2013年7月1日
安倍さんがいろいろしゃべっているようだ。尖閣をめぐって中国側からいろいろ注文がでていて、それが会談開催の前提条件になっており、受け入れられる問題ではないので、会談ができないのだと。
中国包囲網を築くことに熱心で、何の対話もしないでいるという批判がかなり効いていて、反論しなければと思ったのだろう。国益をおびやかす提案が中国からされているとして、国民に理解を求めたというところだ。
おそらく、その中国側の注文は、受け入れられるものではないのだと思う。どこかで報道があったけれども、尖閣周辺の海域を、中国の公船も日本の公船も、どちらも入れない海域にしようという提案だということだ。
現在、この海域は、日本が実効的に支配しているわけであり、それをくずすという案が受け入れられるわけがない。この点では、安倍さんの言明は、個人的な心情を推し量ると理解できないわけではない。
だけど、それを総理大臣がべらべらとテレビでしゃべるのは、いったいどういう料簡なのか。だっていま、その問題をめぐって、日中両国が実務レベルで話し合っているのだろう。この問題はどこかで合意しなければならないわけだから、知恵を出し合っているのだと思う。そのときに、一方の側の、しかも首相が、相手側の提案がおかしいといってしまったら、まとまるものもまとまらなくなる。これでは外交にならない。元外務省高官に対して外交にたずわさる資格がないとフェイスブックで書いていたけど、「それはあなたのことでしょ」といいたくなる。
だけど、こうやって首相が協議をつぶすような発言をするというのは、もしかして、日本側には、何の提案もないのだろうか。「対話の扉は開けてある」なんてかっこいいことをいいながら、実は、対話の内容はなくて、中国に対して、ただただ領海侵犯をやめなさい、悪いのはお前の方だから、一方的に非を認めなさいというような外交をしているのだろうか。「価値観外交」なんて自分でいうくらいだから、そうかもなあ。価値観の違う国とつきあっていくのが外交の妙味なのにね。
日本は尖閣を実効支配しているのだから、もっと鷹揚にかまえていいのだと思う。どこかで書いたけれども、東シナ海の油田の共同開発では中国国内法にもとづく日本側の参加という共同開発方式で合意したのだから、その先例を適用しようといって、尖閣では、日本の国内法にもとづく中国側の参加を求めることが望ましい。
そうやって、海底開発のためになら、中国の公船の活動を許すのである。これは、中国に一歩譲ってそのメンツを大切にしてあげるわけだが、同時にそれは日本の国内法の適用としておこなわれるわけだから、日本の実効支配はさらに強まることになる。
「価値観外交」もいいけど、主権の維持のためには「実益」を前面に出すこともあり得るのだ。主権と主権のぶつかりあいでは、譲るということができなくなるのだから。
2013年6月28日
同じような構図は、公害問題にも見られた。60年代、イタイイタイ病や水俣病など、多くに人を死に至らせる公害が発生し、67年、公害対策基本法がつくられたが、それは「経済との調和が図られるようにする」という範囲でしか対策はとらないとするものであった。
これも、初回で紹介したように、資本主義が私有財産制を基本原理としていることの反映であった。私有財産制の根幹である企業活動の自由を保障することが、国家の責務だったのである。
しかし、公害被害者の被った被害は、そういう原理を許さなかった。命をかけた闘争のなかで、71年、新潟水俣病訴訟において、以下のような判決が下されるのである。
「最高技術の設備をもってしてもなお人の生命、身体に危害がおよぶおそれのあるような場合には、企業の操業短縮はもちろん操業停止までが要請されることもあると解する。……国民の最も基本的な権利ともいうべき生命、健康を犠牲にしてまで企業の利益を保護しなければならない理由はない」
こうした到達をふまえ、公害対策基本法の「経済との調和」条項も削除されることになる。市民運動が資本主義の原理にくさびをいれた闘いであった。
解雇問題であれ公害問題であれ、そのような変革をなしとげた力は、市民の闘いであった。同時に、それを支えたのが、いまの判決のなかにも示されているが、日本国憲法で規定された基本的人権の原理であったといえる。
10年以上前、福岡の弁護士を前に講演したことがあり、そこで解雇規制をめぐる問題についてお話しした。講演のあと、高齢の弁護士さんが、手を挙げて次のようなお話をされた。
