2014年12月5日
昨日、ブログ記事を書いた後、沖縄に電話をいくつかかけた。総選挙後、できるだけ早い内に沖縄に行って、本をつくるための下相談。
その本、上のようなタイトルにしたいのだが、どうだろうか。自分なりに納得できるタイトルなんだけど。
野党が共闘して安倍政治を変えるなんて、おそらく誰も現実味をもって考えていない。政策はバラバラだし、どの党にもそういう気持ちはないし。選挙の結果、ますますそういう絶望的な雰囲気が広がってしまうのではないだろうか。
そういうことが予想されるなかで、展望を打ちだす必要がある。安倍路線に対決できる力を持つほどに成長するとすれば、やはり沖縄に学んだ保革共闘しかないのではないか。
沖縄は特殊だという考え方がある。全国的には同じような条件はないのだと。
私も、沖縄の特殊性を否定するつもりはない。だけど、つい数カ月前まで、国政選挙での保革共闘どころか、県知事選挙にあらわれた保革共闘だって、それが実現するなんて、誰が想像していただろう。誰もが条件はないと思っていたのではないか。
普天間基地の国外・県外への移転で保革が一致していて、それは沖縄固有の条件ではある。しかし沖縄は、その一致を、一年くらいの時間をかけて、政治を変える共闘に発展させてきた。主体的な努力をやって変えてきた。
全国的に見て、たとえばTPP反対で保革が一致しているわけだろう。集団的自衛権反対でも野中広務さん、加藤紘一さん、古賀誠さんで一致しているわけだろう。それは、主体的な努力をどんなに進めても、政治を変える共闘には発展しないのだろうか。
そうならないというなら、本土での保守との共闘は、沖縄より低い水準になるということになってしまう。安倍さんが進める強権政治に反対する気持ちは、沖縄と本土では水準が違うということになってしまう。
沖縄と本土に違いがあるとすると、やはり主体的な努力をする意思をもった人びとがいたか、いないか。多かったか少なかったか、ということだと思う。本気で普天間基地問題を解決しようとしたとき、従来型の革新共闘ではなくて、保革共闘しかない、それなら保守と手を結ぼうという、そういうことを考え、実践する人が沖縄にはいたわけだ。
それに、沖縄の結果をみて、保守のなかに、ただ声をあげるというだけでなく、政治のおもてにでてきて共闘するという流れも生まれるだろう。ということで、来年1月は沖縄へ。本はいつできあがるかなあ。
2014年12月4日
いっせいに選挙結果の予測報道が出ましたね。みなさん、どう捉えたでしょうか。
安倍さんではイヤだという声がこれだけ充満しているのに、その安倍さんが大勝する。一強体制をさらに強固なものにして、選挙が終わったら、やりたい放題なんでしょうね。ここまで来たら、集団的自衛権の安保法制だけじゃなくて、憲法本体にまで手をつけてくるでしょう。
いやはや、安倍政権をこうやって終わらせるんだって、どの野党も選挙で説得力ある道筋を語れなかったからなあ。そこが見えてこないと、安倍与党を落選させるような投票行動は、本格的には生まれてこないでしょう。この予測議席が出たあとでは、安倍政権退陣の道筋を語るって、ますます簡単ではなくなりそうです。
救いは、安倍政権とは真正面から対決している共産党が躍進しそうなことと、選挙を前にして安倍政権との対決姿勢を打ちだした民主党も少しは前進しそうなことでしょうか。それとは逆に、「是々非々」みたいな立場をとってきた維新や次世代は後退しそうなこと。
まあ、現時点では、そこまでなのかもしれません。安倍さんを倒す展望は見えていないけど、その展望を手にするためにも、とりあえず安倍さんと対決する政党を育てておいてやるかという感じでしょうか。
そのことが、安倍さんを退陣させたあとにつくるべき政権について、ひとつのイメージを国民のなかでつくりあげてくれればいいなと思います。安倍さんのあとの政権は、安倍さんの亜流政権ではなく、安倍さんとは異なった路線を歩む政権だというイメージです。
