それぞれの立場にあった「証拠」がある。
「強制性」にしても「戦時下の公娼」にしても、それは問題の表面にあらわれた「現象」である。その現象のなかから、都合のいい部分を捉えて、ある人は本質は「強制性」といい、別の人は本質は「戦時下の公娼」だと言っているのではないか。
「本質」というのは、そういうものではない。一見、まったく矛盾しているように見えるさまざまな「現象」を貫くもの。それが「本質」なのである。
その「本質」を捉えられたとき、我々はこの問題を解決するカギを見つけることができるように思う。そう簡単ではないけれど。
あと、メディア論の研究者が言っておられたのは、この問題を動かすには、既存の枠組みとは別のものが必要だいうことだった。それには私も全面的に賛成。
この問題では、20数年ほど対立が続くあいだに、論争の相手のことを、一方は「慰安婦のことを理解できない人非人」と批判し、他方は「ウソの証言を事実と捉える人」と批判し合ってきた。まともに議論する相手ではないので、相手の言うことなど、真剣に読みもしないようになってきた。それがまた対立を増幅させる要因になってきたと思う。
その対立構図を突き崩す枠組みが必要である。私の本がそうなるかどうか分からないけど、少なくとも両派から読まれ、批判が殺到し、議論のたたき台になって行くことを期待したい。4月20日発売。
2015年2月24日
これがネットで流れてきたときは、さすがにびっくりした。しかも、それで委員会が中断せず、それなりに静かに続行されたことには、もっとびっくりした。昨日、訂正答弁があったとはいえ、以前なら、その場で審議が止まって、謝罪するまでは動き始めなかったと思うから。
こういう安倍さんの姿勢って、これが突飛なワケではない。いろいろな言動があるたびに、ネットでは、反安倍の立場の人たちが、「反知性」「子ども」「こんなのが首相の座にいることが恥ずかしい」と書き込んでいる。
それには同感するのだが、じゃあ、そういうことを言って、多少でも安倍さんの支持率が下がるのかというと、そんな関係にはない。そこを究明しないと、反安倍勢力が多数を占めていく道筋が見えてこないと思う。
内田樹さんが、弊社が主催した1月の講演会で、橋下徹人気について語っていた。ゼミの学生たちが橋下支持だというので理由を聞いてみたところ、「言うことが感情的で、すぐに怒るから」とか、「言うことが支離滅裂だから」というものだったというのである。
それが支持されるというなら、安倍さんが支持される理由も分かる。先ほど書いたけれども、「反知性」「子ども」「こんなのが首相の座にいること」が支持されているわけだ。
これは、一面では、政治というものがこれまで国民から遠い存在だったけど、それが彼らによって近くなったことを意味している。自分と同水準の人たちが政治をやっていることへの共感だ。
だから、「頭が悪い」「子どもっぽい」と批判しても、まったく批判にならない。「その通り、だから支持してる」ということになるワケである。逆に、批判する側に対して、「なによ、あんた、自分で頭がいいってのぼせてんじゃない」と批判が寄せられるという感じになってしまう。
同時に、この背景にあるのは、政治における本音と建前という問題もあると思う。何かというと、かつての政治は、建前重視という面があった。政治家って、自分が不完全だということを隠したがる。常に国民に寄り添っていて、国民のことを考えていてという感じ。国民がテロ集団に人質になっているときは、総理なら官邸に詰め、指示を出し続けるというのが、理想の政治家だった。
それを辻元さんが追及したわけだけど、国民は、いくら総理と言ったって、そんなことは無理だと分かっている。逆に、「じゃあ、追及する辻元さんは、その間、休養はとらなかったの? 総理は寝ずに仕事すべきだけど、国会議員なら休暇をとっていいんだ」「あんたとこの党首はどうなのよ、その間、何をしていたか明らかにしてみなさい」と思われてしまっている。
ここを打開するのは容易ではない。左翼の側も、ふつうの人と同じ人間だと思われたり、建前だけじゃない言葉が必要なのはいうまでもない。だけど、それだけじゃダメなんだろうな。
2015年2月23日
