2014年3月19日
本日から東京。共産党の複数の元幹部が書かれる本の相談が中心的な目的だったが、情勢の急変があって、もうひとつ加えた。
何かといえば、拉致問題である。横田さんご夫妻がお孫さんに会うという新たな局面をふまえ、この問題の解決方向を示す本が必要だ。
この2〜3年の間に進めようとしたのは、超党派の北朝鮮訪問団を送り、その経過を本にすることだった。批判を恐れて誰も拉致問題に手をつけようとしないわけだから、みんなでわたれば怖くないという格言通り、超党派でやらなければならないと考え、相談してきた。だけどやはり、泥をかぶる覚悟のある人はいなかったのである。
だけど、いまは、情勢が大きく変わった。横田さんが孫に会うことをよろこぶ世論が熟成しているわけだから、この方向をさらに前へと進めることも可能だろう。関係者が北朝鮮に訪問することに意味がある事態になったのではなかろうか。
政府の拉致問題対策本部のなかにも、それを容認する空気があると聞いた。これまでだったら、民間人が拉致問題で外交をやろうとすると、障害あつかいする声が大きかったわけだが、確実に変化しているようだ。日本政府公認なら、危険もないだろうし。
被害者や家族の声、心情を直接に北朝鮮に伝えるのは、それだけでも意味がある。何といっても当事者の生の気持ちなのだから。
とりわけ、北朝鮮側が被害者が死亡したとして提示してきた「証拠」を、なぜ家族が受け容れられないかについては、どうしても伝える必要がある。そこが伝わらない限り、両国政府間で焦点となっている「再調査」がなぜ必要なのか、北朝鮮側も理解できないだろうと思う。
できれば私も行きたい。だけど、一人しか随行できないとなれば、ハングルができる人でないとダメだろうなあ。こちらの言いたいことを、北朝鮮側の通訳が正確に翻訳できるとは思わないし。
うってつけの人が、身近にいる。拉致問題に精通している人なんだが、数年前なら政治のからみがあって、そんな仕事を頼めなかった。転職して自由人になっているので、怖いものなしでしょ。
ということで、拉致問題では、左右の垣根を超えた闘いを進めるのだが、それを左翼のイニシアチブでやることが見えるような局面をつくりたい。かねてからの念願なんだけどね、それが。
2014年3月18日
34面(東京版。地方によって異なる)なんですが、その右半分を使って、解釈改憲と集団的自衛権に関する記事が掲載されています。「リアリティない議論、今も。解釈改憲の源流、明治憲法にたどる」というタイトルです。
「司馬遼太郎「統帥権独立論は暴走」」という目次と記事の冒頭部分が、この記事のねらいを言い当てています。「天皇は陸海軍を統帥す」という明治憲法の条項を、軍部は勝手に「統帥権の独立」と解釈改憲し、戦争の道を突き進みました。そして、司馬がこの時代のことを書きたかったが書けなかったのは、なぜ軍部が「統帥権独立論」という「魔法の杖をおもちゃにし、国を破滅させた」のか、理解不能だったからだというのです。軍部のエリートに取材しても、その話にリアリティがなく、「ツルツルした世界認識だったから」というものでした。
それに続いて、歴史家の秦郁彦さんが登場し、統帥権問題の解釈改憲で軍部が暴走した経緯を語っています。そして、その後、5段の記事中2段を使って、なんと私のことが以下のように出ています。
ジャーナリストの松竹伸幸さんは、非武装の国連停戦監視団に自衛隊を積極活用するよう提言するなど、現実を見すえた解釈改憲ならいとわない、攻めの護憲の立場だ。自身が事務局をつとめ、「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と自衛隊を考える会」を準備している。現行憲法を変えずにどのような軍事行動が可能かを研究・提言する。「旧来型の非武装中立だけにこだわる護憲は、もはや十分な力を持ち得ないという、私自身の思想的変遷がある」と話す。
松竹さんはその一方で、『集団的自衛権の深層』(平凡社新書)を出版、安倍首相らが進める解釈改憲の「リアリティーのなさ」を痛烈に批判している。