おそらく、沖縄で実際にやっている選挙共闘型の政権でしょうね。沖縄の場合は米軍基地問題が大きいですが、集団的自衛権とか憲法改定問題とかTPPとか、安倍さんが壊そうとしている旧来型の保守とも共同していく路線。そのためには安保条約の問題での意見の違いは棚上げする路線。
沖縄県知事選挙は、本格的に研究する必要がありますよね。翁長さんが出ること、多くの人は選挙直前に知ったみたいですが、現地の関係者のあいだでは、一年以上も前から既定路線だったんですね。だけど、それまでは安保廃棄の革新共闘だったけど、そうでない共闘路線を本土の政党幹部が認めないかもしれないという懸念があって、いろいろ調整機関が長かったわけです。
以前は沖縄で国政選挙で共闘が実現することは、安保廃棄で一致するという「例外」的な状況の産物と言われました。だけど、安保廃棄で一致しなくても共闘が成立したわけですから、もう例外ではなくなると思われます。
選挙後に圧倒的な多数になった安倍さんを倒す展望を手にするためには、まず沖縄の調査をして、本にすることも必要かもしれません。選挙後、忙しくなりそう
2014年12月3日
本日は、公示翌日にふさわしい、まさに政治の日かな。私にとってもね。
午後は3時間近く、ポスト資本主義をめぐる議論である。とくに、それに向かっての改良と革命という話。
先月、朝日新聞社の「アエラ」に、「幸せな資本主義は可能か」という特集が出ていた。これが特集になるほど、資本主義でやっていけるのかどうかということが、世間の話題になっているということである。
そこで佐藤優さんが言っていることが印象的であった。資本主義ではダメだということでポスト資本主義論がさかんであるが、それをいま提唱しているのは水野和夫さんなど、いわゆるマルクス主義者ではない人であって、既存の左翼勢力からは出てきてないということだった。
まあ、そうだよね。いまの選挙でも、資本主義の次の社会をめざそうという議論は、どの政党からも出ていない。論壇と政治の間に乖離があるのかもしれない。
だけど、たとえば原発事故があって、それ自体からも、その後の東電の対応からも、いったい資本主義のままでいいのかということは問われているわけである。もうけ優先で、そのために事故も起こし、賠償の責任も果たさないわけだから。
もうけ優先の資本主義という状況下で問題が起きているのに、やはり資本主義の枠内で解決するというアプローチなのだろうか。資本主義ではダメであって、東電に責任を果たさせるためには、東電を社会が把握していくという(生産手段の社会的所有)アプローチは問題外なのか。
まあ、こんなあたりをずっと議論していた。改良と革命というのかな。いや、資本主義の枠内が革命であって、社会主義になるのは革命ではないという議論もあるから、改良と革命といっても、全然議論のありようが違うのかもしれない。こんな問題が、そのうち本になる可能性はあるのかなあ。
これから夜になっていくが、まだ東京で仕事がある。なんと、この日本に忽然と出現した30代の若いレーニン主義者とお会いするのだ。なんとも楽しみである。
その後、最終電車で京都へ。なんとも忙しい東京出張だった。
2014年12月2日
3.11の直前だったと思うが、NHK教育放送で、菅原さんが福島県の自由民権の歴史と伝統を訪ねる旅の企画があった。菅原さんがそういうものに関心を持っていることを全然知らなかったので、とても新鮮だった。
いや、後で知ったのだが、何かのテレビのインタビューが菅原さんのご自宅でやられたそうだ。そうしたら、後ろの本棚には、難しそうな専門書が並んでいたそうで、すごい勉強家なんだね。
ところで、その福島の旅を案内する役をしたのが、大和田さんという方だ。福島で高校の社会科の先生をしていたという。