伊勢崎賢治さんから、近著『本当の戦争の話をしよう』(朝日出版)をいただいた。サブタイトルが「世界の「対立」を仕切る」で、以下にも伊勢崎さんらしい。何年か前、福島高校の生徒を相手にしゃべった講義をもとにつくられたものだ。この縁があったので、昨年の3.11、弊社の福島企画で、伊勢崎さんと福島高校ジャス研究部のジョイントが実現したこともあり、本ができあがったのが本当にうれしい。
まだ、序「日本の平和って、何だろう」を読んだところで、ちゃんとした書評は別に書く。序を読んだだけで言うと、戦争と平和をめぐる矛盾に満ちた現実のなかで仕事している伊勢崎さんの本領が発揮された本だと思う。序の最後に、大量殺人の責任者と笑顔で話し合うことの戸惑いについて触れられていて、「ああ、シエラレオネでの体験ね」と思ったけど、こういうリアリティをもった本は、伊勢崎さん以外には書けないからね。本の成り立ちからすると(装丁からも)、高校生向け?と捉えられるかもしれないけれど、本格的な大人向けの本。「戦争」と「平和」は対義語だと思い込んでいる人に読んでほしい。
さて、もうひとつ、君島東彦さんから、『立憲的ダイナミズム』(シリーズ日本の安全保障3、岩波書店)をいただいた。君島さんが、そのなかで「安全保障の市民的視点──ミリタリー、市民、日本国憲法」という論考を書いておられるのである。
これは、一言で言えば、戦争を平和をめぐる複雑な現実に学者の側からアプローチした本として、非常に大きな意義がある。憲法九条と自衛隊の矛盾とその克服の方途を、リアリティをもって捉えようとしていることに、本書の存在意義がある。
この論考では、そこを検討する前提として、戦争と平和に関する思想の分類について言及している。伝統的な3分類(現実主義、正戦論、絶対平和主義)では大雑把すぎるとして、私は不勉強で知らなかったのだが、マルチン・キーデルの5分類(軍国主義、介入主義、防衛主義、漸進的平和主義、絶対平和主義)が紹介されている。防衛主義とは、攻撃的でない防御的な軍備が平和をつくるというもので、日本でいうと「専守防衛」のようなものだろう。
君島さんがキーデルの類型論の「ポイント・価値」として指摘しているのが、平和主義をふたつにわけたこと。絶対平和主義(pacifism)と違って、漸進的平和主義(pacificism)というのは、「長期的な目標としての戦争の廃絶はあきらめないが、暫定的には防衛のための軍事力の保持と行使を容認する立場」であるとされる。
これは、私も本当に大事だと思う。伝統的な類型化によっては、武器を捨てない限り、「平和主義」の思想ではないことにされてしまうからだ。そういう類型化では、日本国民の圧倒的多数の平和主義を説明もできない。
君島さんは、この類型化を使って、戦後日本の平和主義を定義していく。憲法研究者や革新政党のあいだでは絶対平和主義が強かったが、市民のあいだでは漸進的平和主義が主流だったこと、戦後の日本が九条と自衛隊を両立させてきたことは(日本政府の憲法解釈は)、「防衛主義の要素を持ちつつも、主として漸進的平和主義の枠内にあった」とするのである。また、次のようにも言っている。
「憲法九条と自衛隊の矛盾は、いまの世界秩序の矛盾あるいは過渡的性格──主権国家の軍事力行使によって問題は解決できないが、それに代わる方法が未発達である──を体現するものにほかならないであろう。そう考えると、憲法九条と自衛隊の矛盾は、戦後世界秩序の「例外」というよりもむしろ「本質」──過渡的性格──をあらわしているともいえよう」
もちろん君島さんは、その矛盾をどう克服するかという方向性については、確固として憲法九条を実現していくことを選ぶ。だが、こうやって学問的な探究をすることによって、良心的な自衛官や防衛省の幹部などをはじめ、矛盾のなかで、難問に直面しながら、少しでも平和主義の立場に立とうとする人を励ますものとなっている。
まあ、君島さんは、ふつうの平和主義者と違って、紛争現場にみずから出向いていく人だから、こういう解明ができるのだと思う。一読をお勧めしたい。
なお、このシリーズ、自衛隊を活かす会の柳澤協二さんや加藤朗さん、会がシンポジウムに呼んだ防衛大学校の宮坂直史教授なども執筆者に名を連ねている。それ自体、新しい平和主義概念のあらわれだと言えるのかもしれない。
2015年2月20日