「一例をあげれば、米本土へ向かうミサイルを迎撃するため、集団的自衛権が必要だと自民党は言ってきた。しかし、ミサイル迎撃などリアルの世界では現状不可能だということは、推進論者が近著であっさり認めている」
米艦船が攻撃されたら日本は看過していいのか。中国軍が尖閣諸島に上陸したら座視するのか……。集団的自衛権行使の論拠とされる「リアルな想定」を、松竹さんは同書でひとつずつ論破していく。「推進論者こそ軍事の現実を見すえず、空理空論をもてあそんでいる」(松竹さん)。
研究会は6月に発足する予定で、防衛官僚出身の柳沢協二・元内閣官房副長官補らを呼びかけ人とする。集団的自衛権論議の「リアリティーのなさ」「ツルツルした世界認識」に危機感を持つ保守派論客や自衛官も、参加する予定という。
2014年3月17日
とってもうれしいニュースだった。日朝赤十字会談の裏では、こういうことが進行していたんだね。日本政府のなかにも、ちゃんとやってくれる人がいて、うれしい。
横田さんには3回ほどお手紙を出して、『孫に会いに行きたい』というタイトルの本に書いてみないかとお願いしたことがある。2度目まではご返事そのものがなく、3度目に、はじめて滋さんの直筆のお手紙をいただいた。それは、会いたいと願ってはいるが、そのことが拉致問題の幕引きに利用されるかもしれないという懸念が運動の内部にある事情をつづったものだった。断りの手紙だったのだが、返事をいただいたということで、とっても誠意を感じたのである。
私としては、そういう懸念があるからこそ、本を出し、お孫さんに会うのは当然だという世論をつくるべきだと思っていた。だって、肉親同士が面会するという当然のことが実現しない運動なんて、人道的に許されないことだ。人道問題をかかげた運動がそんなことをしていたら、運動として支持が得られなくなるだろう。
結果として、本にはならなかった。けれども、横田さんをお孫さんに会わせてあげたいというのが私の目的だったので、その目的が達成されて満足である。
拉致問題は、出発当初は左翼の独壇場だったのに、いろいろな経過があって手を引くという局面が生まれた。その間に、なんだか右翼の独壇場みたいになる。本来なら左右を問わず国民的にやるべき問題だったのに、そうはなってこなかった。
その局面で、なんとか事態を打開したいと願い、蓮池透さんにお会いした。それでできたのが、『拉致 左右の垣根を超えた闘いへ』であった。もう5年前のことだ。
何しろ、蓮池さんは、拉致被害者を助けるため、憲法九条を変えて自衛隊を北朝鮮に派遣しとと主張しておられた方だから、お会いするのに勇気がいった。蓮池さんご自身も、うちのような出版社から本を出すことに勇気がいったのだと思うのだが、ご一緒に仕事をできて、本当に良かったと思う。
幸い好評で、その直後に、『拉致2 左右の垣根を超える対話集』(池田香代子、鈴木邦男、森達也さんらとの対談)を出した。昨年には、「13歳からの…」シリーズとして、『13歳からの拉致問題』を出した。
拉致問題は、日本のありようを問うたきわめて大きな問題である。この問題の解決の仕方には、知恵と工夫と努力が求められると思う。これからも、拉致問題でどんな本を出すか、模索がつづく。
2014年3月14日
たくさんの読者を獲得した『若者よ、マルクスを読もう』ですが、第2弾刊行の可能性が拓けてきました。秋かなあ。
これ、内田樹さんと石川康宏さんが、マルクスの本を一つひとつ取り上げ、それに関する紹介や評価を往復書簡で論じるものです。第1弾は、『共産党宣言』をはじめ、マルクスの20歳代の著作が取り上げられました。
第2弾は、最初に論じられるのが、『フランスにおける階級闘争』と『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』です。つづいて『賃金・価格・利潤』が対象となります。
だいたい5つくらいを対象にして、1冊の本になるんです。だけど、お忙しいお二人ですから、なかなか前に進まない状況が続いていました。
だけど先日、朝日カルチャーセンター中之島教室で、お二人の対談があったんです。「若者よ、いまこそマルクスを読もう──蘇るマルクス・レーニン主義」というタイトルでした。それがかなりの分量になるものですから、往復書簡とあわせて、1冊の本になるだけの分量になります。