3.11の後に知り合った別の福島の高校の先生に聞いたのだが、大和田さんは福島では反原発の闘志として名高かった。そして、菅原さんを案内している最中、原発のことを徹底的に菅原さんに話したそうだ。それを菅原さんが「うん、うん」と聞いていたとか。
その話を聞いていたものだから、震災後、菅原さんが原発問題で積極的に発言し、行動するのを見て納得していた。「いのちの党」をつくったときは、さすがにびっくりしたけれども。
その菅原さんから、ある出版社を通じて、「伊勢崎賢治さんと会いたい。対談がしたい」というオファーが来たのは昨年末だったろうか。弊社から出ている伊勢崎さんの『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』とか『アフガン戦争を憲法九条と非武装自衛隊で終わらせる』を読んだそうで、体を張って戦争を止める伊勢崎さんの生き方に惚れ込んだということだった。
その仲介をして、対談は実現した。いつか活字になって出ると思う。
その際に、菅原さんにお手紙を出して、いつか菅原さんが大和田さんを案内役にして、福島の原発関係の土地を訪ねる旅をやって、それを写真集にしたいとオファーをしたのだ。奥様からご返事がきて、興味深い話だけど、もう少し内容を膨らませたらいいと思うので、検討させてほしいということだった。
この企画、菅原さんがお亡くなりになったことで、もう日の目を見ることはない。残念だけれど、晩年の菅原さんと少しで交流できたことは、そして菅原さんが沖縄の選挙をはじめ、すごくがんばっておられるのを目にできたことは、ずっと記憶に残ると思う。
菅原さん、ご苦労様でした。ゆっくりとおやすみになってください。
2014年12月1日
昨日から東京。3日(水)まで日程がびっしり詰まっている。その空き時間をつかって、3月に出したい福島関連本の原稿チェックというか、リライトの仕事もしなければならない。いや、大変。日程の3分の1は、やはり福島関連。なんで、こんなに足を突っ込むことになっているのかなあ。
ところで、今年の流行語大賞は「集団的自衛権」だそうだ。いま、前に座っている東京事務所の社員が、それを聞いて怒って、「それって、流行語程度のものにしていいんですか!」だって。
そっか、そういう見方もあるか。私なんか、自分の本がまた注目されればいいなと、浅はかな思いを抱いたのに。恥ずかしい。
ただ、それでも、「集団的自衛権」が言葉としても人の目にふれ、耳にする機会が増えるのはいいことだ。選挙が明日は公示になるというのに、自民党は選挙公約でこの言葉さえ使わないしね。それなのに、集団的自衛権の閣議決定を批判されると、居丈高に非難をくわえる。
安倍さんに欠けているのは、「日本国」の首相という自覚だと思う。自民党の総裁は、他の政党の党首と異なり、「日本国」を代表している。その自覚がない。
集団的自衛権をめぐっても、自民党総裁としての安倍さんは、批判者には反論しなければならないだろう。だけど、首相としての安倍さんは、国民の多数は閣議決定に賛成しておらず、自分はそういう国民をも代表しているという自覚が必要だ。
この間、話題になっているが、フェイスブックでの対応は、まさにネット右翼の代表としての言動である。テレビに出て、自分への批判があると、不公正な扱いがされているかのように振る舞う。
昔の自民党の首相や大臣は、対立する党派の紹介で陳情団が来たときなんか、「いやあ、○○党の先生は立派な方ですよ。そんな方の陳情だから、がんばりますよ」なんて持ち上げて、そういう団体にも支持を伸ばそうとしたものだ。
いまの安倍さんは、気持ちの余裕がないのだろうか。敵を仲間にしようなんて考えず、敵は敵として排撃するだけ。そんなことでは、自分の支持者は熱狂的に盛り上がるかもしれないけど、ふつうの人の目から見て、信頼がなくなっていくと思う。
まあ、安倍さんの信頼がなくなることだから、それでいいと言えばいいのだけど、日本の政治の信頼性ということで見ると、大きな損失である。