60年代、解雇された労働者の弁護を引き受け、何とかしたいと思って著名な東京の弁護士事務所を訪ね歩いたが、「そんな裁判をやっても負けるだけ」と言われたという。しかし、労働者はたたかうことを決意し、長い裁判闘争を継続する。裁判のなかでは、民法で規定された解雇自由の考え方は、憲法の生存権をはじめ基本的人権に反することをくり返し訴えたそうだ。その結果、過去の判例をくつがえす勝利を収めたのである。
その後、そういう判決が続き、判例法ともいえるものが形成されることになる。自民党政府のもとで長く解雇規制の立法化はされなかったが、別の形で成果が生まれたのである。
要するに、日本の場合、市民革命の伝統がなく、その影響もあって国家権力の人権に対する考え方も後進的である。その結果、欧州などと異なり、資本主義の原理をくずすようなものが立法化されることに難しさがある。
しかし、日本では、欧州よりもすぐれた人権原理のある憲法が存在している。そのため、憲法に依拠した闘いを進めることによって、保守的な裁判所であっても、意味のある判決を勝ち取る可能性もあるということだ。
ここに、日本のプラス面もマイナス面もあるといえるだろう。このことが、憲法をめぐる現在の闘いの意味を教えてくれている。(続)
2013年6月27日
では、ご要望に応えて(笑)、続きを。
「契約自由」というのは資本主義の原理だから、日本だけに特有のものではなかった。もともと日本の民法は、ドイツやフランスなどの影響下につくられたものだったし、世界資本主義にとって共通のものだったのだ。
だから、この原理にメスを入れるというのは、世界的にみても簡単な事業ではなかった。ILO(国際労働機関)の歴史をみてもそれはわかる。
よく知られているように、1919年に結成されたILOが最初につくった条約(第1号条約)は、一日8時間週48時間労働条約であり、その次(同じ年の同じ会議でだが)は、失業に関する条約だった(第2号条約)。これは、労働時間とともに、雇用・失業という問題が、働く人々にとって焦点となっていた事情を反映している。
第1号条約の方は、実質的な意味のある条約だった。資本にとっては同じ競争条件をつくるという必要があって生まれたものであり、労働者の願いの実現というだけのものではないが、それでも意味はあった。なお、この会議で日本は自国の後進性、特殊性を強調し、日本だけは週57時間労働の特例を認められたのは有名な話である。
一方、第2号条約の方で決まったのは、わずかに失業に関する統計をとることと、無料の職業紹介所をつくることだけだった。解雇の制限にはまったく踏み込まなかったのだ。それだけ「契約自由」の原則は、牢固としたものだったのである。
その後、ヨーロッパでは、労働者の闘争のなかで70年代、解雇を制限する法律がつくられていく。そして、ILOがようやく解雇の制限にふみこんだのが、1892年の「雇用終了条約」である(第158号条約)。ここでは、労働者の能力や行為に関する妥当な理由、企業運営上の妥当な理由がなければ、労働者を解雇することができないことが定められた。とくに、組合活動への参加、婚姻関係、妊娠、その他で解雇することは明確に禁止されることになる。
これは、契約自由、解雇も自由という資本主義の原理に風穴をあけるものであった。労働者の闘いのなかで、資本主義国の政府がそういう措置を余儀なくされたのだ。
ところが日本では、欧州並みの解雇制限法はずっと実現しなかった。ILO158号条約も批准しなかった。それだけ日本資本主義というのは、その原理をまもることに汲々としていたのである。なお、日本が最初に批准したのが第2号条約だったのは、この条約が資本にとって痛くもかゆくもなかったことを証明している。
そういう日本で、資本主義の原理にメスを入れたのは、裁判所である。解雇された労働者がそれを不当だとして訴え、争ったわけである。最初は、前回の記事のように、解雇は自由だという判決がつづく。だから、進歩的な弁護士のなかにも、裁判を続けることへのあきらめもあったそうだ。しかし、70年代になって、ようやく、最高裁判所で以下のような判決がくだされる。
「使用者の解雇権の行使も、それが客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当として是認することができない場合には、権利の濫用として無効になる」(日本食塩製造事件)
なぜ裁判所はそういう判断にいたったかといえば、それが憲法の存在である。そこがヨーロッパと異なるところである。(続)
2013年6月26日
先日、国家公務員の労働組合に招かれ、「日本国憲法と公務労働者の役割」について講演しました。九条のことしか頭にない私には似合わないけど、それなりに考えたことがあったので、そのエッセンスを何回かにわけて書きます。