引き続き忙しいので、新たなものは書きません。昨日、「T君への手紙」をアップしましたが、それについて質問があり、翌月号に書いた回答を紹介します。書き忘れましたが、「学習の友」という雑誌です。
(問) 一〇月号の『T君への手紙』で、戦後すぐの五〇年代に戦犯釈放運動がひろがったと紹介されていました。それはどんなものであり、どう考えたらよいのでしょうか。
(答) 戦犯釈放運動は、当時、大きなひろがりがありました。日本の独立が決められたサンフランシスコ条約締結直後の五一年末から開始され、もっとも高揚した五三年末、東京・両国の旧国技館で開催された集会では、「演壇上には一万三〇〇〇名が参加し、三〇〇〇万人分の釈放要求署名が積みあげられた」(吉田裕『日本人の戦争観』岩波現代文庫)といわれています。当時の総人口は九〇〇〇万人でしたから、最初の二年間で国民の三分の一が署名したことになります。
しかも、この運動は、特定の右翼的な人びとだけが参加していたわけではありません。「さまざまな宗教団体や日本赤十字社、日本弁護士連合会、青年団体などによって戦犯釈放運動がおこなわれた」(林博史『BC級戦犯裁判』岩波新書)とされています。
よく知られているように、東京裁判では、最大の戦争責任者である天皇は裁かれませんでした。また、BC級戦犯(捕虜の虐待等、戦争法規に違反したとして裁かれた人びと)のなかには、不十分な裁判手続きによって裁かれた人びともいます。したがって、国民のなかに、なぜこれらの人びとが裁かれなければならないのかと疑念をもった人びともいたことが、この運動をひろげる結果につながりました。
戦犯は、東京裁判(正式には極東軍事裁判)や各国が独自におこなった裁判で犯罪者だと認定されたものです。その判決は、サンフランシスコ条約により日本も受諾し、条約を締結した各国の了解なしに、戦犯を釈放することはできないとされていました。
「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない」(条約第十一条)
したがって当時の支配層は、戦犯釈放運動を背景に、国会において、数年にわたり、戦犯の釈放、赦免を求める決議を次々と採択します。最初の決議は、五二年四月一四日、衆議院法務委員会によるものでした。さらに政府は、国民運動と国会決議を受けたかたちで、各国に対して、戦犯を釈放するよう働きかけます。アメリカに対しては、戦犯の釈放がなければアメリカが求める軍備増強はできないとして、強く釈放を求めたそうです。その結果、五六年までに、すべての戦犯が釈放されることになりました(国会による最後の釈放要求決議は五五年七月一九日)。
一方、戦犯釈放の国会決議に反対した日本共産党をはじめ、国民のなかには、日本の侵略責任を追及する動きがありました。たとえば、五二年六月一二日の衆議院本会議で、高田富之議員は、「過去においてわが国がアジア諸国人民に対して犯した重大な犯罪に対する真剣な反省を鈍らせ」るものだとして、決議に反対しています。しかし、戦犯釈放運動が高揚するなかで、こうした主張は当時、大きな流れにはなりませんでした。
それから二〇数年が経過した一九八二年、NHKがおこなった世論調査の結果、明治以来の日本の対外膨張を「侵略の歴史だ」と答えた人が約五二%に達しました。これは、五〇年代の国民意識からすれば、大きな変化でした。
この変化が生まれたのは、六〇年代から七〇年代にかけて、多くの自覚的な人びとが世論に働きかけを強めたからです。
たとえば「家永教科書裁判」です。六〇年代初め、家永三郎氏は、日本の戦争責任をきびしく指摘した歴史教科書を執筆しましたが、文部省は検定でこれを不合格にしました。そこで家永氏は、検定が憲法違反であることを裁判に訴えます。裁判は、自覚的に立ち上がった人びとの支持を得ながら二十数年にわたって続き、その過程で、少なくない国民は、日本による戦争の実態、責任を知ることになりました。
これらの結果、国民の認識が変化したため、八〇年代になると、自民党政府の閣僚が侵略美化発言をすると、マスコミも問題にするようになりました。八二年、歴史教科書が侵略の過去を曖昧にしていることが国際的に問題になったとき、政府は、みずからの責任で教科書の記述を是正すると表明せざるを得ませんでした。
強固に思われる国民の意識も、正義と道理を貫けば変えていけることを、この事実は示しています。了