第1弾は、その性格にふさわしく、サブタイトルは「20歳代の模索と情熱」とつけました。今回、つけるとすると、「社会の変え方」という感じでしょうか。
取り上げられるマルクスの著作のひとつが、フランス革命を論じたものですから、そもそも社会の変え方に通じています。しかも、第1弾以降、3.11があり、そしてブラック企業問題をはじめとする日本の労働環境の深刻化があり、対談も往復書簡も、いきおいそういうことが主題にならざるを得ませんでした。
とりわけ対談で議論になっているのは、「連帯」という主題です。同じ労働者なのに分断されていることによって、現状を打開する道筋が見えにくくなっている。男と女とか、正規と非正規とか、若者と高齢者とかは、本来は連帯し合って、向こう側にある資本と闘うべきなのに、仲間同士が相手から何かを奪うんだという構図になっている。そんな感じでしょうか。
だからこそ、マルクスが「万国の労働者、団結せよ」と言ったことが、いまの日本でこそ求められているとうことが論じられています。3.11も、日本社会にとって大事なのは連帯であり、共同体の復活だということを示しましたよね。
グローバリズムに対抗するのは労働者の国際連帯、インターナショナリズムです。そんなことを示唆する本になるでしょうか。
なお、第1弾は在庫切れになっていますが、現在、文庫版が角川から出ています。角川ソフィア文庫です。
2014年3月13日
ウクライナといえば、一度も足を踏み入れたことがない国である。ソ連時代、キエフ空港にトランジットで数時間滞在したことがあるだけだ。
この国に関する知識もほとんどなかった。チェルノブイリがある国という程度か。
だから、今回の問題を通じて、クリミア半島がウクライナ領だと知ったとき、びっくりした。過去、何度も戦争の舞台となった戦略上の要衝を、ロシアが手放していたなんて、ほんとうにびっくりである。
そうなんだね、フルシチョフが自分の出身地であるウクライナに与えたんだね。そんなことが権力者にとって自由にできたんだ、ソ連という国は。そのツケが、いま回ってきているというわけである。
今回の問題は、勢力圏という考えが、いまでもロシアにも西側にも残っていることを浮き彫りにした。ただ、ウクライナ全体を我が物にしようというのではなく、ロシア人が多数を占めるクリミア半島だけでも確保しようという動きになっているのは、勢力圏思想もこぶりになってきたことのあらわれかもしれない。
議会の多数は分離独立だという。このまま進めば、住民投票の結果、分離独立を支持する世論が多数を占めると予想する声が多い。そうなるかもしれない。そして、今回の行為は許せないにしても、ロシア系住民の多さとかなどを理由にして、最終的には、クリミアがウクライナから協議離婚すべきだという声もある。
だけど、本当に、クリミアの世論は分離独立なのだろうか。本日の朝日新聞で知ったのだけど、いまのクリミアの首相は、つい2週間前に選ばれた分離独立を唱える政党の党首だが、3議席しかない政党だそうだ。そして、首相を選ぶ議会は、ロシア軍とみられる武装した兵士が監視するなか、定足数に足りない状況で開かれたそうだ。
つまり、議会の多数だって、実は分離独立を望んでいない可能性が強い。軍事圧力があるなかでの投票だって、少しも正当性を保障しないのである。
6割を占めるというロシア系住民だって、ソ連崩壊後、西側の「自由」を体験している。ロシアに帰属する気持ちの部分もあるだろうけど、政治制度としてロシアに親密な感覚をもたないだろうと感じる。
ロシアは、本当に住民投票で勝つ自信があるなら、平時に、軍事手段など使わないで、投票に持ち込めばよかったのだ。そうではなく、今回のような手段でなんとかしようとするのも、自信のなさの裏返しではないだろうか。
やはり、ウクライナのことはウクライナに任せるべきなのだ。クリミアの問題も、分離独立の是非やあり方も含めて、ウクライナのやり方で解決べきだろう。今回のことを通じて、古い勢力圏思想が完全に消え去ることを望む。