憲法を「守る」というと「現状維持か」と思われるかもしれないが、そうではない。国民投票がおこなわれ、憲法のもつ意味が議論され、その結果として護憲が選択されるということは、おそらく日本国民がようやく市民革命を成し遂げることを意味するのではないか、と私は感じる。
戦後日本を代表する憲法学者である宮沢俊義は、1946年、いわゆる「8月革命」説を発表した。これは、明治憲法の天皇主権から現行憲法の国民主権への転換を、法的な意味で「革命」と捉える見地である。
実際、国家統治の核心をなす主権の大転換というのは、フランス革命に代表されるように、歴史上、市民革命によって達成されてきた。だから、これほどの大転換について「革命」という言葉を使うことは、意味のある用語法だと思う。
ただしかし、宮沢だとて、これが社会科学的な意味での革命だとは思っていなかったように、日本社会が革命を達成したとは誰も考えていなかった。実態は、憲法という紙のうえでの革命に過ぎなかった。
それを象徴するのが、憲法は変わったのに、他の法律は明治時代のままのものが、ほとんどそのまま受け継がれたことであった。とりわけ、民法が変わらなかったことは、戦後、国民主権という憲法原理との間で衝突することになる。
民法の重要な原理としてあげられるのが、私有財産制と契約自由の原則である。厚生労働省が編纂する『労働基準法』の本などでも、「資本主義社会の法的秩序の根幹をなすものは、私有財産制と契約自由の原則」だとしているが、民法というのは、資本家の自由を擁護する原理と密接不可分のものであった。
たとえば、ここでいう「契約自由の原則」には、当然のこととして労働契約の自由も含まれる。契約が自由だということは、労働者が退職するのも自由だが、経営者が解雇するのも自由だということだ。だから民法は、雇用契約はいつでも解約通告できることを定めているのである。ここには、資本家も労働者も対等平等な個人であるという、現実をゆがめた認識が背景にある。
この結果、戦後すぐの日本では、解雇などやり放題であった。民法で自由だと書いているのだから、当然だった。裁判をしても、「解雇は……契約当事者の自由に行使しうる権利である」という判決が下されていたのである。(続)
2013年6月25日
午後6時より、大阪弁護士9条の会主催で、私の講演会があります。場所は大阪弁護士会館の203、204会議室です。弁護士でなくても参加できるそうですので、興味のある方は、どうぞご参加ください。
チラシを見ると、私が「基調講演」をやることになっています。だけど、昨日、主催者にメールをして、やめてもらいました。
だって、平日の夜ですから、おそらく2時間程度しかありません。そこで私が1時間ほど講演したら、討論時間が1時間しかないんですよ。それは、今回の講演会の趣旨に反すると考えました。
そもそも、今回の講演会、私が『憲法九条の軍事戦略』を出したことから開催が決まりました。賛成派と反対派がいて議論が沸騰しているそうなんです。後援会でも、私がお話ししたあと、それぞれから2人ずつ、合計4人が発言するそうです。そこで私が1時間もしゃべってしまったら、4人の発言が合計で40分あったとして、私がそれにお答えするだけで、終了時刻になってしまうでしょ。
だから、昨日のメールで、私の最初のお話は、超短時間にしてもらいました。たぶん、10分ほどしかお話ししないでしょう。何よりも、弁護士のみなさんのご意見をたくさん出してもらい、それをふまえて議論することを重視したいのです。
だって、そのために出した本です。歯が浮くような賛辞を聞いて、満足するなんてことは、絶対にしたくありません。
仲間内で盛り上がる論理で満足してきたから、国政の場で改憲派がどんどん多数になってきたわけです。いま、護憲派に求められているのは、考えの異なる人びとの話に耳を傾け、そのなかに共感する要素を見つけ出すことです。戦争して相手国の人びとを殺傷したいと思っている人は、ほとんどいないはずであって、改憲を求める人の動機も平和の実現にあるわけですから、どこかで共感できると思うのです。
そして、考えの異なる人との対話というのは、どこかで共感できないと、そもそもはじまらない。でも、どこかで共感できると、あとは割と簡単だと感じます。
すでに、私の考え方に対して「全否定」という方の意見も届いていて、うれしいな。護憲運動の内部で、こうやって切磋琢磨し、違いをこえて団結できるようになれば、議論もせずに団結しているように見える改憲派なんて、恐るるに足らずだと思います。